フィクションまたはノンフィクション

中学生の頃だったかな?
初めての部活動にはじめましてのクラスメイト、初めての中学生の授業。どれも新しいものだから私は当然のように浮かれていた。
最初で最後しかない中学生、小学生のときとは違って制服もあるし、部活動もある、他の学校から来た初めて合う人達そのどれも私にとっては新鮮なものだ。
中学生活のおそらく1番古いであろう記憶は夏のプールのあと、まだクーラーなんかついていない教室、汗臭い匂いと20数人の圧迫感にイライラし始めた頃、隣の男子生徒がなぜだか挙動不審になり始めたの。
私の方をチラチラ見て、席替えをして少ししか経っていなくてその男子生徒とは対して仲良くなかったの。
その時は特に気にしなかったのもうすぐ帰りの会が始めるっていうのもあってちょっとあせってたの、早く準備しなきゃって。
家に帰ってからなんで隣の席の男子生徒が挙動不審だったか分かったの私がワキガだったの。滑稽な話よ全く。
私の匂いがダイレクトに届いたんでしょうねその子に。
それから私は制汗剤をこまめに使うようにしているの今も家を出る前は必ずつけて、外でも持ち歩くようにしているわ。多分思春期になって体が変化したのね、高校に上る前に治ったもの。
これもまた古い記憶なのだけれど、中総体っていうんだったかしら?あれに運動部の人たちが出るからって顔も知らない運動部の人たちのためにメッセージを書かされたの。私は吹奏楽だったから運動部の2,3年生なんて面識がなかったからなんて書いていいかわからなくてかなり時間がかかったわ。
詳しくは覚えていないのだけれど、先生が、私にピアノは弾けるかって聞いてきたの。しばらくしたら合唱コンクールの練習が始まろうとしていたのよ。
私は趣味程度の気持ちで毎週ピアノ教室に通っていたからもちろん「弾けます」って答えたの。小学校の先生に中学校で各クラスに1人ピアノ弾ける人が置かれるっていうのは言われていたから「アレのことか」って思っていたの。それで「合唱コンクールの伴奏をしてくれない?」的なニュアンスのことを言われて私は「無理です」って答えたのちゃぁんと「無理です」って答えたの。
一語一句きちんと覚えているわけではないから多少は違うかもしれないけれど、私はちゃんと無理って言ったのよ。
でもその先生引き下がらなかったの当時の担任なのだけれど、「あなたしか弾ける人がいないの」「お願い」って。
私は昔から責任感が強かったし、誰かに頼られるのがちょっとは嬉しかったから「まぁいいですよ」って答えたのでも、これが間違いだったのあの時私がちゃんと「弾きたくない」って言えてたら何かが違っていたはず。
私のクラスは荒れて他の、ほかの3クラスの人たちから学級崩壊が起きてるとまで言われるしまつ。
給食中に特定の4人くらいかしらね、その男子が騒ぐのよ。
1人が箸をわざと落としてトイレに行って、その少しあとからまた行くみたいなの。数分しないと戻ってこないの馬鹿よね
他にも給食中に下ネタを言ったり、私は中学生の時は下ネタがわからなかったから全く覚えていないのだけれど、まあ優しい感じの下ネタだと思うけど、ごめんなさいね覚えてないわ。
これは3番目くらいに古い記憶なのだけれど、私の耳元で特定の男子2人が「おしっこ」「おっpい」なんて言うの私はなんとも思ってなかったし、内心笑ってたわ。
しょうもないなって思って笑ってたの。これに関しては当時はちょっと楽しかったの。

ここからする話は、私自身が崩壊するお話よ。
合唱コンクールの伴奏をすることになったのだけれど、私は音楽を本気でしたことはなかったの。ただの趣味。それ以上でもそれ以外でもないし、それ以上にもなれない。
中学校の吹奏楽部に入ったのはピアノをやってたかたってこともあったんだけど、本当は演劇部に入りたくて、でもそこではやってなかったからその時我が家でぷちブームだっ卓球部に入ろうと思ったんだけど男子しかなかったから吹奏楽と芸術部と迷って吹奏楽部に入ったの。それが失敗だったのね、吹奏楽部は真剣に大会優勝に向かって練習していたの。私は趣味の延長という認識で入ったから自分と先輩たちとのギャップを埋めようととにかく練習を頑張ってたの。楽譜をよめるだけで、全部が初めてだったからね。

ピアノの伴奏は比較的かんたんなものだったのだけれど、ピアノのレッスンをしてくれている先生に相談したら私が弾くと2,3ヶ月かかるって言われたの合唱コンクールまでは1ヶ月と少しくらいだっったかしら?
部活の厳しい練習と中学校の難しい勉強とピアノの練習なんて両立できるわけないの。
週に1回あるテストに合格できないと放課後補習があって部活に遅れていくことになって、それでまた先生に叱られて、
思っていた中学生活ではなかったと思うの。だんだん笑わなくなって食べる量も確実に減って、死にたいって毎日考えてここから死んだら学校にどんな迷惑がかかるかってそればっかり。
人間追い込まれるとこうなるのよ。

私は結局伴奏はしなかったわ、そこからピアノは嫌いになったの。音楽もきらいになった、二度とこんなことはしたくない。

ピアノが弾けないのならせめて歌はちゃんと歌はちゃんと歌おうと思ったの、私が1番声が出ているとどの先生にも言われるくらい頑張ったわ。でもね、練習で歌わない女子の子がいたの学級委員の女の子が友達みたいで歌わない子をちらちら気にしてたんだけど、注意はしないの、だから私がしびれを切らして怒鳴るみたいに注意したの。普段から授業中は寝ていたし、そういう積み重ねが溜まってたんだと思う。怒ったところで何も変わらなイノだけれど、そのあとに、学級委員の女の子に注意してくれてありがとう、私は言えなかったから。みたいなこと言われてブチギレるかと思ったわ。委員長の信頼はそこそこ高かったのに地の果てに沈んだの。

2年生になってまた合唱コンクールの季節がきたの。私は歌えなかった。せっかく頑張ろうと思ったのに、夏休みも集まって練習するよていがあったんだけど、どれも出ないで部活にもいけなくなって8月3日だったかしら、そこら辺から学校にいけなくなったの。
部活もやめたの。辛かった。

学校には別室登校して授業は1人に1台配られるタブレットで見ていたんだけど、それを聞いているときに
「不登校とかありえない」
「なんで学校こないの?」
コソコソ楽しそうに話す声が聞こえて今まで張り詰めていいた糸がぷつんと切れたのそこから別室登校もしなくなったし、タブレットでの学習もしなくなった。
2年の担任は頭がおかしくて、なぜか私が別室登校していることをクラスに言って、しかも意味のわからないクラス全員のメッセージがついた色紙までプレゼントしてくれたの。
私が別室登校していることをクラスの人に言ってもいいなんて言わなかったし、そんなこと聞かれもしなかった。色紙だってほしいなんて言ってない。悪口をいう人達の色紙なんて欲しくないし、対して仲良くない人の感情のこもってないゴミなんていらないからすぐ捨てたわ。
しばらくゴミ箱に突っ込んで放置してから捨てたの。清々したわ

その後転校して楽しい中学生活を過ごせたし、修学旅行も転校前の学校では絶対に楽しめなかったと思う。

私は、環境を変えることでなんとか今生きているけれど、1歩間違えれば自殺までいっていたの。
言葉とは凶器なの、何よりも鋭利な刃物なの。
心の傷を治す薬はないの。
心的外傷を負って生きていかなければならないの。
フラッシュバックして、苦しい生活を過ごさなきゃいけないの、
あなたはわかる?分かってもわからなくてもいいの。
ただ、言葉は自分に帰って来るの。
あなたにもいつか返ってくるかもしれないわよ?
私にもいつかなにか返ってくるの。

もし今いじめで苦しんでいるならいじめている奴らを社会的に殺すことを推奨するわ。
今の社会、いじめには敏感だものすぐ拡散されていじめた奴らも黙認してた学校もただでは済まないの。
私も社会的に殺しておけばよかったって後悔してる。
中学時代に書いていた遺書日記も粉々にして捨てたから証拠が何もなくて後悔してるの。
本当は社会的に殺して、2度と真っ当に暮らせないように家族もろとも潰してしまいたいと思っているの。でももうできない。全部捨ててしまったから。
私の人生はめちゃくちゃになったの。
みんなみんな殺してしまいたい。
でもそれじゃあだめ。
もっと苦しんでもらわないと。
社会的に殺して社会復帰できないようにして、末代まで呪いたいくらい。





これはフィクションだと思う?
ノンフィクションだと思う?
この「私」って作者?それとも私?
空気もまた殺人の道具なの。
精神的いじめ。
見えない傷をつけておいて自分はのうのうと生きれると思ってはだめ。


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