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史跡・遺跡、神社仏閣巡り

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先祖に関連する史跡・遺跡や神社仏閣を巡る記事をまとめたマガジンです。 更新頻度は1-2回/月程度。 主に愛知県の西三河が多くなります。 歴史や歴史的建造物がお好きな方に。
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記事一覧

【プチ仏閣巡り】関東北条氏と所縁ある「一澤山 法光寺」(愛知県岡崎市)

はじめに暑さは少々落ち着きつつ、来週の台風の行方が気になる今日この頃。 未だ続く自律神経の不調(夏バテ)により散策は出来ておらず。 また、調べものもなにせ時間がかかる。電話での確認・アポ取りも気付くと18時過ぎ……なかなか進まない。 少し前にお盆だったということもあり、父が眠る墓参りに旦那寺に行った際に「おぉぉっ……(感嘆)」ということがあった。 今回は近隣の散策(仏閣巡り)だ。 今回の目的地「真宗大谷派 一澤山 法光寺」が今回の目的地だ。 場所を以下のとおりにお示しす

【神社/史跡巡り】東尾八幡社・安城城址二之丸跡(愛知県安城市)

はじめに相も変わらず暑いですね……(遠い目 愛知県は台風7号の影響はあまりなく、少々風がありつつ……猛暑です。 (疲れ+過度なストレス+夏バテ等で更新をサボっておりました) さて、前回。 安城(安祥)城城址……本丸跡地に建つ浄土宗・大乗寺に訪れた記事を書いた。今回は二之丸跡地に建つ「東尾八幡社」を写真で振り返ってみたい。 インスタグラムも開設なさっている模様。 https://www.instagram.com/higasio.hachimansha/ 詳細は上記記事

【仏閣/史跡巡り】大乗寺・安城城址本丸跡(愛知県安城市)

はじめに前回の記事で「織田信秀公が三河侵攻の拠点に安城城をーー」と記載した。 今回はその安城城址を先日に訪れた記録に触れたいと思う。 かつて、松平郷(現・豊田市松平町)に居住した松平親氏の孫にあたる松平信光が安城城を奪取し、家康公の祖父・清康公が安城松平家4代目となられた。 そのような由緒のある城(城址)だ。 今回の訪問地先ずは、大乗寺の場所を以下の通りにお示しする。 安城市歴史公園(安城城址)駐車場近くに以下の案内図。 涼しげな水辺に沿ってしばし歩く。 また別の

【史跡巡り】小豆坂古戦場周辺(愛知県岡崎市)

はじめに前回の記事で「大平古城の碑」は「小豆坂古戦場周辺のほど近く」と記述した。 先日にそのつながりから、「小豆坂古戦場」周辺に遺る碑などを巡ってきた。その史跡巡りの記事となる。 先に触れるが、関ヶ原や桶狭間のように公園として整備されていない。遺っているのは碑のみだ。 大きな武力を有した織田勢・今川勢の激突の地だが、どうも家康公とは関連が薄いところにはやる気を見せない岡崎市らしい。 今回の散策先ずは今回散策してきた場所を以下のとおりにお示しする。 ここでは記述するま

【史跡巡り】大平古城の碑(愛知県岡崎市)

はじめに(+お詫び)前回の記事ではネガティヴ全開で、読み返すと「なかなかに病んでいるな……」と自身でも思った。(本当に申し訳ないです) 正直なところ、気が滅入っているのは事実。 普段は「色々な人がいるから」「まぁそういうもの」などと割り切っているつもりでも、心身が弱ると気持ちが相当に滅入ってしまう。 現に、先週木曜日(7/11)頃から風邪なのか調子がいまひとつ。 (現在は回復中) 訪ねたいと思っていた場所も先延ばした。 件のウイルスもあり、手足口病やヘンペギーナなどな

【城・神社巡り】西尾城・御劔八幡宮(愛知県西尾市)

はじめに以前にも述べたが、時折、古書を購入しに西尾市に出向く。 今春のことだが、以前より気になっていた『岡崎市史別巻 徳川家康と其周圍』が西尾市にある古書店で取り扱われている、と。 そのため、少々の気分転換も含めて西尾市までドライブしてきた。 その際に時間の余裕が少々あったため、西尾歴史公園も散策してきた。 随分と時間が経ってしまったが、西尾城などを振り返っていこうと思う。 西尾歴史公園先ずは所在を以下のとおりにお示しする。 西尾歴史公園の内部は以下のとおり。 西

【ネコチャーンの部屋】西芳寺の思い出写真(2013年6月訪問時)

はじめに私事で大変恐縮だが、右手の腱鞘炎が酷く痛む(のですよ)。 今年の正月には完成させていた「先祖の鎧を復活させる計画」の前哨戦・源義経公の鎧(3Dパズル)も小さな修正を経て写真を撮ろうと思っていても、ピンセットが持てない。手がプルプルするし、何より痛む。 記事の流れに小休憩が欲しいのだがどうしたものかーー、と思っていたら。 ある。過去画像が。 というのも、今年5月から計7回にわたって執筆した愛知県岡崎市の古道・道根往還より写真の色彩を少々調整している。 さて、つい

【史跡・神社仏閣巡り】寺部城祉周辺を歩く(後編)ー愛知県豊田市ー

はじめに寺部城祉周辺の史跡・神社仏閣散策の後編になる。 1回でまとめてしまうこともできたのだが、どうしても今回触れる仏閣とのかかわりは別に記したかったからだ。 それでは、散策の続きを辿っていく。 今回の旅路後編で触れる史跡、仏閣を以下のとおりにお示しする。 ※常夜灯などは正確な位置が判らず明記を避ける。守綱寺から随應院までの道中にあったのは確かだが…… 旅を続ける常夜灯と祠 善行寺参りの出発点 上記の常夜灯も善行寺参りに関連があるのかーー。 「あすけ」は三河鈴木

【史跡・神社仏閣巡り】寺部城祉周辺を歩く(前編)ー愛知県豊田市ー

はじめに以前より「先ずは寺部(愛知県豊田市寺部町)に訪れなければ……」と思っていた。 ※家康公初陣「寺部城の戦」は資料が少ないため、私ども一族と寺部鈴木氏と関連があるか否かは断言は出来かねる しかし、特に岡崎市外に赴き、現地の博物館の学芸員の方々と立ち話をした機会が数回あり、その際に「寺部(鈴木氏)か?」と聞かれることがしばしばあった。 家系図が正しければ、室町時代に寺部城主だった先祖もいる。加えて、竹村城主だった方もいる。猿投神社の神職になった方もいる。 「絶対に寺部

【古道を歩く】愛知県岡崎市の古道・道根往還② 起点・欠の三本(点)松

はじめに以前より書いているが、私たちの先祖(内縁)に大賀弥四郎事件に加担した岡崎町奉行・松平新右衛門がいる。 新右衛門について調べていた際にネット検索で道根往還の起点「欠の三本(点)松ーー以降、当記事では”三本松”で統一」が出てきた。 多くは「弥四郎の家族が磔になった場所」「弥四郎の家族を気の毒に思った村の人が三本松の根元に亡骸を埋葬した」等とあった。 今回は数百年に渡り、この場所を守ってきた御一族のお話に沿って道根往還の起点とされた「欠の三本松」について書いていく。

【仏閣巡り】家康公が創建した、浄土宗・随念寺(愛知県岡崎市)

はじめに昨年に東海道・岡崎城下二十七曲りを歩いた。 それをとある御仁と話していた際に、「随念寺には行ったか?」と聞かれた。 別の知人からは「随念寺は特にオススメする」とも聞いた。 岡崎城下二十七曲りを歩いた際には私の知識が足りず失念したが、先日、家康公とも縁が深い寺院に参拝してきた。 随念寺宗派は浄土宗。 正式名称は『佛現山善徳院 随念寺』。 概要は以下のとおりだ。 東海道から150m強ほど北に位置する。 東海道・岡崎城下二十七曲りを歩いた際の記事が以下のとおりだ

【神社巡り】八柱神社(愛知県岡崎市洞町)

はじめにどうしても書きたい複数の記事の基となる情報をまとめている最中だ。 それらの記事のうち、一つの情報収集とその土地の地主さんとのお話をさせていただいた中で「(岡崎市)洞町にも八柱神社があるよね」と教えていただいた。 確定申告もようやく終わり通常業務に戻れたこともあり、運動不足もあり……折角なので、八柱神社(洞町)に行ってきた。 場所についてまずは広範囲のマップで場所をお示しする。 洞町はその昔。本多家の方々が多く住んでいた土地だ。 本多肥後守忠真公のお屋敷も「欠古

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑭(完)八帖町~矢作町 寄り道~勝蓮寺、矢作神社

はじめに2023年11月に歩き始め、12月中旬には完走していた「東海道・岡崎城下二十七曲り」。 今回の記事でようやく二十七曲りの記事もようやく完走できる。 昨年(2023年)中に完走予定だったが凡そ3か月遅れ。 それでもこれをもって完走できる。 もう一記事。東海道・岡崎城下二十七曲りの旅にお付き合いをいただければ幸いだ。 今回の旅の概要前回までの旅路は以下の記事を参照いただけると幸いだ。 今回の旅を以下のとおりにお示しする。 <旧東海道位置関係(仮)>※注:旧)矢作橋

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑬板屋町~八帖町 寄り道~八丁諏訪神社

はじめに長く続けてきた「東海道・岡崎城下二十七曲り」を歩く旅も残すところ2回(この記事を含む)。 今回の旅路にでてくる「松葉総門跡」。現在の位置で言及すると国道248号線付近だ。そこが古の岡崎城の外郭の総門にあたる。 ここを「岡崎城下二十七曲り」の終点(or始点)にするかーー、はたまた、今回の旅路の終点を二十七曲りの終点(or始点)にするかーー。 かなり迷った。 なにせ、南冠木門のような東海道二十七曲り(始点/終点)の碑がないからだ。 歩いた私自身もどこを終点とするか悩