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【ショート小説】僕の両肩の黒い星がそのまま

「子供には、まだわかりません。絶対にです。」
深い皺を刻んだほうれい線の内側から、祖母は普段より低く冷たい言葉を吐き出した。何よりも、いつも優しい祖母の、厳しく凍てついた顔と空気が私にはショックであった。何が起きたのかも分からず、台所へと歩いていった祖母の背中をいつまでも呆然と眺めていた。
いつの頃であろうか、聞いた事の無い肩書きを持つ若者達は、万人に向けて自分の主張を叫ぶ時代になっていた。そんな時ある動画サイトで、「いじめ加害者の将来」について、持論を誇らしげに展開する動画がアップされて世間に大きな波紋を呼んだ。彼の素性はよく分からないが若者を中心として数百万単位のフォロワーを抱える所謂有名人で、動画の内容としてはいじめ加害者にも将来があり、一度の過ちでその未来を奪うのはいかがなものかというものであった。この動画に対して、数々の著名人達が批判と擁護を発し、さながら思想闘争の様相を呈していた。
祖母はいじめ被害者の支援団体を発足させたばかりで、当然の事ながら件の動画に関して猛烈な批判を繰り返していた。退屈に飽きていた世論は祖母を批判派の急先鋒に担ぎ上げると一気に例の有名人を叩き始め、日和みな著名人達は次々と批判派へ転じていった。それから数日が過ぎた頃、件の有名人は張りのあるスーツに身を包み自身の発言に対しての謝罪を公表した。涙ながらに頭を下げる彼は、今までの栄光は流れ落ちて、只敗北者として罪人のように痩せこけていた。この件を境に祖母の団体は一躍名を馳せ、数多くの支援者により規模を拡大させていった。
数年が過ぎ、まだ未熟であった団体も盤石な体制が整い、穏やかな日々が変わる事の無いように続いていた。そんな時、小さなスポーツ紙に小さな一つのニュースが掲載された。あの人は今と言うタイトルの連載記事で、件の有名人が取材されていた。一件の後、全てを失った彼は頼れる人もおらず、日雇いの仕事を転々とし食い扶持をかろうじて保っているとの事であった。そう言う彼の写真にはくっきりとサングラスとマスクの日焼け痕が残っていた。
「まぁあれ以来、街を歩くと罵声を浴びせられたり、酷い時は物投げられたりしますからね。」
そう書かれた記事には何処か絵空事のような雰囲気が漂っていた。記事は誰の目にも触れられる事なく、翌日にはゴミになって捨てられていた。穏やかな日々はあいも変わらず、ぼんやりと過ぎ去っていった。
そうして又数年はすぐに過ぎ去り、孫娘である私も10才になっていた。ある日、学校からの帰り道に見知らぬ人に背後から声をかけられた。
「人殺しの孫。」
私がその声に振り向くと、そこには誰もいなかった。
数日後、小さなスポーツ紙に小さなニュースが掲載されていた。件の有名人の自殺のニュースであった。彼は数年前から、持病の腰痛を発症し日雇いの仕事も出来ず家の無い生活に追いやられていたらしい。その後、保護された施設内で衣服をロープ代わりに首を吊っているのが発見された。このニュースはネット上ですぐさま拡散され、穏やかな日々を過ごしていた祖母は、糾弾の対象となった。その後の彼の悲惨な日々は、尾ひれ葉ひれを無数に纏って一代センセーショナルな悲劇に塗り替えられていた。
私は、自分が生まれる前から続くその構図を理解できず、ただ帰り道にテープレコーダーを持って待ち伏せている大人や、何故だか一緒に帰らなくなった友達に困惑ばかりしていた。いつも元気で優しかった祖母は家の端を眺めてぶつぶつと何かを呟くようになり、家にいる間はほとんど椅子に座って過ごすようになった。
何が何だか、一切さっぱりわからなかった。只、どうしても祖母にも両親にもその事を聞くのが怖くて、聞き出せずにいた。そうして季節が移り8月になっていた。両親は仕事で家には夏休み中の自分と祖母の二人きりであった。祖母は膝に猫を乗せて
「もうすぐ誕生日よね。誕生日プレゼント何が欲しい。」
そう言うと、ぎこちない笑顔を向けた。私は、心臓を掴まれたように硬直し、顔を赤くした。聞くなら今しかない。頭の中では10年と少しの知識がぐるぐると回り、最適解を探していた。ゆっくりと口を動かすと搾り出すようなか細い声で
「おばあちゃん。人殺しって本当。」

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