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【ショート小説】この悲しみをどうすりゃいいの

列島に大きな爪痕を残した台風が死んで、はや2日が経った。死骸の低気圧は、体液のように雨を降らせ辺りは生温い湿度に包まれていた。窓からその雫を眺めながら、僕は散乱した頭を何とか整理しようとして、頭の中の毛糸を更に絡ませていた。何だかわからないけど、いらいらする。霞がかった意識に、もやついた毛糸の綻びが巻き込まれて、曇天の空模様と同じくその色を濃くしている。僕は、いつもの癖でスマホの画面を鮮やかにさせると、一通りのアプリを開いて回った。ふと、SNSを開いてアカウントのホームを見る。通知はゼロで、タイムラインには夥しい数の投稿が溢れかえっている。何がそんなにいいって言うんだ。タイムラインを読み飛ばして、はるか過去に時を戻した時、一つの広告が目に入った。”日本の名水百選“そう名打ったバナーには、見た事もない澄み切った流水にみずみずしい緑の葉が、涼しげに写っている。いやいや、水はどれも味しませんから、同じですから。落ち込んだ意識は、澄み切った流水を羨むように、卑屈な思いをより深く沈めていく。なぁにが名水百選だよ、うっとおしい。そう思ったとき、一つの考えが霞の奥底よりぼんやりと湧き上がってきた。
「そうだ、”日本迷惑百選“を作ろう。」
そう思うと、もう何年も机に鎮座していた学生時代のノートを引っ張り出し、空きページに「1」と大きく書いた。書いたところで早速手が止まり、いきなり面倒くさい思いが込み上げて来たが、それを打ち消すように考えを巡らせた。まずは、「電車で隣に座るデブ」と。
勢いで書いた文章は、側から見ても支離滅裂なものである事が分かった。そうだ、これ解説が必要か。後から見た時に自分でもよくわかんないもんな。僕はデブの横に※を付け、座席スペースから明らかにはみ出ている。入りきれていないのを自覚すべし。もしくは、大人しく立ってろ。と書き出した。なるほど、これはいいな。僕は、普段の生活を思い起こし、ありとあらゆる迷惑(自分目線)と思われるものをノートにぶつけていった。
鳴き声のうるさい犬、何故か横に並んで歩く部活生、くしゃみが鼓膜を貫く上司、色黒茶色の短髪を逆立たせ金色の鎖みたいなネックレスしてる奴etc…
一時間程経ったであろうか、ノートには20前後の項目が並んでいる。僕はいやにすっきりとした心持ちになり、そのまま横になった。心なしか、もやもやを吐き出したおかげで僅かに腹が減った気がした。階段を降りて一階のリビング行くと、外の辛気臭さをそのまま受け入れたように暗いままであった。どうやら両親は既に仕事に出かけたようである。僕は、冷蔵庫を開けると何かしら食べる物を物色した。冷気がひんやりと顔を舐めると、伽藍堂の中にヨーグルトが一つあるのが見えた。手に取り、賞味期限を確認するとまだまだ食べらそうである。スプーンを出して食卓に座ると、スマホの動画を流しながらヨーグルトの蓋を開けた。スマホには、全く興味の無い脱毛サロンの広告がけたたましい音量で、流れている。僕は、少しだけおかしくなってスキップ可能になってからも暫くその動画を眺めていた。先程書き出した「11、全くヒットしていない動画マーケティング」そのものであった。ふふっと笑いながらヨーグルトを一口食べると、脳天に稲妻が走った。酸っぱい。反射するようにヨーグルトのパッケージを見ると、隅の方に申し訳程度の大きさで「プレーン」と書かれているのがわかった。なんてことだ。全然美味しくない。そう思うと僕はニ階に駆け上がり、「21、全然味違うのにプレーンてデカく書かんヨーグルト」と書き殴り、再び笑いながら横になった。

きっかけは、恐らく何もなかった。単に自分の体がこれ以上の連続睡眠に耐えられなかったのであろう。ふと瞼を開けると、自分の部屋が夜の帳を下ろしていた。あれだけ寝たと言うのに、今だにぼんやりと霞んだ意識を振り、スマホの画面を見ると20時17分の表示が闇に浮かび上がる。どうやら、あのまま9時間近く眠っていたらしい。部屋の電気を付けて、階段を降りると、仕事から帰って夕食の準備をしている母がいた。
「あら、何してたの。ところでヨーグルト、食べかけならちゃんと冷蔵庫に戻してよね。直ぐに駄目になるから。」
母はそう言うと、慣れた手つきで玉ねぎのみじん切りと挽肉を混ぜ合わせている。フライパンの香ばしい音が聞こえて、暫くするとほのかに肉の焼けるいい匂いが鼻を抜けて脳に届く。腹減った。母はそんな僕が見えているかのように、背を向けたまま
「今日…ハンバーグでいい?」
まるで真矢みきのように言った。
僕は、あぁと生返事を返すと食卓の椅子につきスマホを取り出した。
「ところで、どお?いい仕事見つかりそう?」
母の声は先程と違い、しっとりとした重みを含んで、耳から胸の奥のあたりにドスンと落ち込んで来た。大学を卒業して早5年、僕はいつの間にか27になっていた。
「22、学ばない、働かない息子」
ノートは何故だかクシャクシャに曲がって、それ以上書くことが出来なくなっていた。

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