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【ショート小説】踊り子1号

薄灰色のライブハウスを無数の電飾が瞬いていた。
黄、赤、紫、いくつも不規則に点滅する光に頭はぐるぐると回る。玉虫色のステージでは、踊り子が一人アメリカ仕込みのステップを踏みながら、甲高い歌声を鳴り響かせていた。
光が彼女を照らす度に、白いドレスは色を変え、赤いバレエジュースはしなやかに曲がっている。
元来、暗闇であるはずの地下の空間は大勢の人々でごった返している。
ステージからは、ぼんやりと薄闇の中にこちらを見つめる目線だけが異様に輪郭をはっきりとさせているのがわかる。
踊り子が透き通るような細い腕を天高く上げた。

光も音も一瞬止まり、蒸し暑さだけが辺りを包み込んでいる。

瞬間、溜まった音と光は爆弾の炸裂の様に一面の世界を塗り替えた。
踊り子は掲げた腕をリズムに合わせて、小気味良く振って、観客も同じ様に手を振り出した。


同時刻、天高い夜空を眺めていた少女の瞳から一筋の涙が頬を伝った。
浅黒く日に焼けた頬は、若い細胞の潤いすら奪い去っている。
涙は、ほんの少しだけ渇いた頬を潤すと首筋から消えていった。
麻で作られたローブが月明かりと星の群れに照らされて、ほつれさえも鮮明に切り取っていった。
ふいに、大地を震えさせる爆音が抗えない波の様に押し寄せると、少女を当然の如く飲み干していった。
やや遅れて黄色い光と、また一呼吸置いて真っ赤な炎が全てを包んでいた。
涙は既に過去の世界に置き去りとなっていた。

ステージでは、曲調に合わせてやや音の波が小さくなり、彼女はマイクを両手で持つ。今までよりやや艶やかな声に切り替える。表情すらそれに連動するかの様に、くり抜いた縁取りの中の瞳は湿っている気がする。客達は皆一様に歓声をやめ、聖母を見るかの如く、彼女の一挙手一投足を観察している。母の持つ独特な柔らかさを含んだ声だけが全てを包容する。

その時、天国と地獄の間で、90を超えた老人が
正座して頭を垂れていた。
鼠色の着流しに霞んだ藍色の腰紐がとても見窄らしく頭は白髪が無造作に伸びている。
皮と骨だけとなった顔を上げると窪み切った眼球が普段より濃い黒になっていた。
「何人、殺した。」地獄の入り口に立つ鬼はいきりたち、朱色の舌をべろりと出した。
「数えきれぬ程殺しました。」白い髪が小刻みに揺れ、老人は再び伏せる様に頭を地面に貼り付けた。天国の鬼は無言のまま腕組みをして立っているだけであった。
「こちらへ来い。」地獄の鬼は古びた木の門を開くと老人の腕を掴んで引きずる様に引っ張った。
項垂れたまま、歩く老人の胸には、無数の星と勲章が張り付いていた。

辺りは何度目かの静寂な瞬間を迎えていた。
今までよりも一層に音と光がその力を溜め込んでいるのが伝わる。
暗闇に何か大きな、それでいて不思議なほど確実なものが蠢いている気がした。

瞬間、ステージは一気に黄色一色に照らされると同時、踊り子の声と合わせて奏でられる音楽が世界を塗り替えた。掲げられた白い腕は音楽に合わせて左右に揺れる。空間全てがそれに合わせて揺れる。光のビームに照らされる観客は皆狂気を孕んだ薄気味悪い笑顔を浮かべ左右だけならず上下にも揺れている。ステージ上の踊り子は畳み掛けて、甲高い歌声を重ねていた。

その刹那、この世界の片隅にある仄暗い朝顔の花畑で
たった一輪の朝顔が只静かに紫の滲んだ花弁を
湿りきった地面に落としていた。

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