先祖の時代の八柱神社ーー欠町(1)
はじめに
期末ということもあり、先日に当方が受けた不用意な発言(気分を害した方、失礼いたしました。あれでも問題ない/炎上させない発言のみ抽出しましたが……)もあり。
時間的にも心理的にも余裕がなくなり、少し時間が空きました。
「書けません(noteに向かうことすら苦痛)」とすら書かずに失礼いたしました。
しかしながら、神社運営に対し批判をしなければ自分の好きなように書いて良いようなので「鈴木重辰の子孫のひとりがツラツラと書く」という当アカウントの当初からの趣旨に則り、先祖が建立し、守ってきた時代の「八柱神社」や他の関連する事柄などについてゆっくりと書いていこうと思う。
※注 神社を管理なさる宮司さんと現)八柱神社と当方は無関係です
御祭神について――熊野権現とは
先祖が崇敬したのは五男三女神。これは間違いない。
しかし、遠い昔の先祖が熊野にいた時は御祭神は違っていたのかもしれない。
天文元年(1532)。
藤代は今の藤白。現)和歌山県海南市付近のことであろう。「八橋之神社」は「八幡」の写し間違えではないかと思う。何しろ、明治時代・大東亜戦争で先祖の書き物は焼失している。現存する資料はこれらの難を逃れた模写が基だ。
さて、紋所を稲穂に改めたーーとある。それまでは家紋に稲穂はなかったと捉えると整合性がつく。
その際に崇敬する御祭神(熊野権現)も様々な時代や経緯を経て改めたと考えると色々と辻褄が合う。
そういうのも、今からおよそ1年前。
熊野三山や鈴木氏ルーツの藤白神社さんの御祭神と先祖が祀った五男三女神が違うことで当方が混乱したためだ。
そこで熊野権現を少し掘り下げてみたいと思う。
熊野権現とは(八柱神社・欠町の場合)
私も未だ熊野信仰をしっかりと理解しきれていない。
そこは先ずご理解いただきたい。文献もなかなか見つからない。
それでも、藤白神社様をはじめ各所・熊野や熊野古道の風景などをご紹介くださる方々の文を拝読・閲覧することでおおよその概要が判った気がする。
ここで非常に参考になる文章を引用する。
熊野古道を一度でも何かで見/観たことがある方は判るだろう。
厳しい気候や地殻変動の中、何百年、もしくは千年以上もの時間を掛け作り出された”域”に足を踏み入れた際に覚える、人知を超えた自然への畏怖・尊敬。
古来より、日本には万物に神が宿るとされている。自然も然り。
いずれは大河になる源流の一滴も、山や森を形成する木々の一本一本もすべてが尊く、有難い存在だ。
「ありがとう(感謝)」ではない。古語の「ありがたし(めったにない様)」の方だ。
そもそもの話ではあるが、「権現」とは私たちにも判別(理解)できるお姿で崇敬している神仏が"かりそめ”のお姿で”現れて”くださった、ということだ。
それがどの時代からか、私たちの先祖にとっては五男三女神だったのであろう。
それ故に、五男三女神=熊野権現ではない。
少なくとも八柱神社(欠村)を建立した先祖にとっての熊野権現が五男三女神であったということは正しいのであろう。
先日、先の記事で言及した内容の際に「全ての八柱神社が系列なのか、関係性を言え」と言われたこともあったが、はじまりは古事記。
天照大神と素戔嗚尊との誓約により生まれたのが『五男三女神』だ。大括りでは全ての八柱神社/八王子神社は関係性があるとも言えるし、分社/分祀ではないお社は各々に関係性がないとも言えるだろう。
非常に難しい。
どこを起点にするかで答えが変わる問いは答えに苦しむ。
(問いの本質が分かりかねたため、私は「分からない」と答えた)
五男三女神の先にあったもの
ここでは先祖が祀った五男三女神の八柱神社(欠町)についてになる。
本来は五男三女神の先には自然信仰。八百万の神への崇拝があったのではないだろうか。
先祖がいて自分がいる。私は先祖の教えをこれからも追うだろう。
おわりに
神社も私たちの一族の手を離れ随分と時代が経っているはずだ。
現在は氏子の方々、個々の考えで崇敬していただければ良いと思う。
しかし、本来はどのような目的で、また、何を願って建立された神社なのか伝えていくことだけはしなければならないだろう。
そうでなければ、「東海道分間延絵図」に名を遺す先祖に申し訳がたたないし、他の熊野崇拝の歴史を持つ神社さんに誤解・迷惑が生じるという点で申し訳が立たない。
後付けで様々なモチベーションこそ湧いたが、私の原動力はこれに尽きる。
せめて建立した人・守ってきた方々が大切にした理念だけは尊重してほしい。
遥か昔に亡くなった方々にも尊厳はあるはずだ。
補足
熊野信仰については未だ理解しきっていないため、私感・憶測を含む部分が多くみられると思う。
その点はご容赦願いたい。
最終改定: 令和 年 月 日( 回目)
※後に読み返した際に変更があれば、改定日を修正いたします
【注意事項】
著作権の観点から、無断引用・転載はお控えください。
引用・転載の際は必ずお声がけください
【トップ画像引用】
『五海道其外分間絵図並見取絵図』東海道分間延絵図_13巻之内7
出典元及び所蔵・東京国立博物館
https://webarchives.tnm.jp/
【参考】
熊野本宮観光協会ホームページ
https://www.hongu.jp/
Thanks,
写真AC
https://www.photo-ac.com/
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