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【読書メモ】禅と日本文化/鈴木大拙、碧海寿広訳

気がつけば約2ヶ月振りの読書ネタの投稿となります。
他の本との同時進行での読み進めとはいえ、
この本も読み始めてから読了するまで約4ヶ月。
本の分量が多いのか、私の読むスピードが遅いのか。

さて、今回私が「禅」に興味を持ったのは、
Appleのスティーブ・ジョブズ氏が禅を信仰していたということから。
禅を知ればAppleのコンセプトをより深く知れるのでは、と思いました。
禅を知ろう、ということで今回ヒットしたのがこの本でした。
読んだ感想を簡単に言うと、
禅とは何か、自分の中ではっきりと掴むことはできませんでしたが、
禅は日本文化、特に武士文化に大きく影響を与えていることは理解できました。
禅を知りたい人だけでなく、日本文化に興味がある人にもおすすめできる一冊です。

しかし、日本文化といっても武士的な面だけでなく、
貴族文化等、様々な面があります。
それらを理解するには禅以外からのアプローチが必要でしょう。

また、仏教には禅以外の宗派も沢山あります。
日本文化をより理解するには禅以外の宗派についても
知っておく必要があるようにも思いました。

1. 結局、禅とは何なのか

1.1 禅のルーツ

皆さまご存じのとおり、仏教はお釈迦様がインドで悟りを開き、
その教えがアジア各地に広まったもので、
そこで様々な宗派が生まれる。
そのうち、禅は中国で発展し日本に伝わったものである。
インド人と比べると、中国人はあまり哲学的な考え方をせず、
実用的なものを好み、実際的であり、俗世の事柄に意を注ぐ。
つまり、日常生活の実際的な側面や実際に存在する自然を大事にした。
禅は他の仏教の宗派とひと味ちがうものと思われる。

そんな禅が日本に伝わったのは鎌倉時代。
ちょうどその頃から日本で武士が台頭するが、
禅の影響も大きいと思われる。
本書を読む限り、武士文化と禅は相性が良かったように思われる。

1.2 禅の目指すところ

禅が目指すのは「悟り」を得ること。
これは禅に限らず仏教の他の宗派でもそうであると思われる。
その「悟り」をいつ、どうやって得られるかが宗派によって違うのではと思われる。

禅では、「悟り」は外から与えられたり教えられたりするものではなく、
自分自身の中にあり、自分自身で気づく、取り出すものだとしている。
それができるようになるには
特別な修行や知識・考え方が必要なように思われるが、
禅では日常生活こそが修行の場としている。
つまり、日常生活での気づきこそが重要である、と。

1.3 現段階での私が解釈する、禅が発するメッセージ

この本を読んだ後でも禅とは何か、
自分で説明するのは自信がないが、
私的に感じる禅が発するメッセージを主に以下の2つだと考えている。

・Simple is the best.
・Don’t think, feel!

・Simple is the best.

禅は引き算的な考え方の宗派だと、私は勝手に解釈しています。
余計なものや考えをどんどん削ぎ落していく。
そこから日本独特の詫び・寂びの文化が生まれ、
その考え方が俳句等の技法にも用いられているのか、と。

・Don’t think, feel!

こちらは映画「燃えよドラゴン」の中に出てくる有名なフレーズですが。
禅では余計なことを考えまわすよりも、
実際に行動し、その中で得られる直観を大切にすることを大事に。
ただ、直観は単なる思いつきとはまた違う。
また、直観は外から与えられえるものでなく
自分の中から見つけて自分で取り出すもの。
自分で直観なるものを識別できるか。

本書では剣術について多くのページが割かれているが、
どんなに技やスキルを身に着けたとしても、
それだけでは優れた剣士にはなれない。
勝負の場では一瞬の判断が肝。
頭で考えこむ時間はない。一瞬の直観をいかに感じ取れるか。

直観については他の宗教やスピ業界でも大事であることは言われていますが、
その直観に気づきそれに基づいて行動するにはどうすればよいか。
それは自分で見つけ出すしかないのかな。

2. 禅と「無意識」

本書を読んでいると、所々で出てくる単語が「無意識」。
般若心経でも「すべては『無』である」ことを主張している。
ほかにも「無心」、「無の境地」など。
「無」の概念をいかに理解することができるか。

現在、私が読んでいる他の本でも
「無意識」について考えさせられています。
人生、スポーツ等の勝負ごと、脳科学、精神医療、心理学などなど…
「無意識」の解明が人類の今後の鍵のように私は思います。

3. 禅と茶道

本書では禅と日本文化の関係として、
日本の芸術、武士と剣術、俳句、茶道などを具体例に用いて
内容が展開されています。

しかし、本書を読んでも、
禅について、なんとなくの内容はわかるのですが、
はっきりとした理解が得られた気がしない。
おそらく、ほかの本を読んでも一緒なのでは。
禅は読んで理解するものではなく、体感するものではないのか。
ということで、行ってきたのが先日の茶道体験。

本書を読むまでは、私の人生の中で茶道とは全く接点がなく、
茶道は「ただお茶を飲んでお菓子を食べているだけ」のものと思っていました。
なので、なんでそれだけのために稽古が必要なのか、
なんで千利休がそんなに有名なのか理解できませんでした。

しかし、実際に茶道体験に行ってみて、
茶道の本質は「ただお茶を飲んでお菓子を食べているだけ」ではあるが、
その中に様々な要素が凝縮されているように感じました。
言葉では言い表すことができませんが、
それらが禅の要素なのではと感じました。
たった約1時間の体験だけでもそう感じることができたので、
もっと真剣に探究していけば、もっとたくさんのものを得られるのでは。
茶道は真剣にやってみる価値があると思いました。
ここまで言うと、だったら茶道を始めてみればいいじゃない、と言われそうですが。

とにかく、禅は本などを読んで理解するものではなく、
実際に感じて体得するものだと思っています。

それでは。

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