日記:靄

もう、「もや」なんてイキった漢字なんて使っちゃって。もうきもいったらありゃしないよ。

noteの更新を3ヶ月以上続けていた時はきっと今と同じような気持ちだったのかもしれない。
特にやることも無くて、暇だから病むような。

暇では無いし、やるべきこともやりたいことも溢れてるけど、一旦の猶予期間とでも言うのか。だから、noteを書く手が進む。書いたってどうにもならならないのに。
意味があるとすればこの気持ちに深く浸れるだけ。
浸ることが良い事なのかは知らないけど、気分はいいから、定期的に行うことなのかもしれない。

そんな僕の今1番浸りたい気持ちを。
ボロクソに俺の恋を傷つけたあの忌まわしき女に会うかもしれない。今は別に圧倒的な好きな人がいるし、俺の中で区切りはつけたから何一つ問題はない。むしろ会うことが楽しそうで仕方ない。どうせ第一声はお互いに「久しぶりだね」で終わる。お互いも謝ったりも、あの話のお互いのその後も聞かない。その後はみんなで雑談する程度。俺はそれができるような人間になれた。あっちは元からそんな人間だったと思う。
それが楽しそうで仕方ない。
飛んで火に入る夏の虫であるかもしれないけど、好奇心で生きるのが今の俺だから、それに体を預けて飛び込んでみようかな、って思ってる。

まだ好きだったころにあの子を思って聞いてたアーティストを今聞いている。
reGretGirlって言うんだけど、失恋ソングであふれてて、それも救いなんてなくてただその失恋したって言う気持ちに浸れる素晴らしいアーティストなんだ。聞き馴染んだが故に普通に好きだから聞くけど、もう音楽の力はすごい。初めて聴き込んだ吉祥寺の情景まで鮮明に蘇る。情景ならまだしも匂いまで蘇る。それほど素晴らしい力がある。

あの子ともう一度会うみたいな話になったきっかけは今日遊んだやつの影響。
遊んだやつもその子も同じ部活だった。
近頃俺を除いて遊ぶらしい。
俺はその子とグダグタがあったから、誘われてない。でも、それは寂しいからやめようって話。そんな機会があるなら俺も参加するよ。って言い出したことがきっかけ。

楽しみだよね。
正確に言えばまだ確定してない。
行きたいって伝えてーって言って行けるなら行く。
みんな目線が気まずいなら行けないね。
俺が部外者で当事者が乗り気なら、こんなにも面白い現象絶対に見たいと思うのに。

そんな気分に浸っている日の夜でした。

やはり、自分に無理をさせないために、自分を嫌にならないために、ローのテンションで生きていきたいんだなと、実感する。明るく楽しい日々もどこかでふと自分に嫌気がさすかもしれない。そうなることは嫌だ。だから、常にローテーションでいたい。そのために深い感情に浸る。

別に今のところは楽しい日々なのに。
そこに自分を嫌う要素なんてないのに。
でも、まだ一浪って言う自覚のない足枷がついてまわってるのかもしれない。原因は知らないけど、大学で出会った友達とこれまでの他の友達と比べる。人としての善し悪しじゃなくて自分の立ち回りを比べる。ハイになればなるほど扱いに差が出てくる。出会ってからからの時間が違うから形が違うことは当たり前ではある。けど、大学生活を純粋に楽しみたいからこそ、これまで楽しく遊んできた人たちと会話と大学の新しい友達との会話の違いが今の楽しんでいる気持ちは純粋なものなのかどうか不安にさせる。
ふと大学の友達と話している時の自分を俯瞰すると気持ちの悪さを感じる。なんだこいつの話し方は、と。
使っている思考回路は同じだ。だから、別に変なところはない。でも、謎の気持ち悪さを感じた。
一個下のみんなと俺は上手くやれているのだろうか。
きっとそんな不安と気持ち悪さ。
人生最大の不安を解消した後、楽しみを込めた大学生活。想像の何倍も変だけど、何十倍も充実してて楽しい。だからこそ、考えてしまう不安。
みんなが俺を必要としてくれている時点で上手くやれていると思う。でも、それを信じきれない僕もいる。信じきれないと言うか僕が「みんなと違って一歳年上なんだ。」と言った時のことを考えると不安にもなる。浪人生ということをカミングアウトすることは気にはしてないと言う話は僕個人の視点の話。あんなに仲良くバカにしてた人が一個上って聞けば、何かしら感じるだろう。どっかで言ったけど僕に隠す心の範囲は特にない。だから、言ってしまっても構わないとさえ思ってた。そうはいかないみたいだね。

たぶん、ここでいくら語ったところで整理はつかないし、伝わらない。そういうもんだ。考えるための時間を浸ることで作るのかもしれない。

こういう日はなんとなくの作詞をしたくなる。