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【ショート小説】素数0号

CQCQと打ち込んだ画面を落として部屋に一つだけある窓から外を見た。鼠色の雲からは、はらはらと黒く濁った汚い雪が舞い始めている。眼前にはかつて栄華を誇ったであろう真っ赤な鉄骨の塊が全身に苔の緑を生やしながら食い散らかされた死肉の様に物を言わずに横たわっていた。

僕はキッチンに行くと夏の間に備蓄した水を取り出して、近場で取れた樹液を入れてかき混ぜる。暖炉の火で温めてレモンを一欠片その中にいれると、そのままうとうとと眠りにつきそうになった。もう五年、僕はこの惑星で来るはずの無い、他の誰かの交信を待ちながら一人きりの生活を送っていた。ふぅと温められた息を肺から吐き出すと傍らに飾られた写真立てにそれが絡みついて、写された女性と男の子の色がぼやけていく。瞼はどんどんと重くなり、頭は椅子の背もたれに引き寄せられ、温かな息は肺を超えて腹の底に溜まって全身の細胞に溶け込んでいった。
ピピッピピッピピッ
ふと聞き慣れない音が鳴り、僕は椅子からゆっくりと立ち上がった。リビングの端にあるセキュリティ板を確認してみたが、異常を示すランプは何処にも点灯しておらず、気のせいかと思った。椅子に戻りかけると、一瞬頭の中に通信装置の事がよぎった。まさか、自分の直感を表層で疑いながら、その下で溢れ出んとする期待に鼓動か早くなっていくのを感じる。たまらず駆け出すと、ドアも開け放ったまま、奥にある通信装置の部屋へ入った。

薄暗い部屋には、ただ一つだけある窓からポッカリと穴を開けた様な光が差し込み、その周りを埃が舞っている。ゆっくりと慎重に足を運び通信装置に近づくと、見た事もないランプが薄っすらと赤く点灯している事に気づく。「CQ ALARM」僕は、どくどくと胸から飛び出して来そうな心臓を押さえるため、埃まみれの空気を腹一杯に吸い込んで静かに吐き出した。何かあっては大ごとである。いつも通りの平常心を心掛けて、通信装置を起動させた時、手の平には水滴になりかけた汗がしっとりと滲んでいた。「メッセージ1件」僕は震える手で照準を合わせる様にメッセージを開いた。

「CQ CQどなたかに届く事を祈って、このメッセージを送ります。
残されたエネルギーも後僅か、恐らくこれが最後の通信となります。
今は、12年ぶりの雪が降る夜です。このメッセージを読んでいるあなたはどうお過ごしでしょうか。
私は随分と幸せで、もうすぐ眠りにつきます。
この惑星に未知の毒素が満ちて大分経ちます。
私達移民団は遥か昔、第四の地球を求めこの惑星に辿り着きました。
第三の地球であったステーションを捨て、新天地での開拓は想像を絶する過酷なものだったそうです。
でも、それも今は昔。200年程前の出来事です。
私が産まれたのは、未知の毒素が発見された直後。
世の中は平和から一転、全てが混乱していました。ある発掘調査隊が地層より掘り起こしたものがきっかけだったそうです。調査隊によれば、その物は水を与えると殻から触手を伸ばし成長するそうです。
大地に無数の触手を伸ばし頭には幾多の緑の鱗を広げ、その様は羽根の無い悪魔と恐れられています。悪魔は私達の貴重な二酸化炭素を奪い尽くし、今も酸素と言う毒を振り撒いています。
私達人類も冬季にコールドスリープする事によって、何とか体内に二酸化炭素を留め生きながらえて来ました。
それでも、この惑星で1人になって一年が過ぎました。去年のコールドスリープの際は22人いた人類も、今年は私だけになりました。1人で眠るのは寂しいものです。
幸せとは随分と不謹慎かも知れませんね。でも、それでも私は幸せ。
だって次の春に目覚めれば、また生きていける。
目覚めなければ、愛するみんなの元へ行ける。

どちらにしたって素敵でしょう。

最後の人類としてこんなに幸せな事ってあるでしょうか。出来る事なら、一目だけでも第一の地球を見たかったのですが、それももう叶いません。

ここの二酸化炭素濃度も、大分薄くなっています。少しだけ眠気が来ました。外は深々と雪が降り積もり、もう何も聞こえません。

さぁ、そろそろ眠る事とします。
美しい雪に包まれながら、幸せな夢を見ます。次の春の日にみんなと共に語り合う夢。

このメッセージを受け取ったあなたへ。
それでは人類最後のおやすみなさい。良い夢を。」
あれ程昂っていた鼓動はすっかり落ち着きを取り戻し、僕はいつもの手順でメッセージを打ち込み始めた。
「メッセージをありがとう。受け取りました。こちらも雪が舞う季節に・・・」
届く事の無い想いを綴り、電子に乗せて宇宙を漂わせると、僕はそのまま眠りについた。

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