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リケジョであることを捨てられない (Lily-日々のカケラ- 石田ゆり子)

大好きで憧れの女性である石田ゆり子さんのエッセイ本。
石田ゆり子さんは本当に美しくて、聡明で、凛としていて、温かい。
私は江國香織さんの小説が好きなのですが、その中に出てくる女性たちを想像するとき、石田ゆり子さんを思い出します。自分の空気感を持っていて、その魅力が周りに溢れ出ていて、そして身近な生活の中の魅力的なものを見つけるのが上手。江國さんの小説で思い描いていた憧れの女性が現実にいるなぁと嬉しくなります。

ゆり子さんがエッセイの中で、若さについてこのようなことを言ってました。

 大人になったいま思うのは、「若さ」とは周囲のためにあるんじゃないかということ。若い当人は無我夢中で、必死にもがいて生きている。たくさんの可能性を秘めた、懸命な若者の姿を見て、周囲は美しいと感じ、活力をもらうんです。
 若者は、辛く苦しいからこそ、美しいんですよね。
(単行本 Lily-日々のカケラ- p17)

私も20代の頃、よく「若いってなんだろう」と考えていました。30歳になった今もまだ若いと言われることも多いのですが、よく言われるのは「若いんだからなんでも出来るよ!」「若いっていいわね〜」こんなようなこと。

若いからこそできるってなんだろう。
事実、年齢制限があるものや体力的なことなど、若いうちにしかできないことも世の中にはあると思います。でも、周囲が言っている「若いからできる」というのは、それ以外のニュアンスもあるような気がする。おそらく、気持ちの問題。

じゃあなぜ「若い」とそれをクリアできるのか。
私が考えた一つの結論は、「失うものが少ないから」でした。

私は高校で理系を選択して、そこから理系の大学に進学して、そして理系職で就職をしました。どれも自分がやりたいことを選んできたので後悔はないですが、就職活動をしていた時や、仕事をしながら転職のことを考えるとき、どうしても「理系」という枠組みを超えて考えられない自分がいることに気がつきました。
もし全然違う職種についたら今まで学んできたことはどうなる?理系で学んできたからこそできる仕事があるのに、それにつかないのはもったいない?
そんなことが頭をよぎって、自分の視野を狭めていることに本当は気付いていました。でも簡単には捨てられない。
あぁ、理系選択する前の私だったら、何も(学歴、経験、しがらみなく何かをやりたいと思う自分の素直な気持ちを)失わずに、自由な選択ができたのかな。

自分のやりたいことに向かって真っ直ぐに走り、もがいている若者(自分より年齢が若い人)を見ると、「あぁ、若いからなんでもできるよね」って諦めのような感情を持ってしまう気持ちが、少し分かるような気がしました。

でも一方で、そうやって頑張っている人を見ると、自分にだってできるはずだと、勇気ももらえることもたくさんある。特に今はオリンピックを見てそう思うことも多いです。これがゆり子さんがいうところの”活力”であり、”美しさ”なのかなと思いました。

自分より若い人なんて一生いるし、みんな毎日歳を取っていく。もっと歳を取れば、キャリアや経験など、捨てられないものはもっと増えていく。

今までと全然違う分野に飛び込もうと思うとき、過去を捨ててしまうような気持ちになってしまうけど、きっとそんなことはない。ちょっと置いておくだけ。
新しいことを始めていく中で、必要が出たら引きずり出して活用できるし、それが横にあることで見える景色もきっとあるはず。
私にしかない経験で、私にしかできないことがあると思うと、少し元気が出た。

その他のエッセイも含め、ゆり子さんが「大丈夫、自分で自分の人生はもっともっと豊かにできる。」そう教えてくれたような気がしました。

文章だけでなく、エッセイの中に詰まっている写真がどれも美しく、可愛くて、見ているだけで、自分も自分と身の回りの美しいものを大切にしようと力が湧いてくる素敵な一冊。

石田ゆり子さんのファンではない人でも楽しめます:)


※見出し画像は本の写真より引用(単行本 Lily-日々のカケラ- p68)


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