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他人と自分の狭間で マーブル色のわたし

他人と自分の狭間を揺り動いている、と感じることがある。

不安な時や何か言葉にできないけど漠然とした灰色の気持ちを抱えている時、
同じ気持ちをnoteに書いている人がいると安心したり、本や漫画の中に似た気持ちの描写を見つけて、なんだ、私だけじゃないんだと、少し気持ちが楽になる。

自分より先にその辛い状況を乗り越えた人がどんなことをしてきたのか、どんな風に自分の気持ちと向き合い決意をしたのか、それを知りたいし、うまくいっている人の未来を見たい。
自分の次の一歩に繋がるヒントが欲しい。
今の自分でも大丈夫なんだと、未来への自信をもらいたい。


一方で、自分の中で何かを決意する時だったり、大きな選択をする時、「みんながどうするか」は、ひどくどうでもいいことになる。

あの人はこうやって上手くいったみたい。
この人はここで思い切った決断をしたんだ。

似た状況の人の情報が入って来れば入ってくるほど、自分が少なからず影響を受けていくことがわかる。

私も同じやり方にしたらうまくいくかな。どうだろう。
私にはこんな風にはなれない、この道は無理だ。

誰からも影響を受けないことなんて不可能だけど、おまえはどうしたいんだと、自分に何度も問いかける。みんなじゃない、おまえだ。

自分を納得させる理由を探したいんじゃない。
自分がそれを選ぶ理由がほしい。


みんなが同じだと安心するけど、何かを決めるときはみんなのことはどうでもいい。


このことを考えていると、自分は結局何者で、他人とどれくらいの距離感で生きていたいのか、時々分からなくなる。

私の中で、自分に対する他人からの影響は色のイメージに近い。
自分の色、友達の色、恋人の色、いろんな人の色を取り込みながらマーブル色になって、自分ができている。

色水のイメージのように、一滴でも入ってきた色は、全体に少なからず影響を与えている。
一回入った色は簡単には消えなくて、他の色とも混ざり合ったりしながら、また新しい色へ変化していく。
予期せぬタイミングで新しい色が入ってきたりもする。それが嫌なこともあるし、もちろんいいこともある。

自分がなりたい色がある時は、受け入れたくない色との接触を避けたり、なるべくその影響を緩和できるように、準備をしておく。
濃い色が入ってきたときは、刺激を和らげるように、自分の時間を増やしたり、ゆっくり温かい紅茶を飲んだりして、自分の色を少しずつ足していく。

そうやって色んな色と混ざりながら、私だけのマーブル色ができる。

この、その時々での「自分と他人の間で揺り動く自分の気持ち」や「他人との距離感」のようなものに対する何かしらの答え(というか、言語化できる整理)を、まだ見つけられていません。

いつか、本や漫画、あるいはnote、あるいは誰かの色の中に答えや気付きを見つけたい。
見つかったら、言語化してまたnoteにまとめたいと思います。

今日は、いつの日かの自分が完成させる、未完成note。

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