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小料理屋の悲劇 #1

*この物語は、『新潟市中央区オステオパシー(整体)』の施術者が創作したフィクションです

越潟(えつがた)県中央部の所轄署である越潟警察署の地域課に勤める私・杉田昇(すぎたのぼる)は、署内の直属の上司と、その上の県警の上司に命じられ、ある男の見張り役をしていた。その男は上川光希(かみかわみつき)という名で、私と同じ越潟警察署の地域課に勤め、ともに交番勤務をしている。彼は、一度県警の刑事部捜査一課に呼ばれ活躍していたが、所轄署に戻っていた。私も詳しくは知らないが、上司との間にトラブルを起こし、捜査一課をお払い箱になったそうだ。それから県警は、彼の動向を注視するために、彼を県警のすぐ近くにある交番に勤務させているようだった。

私が彼の見張り役を仰せつかってからおよそ3か月が経つが、彼はふてくされることもなく、それどころか比較的明るい雰囲気で、交番勤務をこなしていた。しかも、警察官が彼を訪ねてくることが時々あった。捜査一課でともに仕事をした人たちが主で、雑談をしたり、情報交換をしたりすることもあったし、彼の助言を求める人もいた。さすが「捜一の若きエース」などと噂されていた男だけあって、彼を慕い、頼りにする人が未だにいるのだと、私は理解した。私は上司にその様子も報告していたが、彼を気に食わないであろう人たちでも、さすがにただ警察官が警察官と話をすることを、とがめることはできないようだった。そしてそのうちに私も、見張り役として上司に報告することとしないことを、自分で選ぶようになっていた。

例年と違いほとんど雪が積もらずに冬が明けた2024年春のそんなある朝、警察官以外の人間が彼を訪ねてきたのを、私は目にした。私が日勤で午前8時に交番に着くと、私と入れ替わりで当直を終えるはずの彼が、交番内でお互い椅子に座って、若い女性と話をしていたのだ。それが、私が初めて彼の優れた能力を目の当たりにすることになる、この事件のきっかけだった。その女性は、長い黒髪をポニーテールにし、スカートを着けていて、黒い薄手のコートを羽織ったまま彼と話していた。表情は深刻な様子だった。

「おお、杉田、おはよう」彼がそう言い、私が挨拶を返すと、上川は自分から今の状況を説明し始めた。「この人はね、宇野凛々子(うのりりこ)さん。うちの管内にご両親と住んで、越潟大学に通ってる女子大生」私が彼女に会釈をして彼女がそれを返すと、上川はさらに続けた。「一昨日、小町(こまち)の『癒し安らぎ』っていう小料理屋で、女将さんが殺された事件があったでしょ?その時、女将さんと閉店まで一緒にいたバイトの子が、この宇野さんと同じ大学で、同じサークルなんだって」小町とは、越潟県の中央部にある古くからの繁華街だ。ただし小町は、私たちの勤める越潟警察署ではなく、隣の越潟中央警察署の管轄であり、現在そこにその事件の捜査本部が組織されている。

「え?そうなの?」私は目を丸くして、上川と宇野の顔を交互に見た。

「そうなんだよ」うなずき、上川は続けた。「しかも、二人が入ってるのはミステリー研究会っていうサークルで……、そういう性格というか、興味や関心もあって宇野さん、なおさら事件の真相が気になるらしいんだよ。でも、そのアルバイトの子、名前は江藤芽衣(えとうめい)さんというんだけど、事件のショックと、自分が犯人扱いされてることが不安みたいで、学校にもサークルにも来なくなっちゃったんだって」

「それで──」上川は続いて、宇野と面識があることの理由も述べた。「たまたま俺、巡回の時に宇野さんの家を訪ねて、宇野さんと直接話したことがあって、宇野さんがミステリー好きだっていうこととかもなぜだか話題になって、それで、何かあったら県警前の交番にいるから来てねって言ってたんだ。……まあ、それが、今の状況ってわけだよ」

「ふうん……」私はそう言うと、上川の近くにあった空いた椅子に座った。机を挟んで、私と上川の向かいに宇野が着席した状態で、話をするようになった。交番勤務をする警察官は各家庭を巡回訪問することがあるが、それだけのきっかけで女子大生が交番を訪ねてくるようになるとは……。私は、上川がちょっとうらやましかった。彼は、警察官にしては細身で髪が長く、物腰もどこか柔らかで威圧感がなく、普通のお兄ちゃんに見える。さらに、顔も悪くない。そのせいだろうか。

上川に促され、宇野は江藤の様子を話し始めた。「芽衣は、私とは、サークルの中では比較的仲が良い方でした。あの事件の日から、芽衣は学校に来てません。もちろんサークルにも。『ニュース見たけど、大丈夫?』ってLIMEを送ったら、こんな返事が……」LIMEは、日本で最大のユーザー数を持つ連絡アプリだ。宇野は、スマートフォンの画面を私たちに見せてくれた。そこには、「いや、もう忘れたい、犯人扱いされてるみたいだし、もうやだ、やだ」とテキストメッセージが映っていた。絵文字などの装飾はまったくなかった。その後も宇野は心配するメッセージを送信していたが、江藤の返事はあまりにもそっけなく、やがて二人のコミュニケーションは途絶えていた。

「宇野さんは、江藤さんが犯人だと思う?」上川が言った。

宇野はしっかりと首を振って、答えた。「まさか!そんなことありえませんよ。だって普通の子だし……、というか、遠越(えんえつ)からこっちに来て、最初は古い寮に入って、バイトしながら、奨学金借りて大学に通ってる、真面目な子ですよ?そんな人生終わらせるようなことするほど馬鹿じゃないですよ。しかも、自分を雇ってくれてる小料理屋の女将さんを殺すなんて……、理由がなさすぎます」遠越とは、越潟県でもこの近辺からは離れた地域で、遠越からこの近辺の越潟大学に通学するのは難しい。

「今は寮を出たの?江藤さんは」

「はい。今は大学の近くのアパートに住んでます」

「何で?寮の方が安いでしょ?家賃」

「そうなんですけど、古いし、プライバシーもないし、それで、バイトでお金も余裕ができたから引っ越す、って本人は言ってましたけど」

「そう」上川はうなずいた。そして続けて尋ねた。「いつ引越ししたの?今の住まいに」

「3か月ぐらい前だったと思います」

「そこでのバイトは、どれくらい前からやってるか知ってる?」

「ええと……」少し考えて宇野は答えた。「もう1年近いと思います。長いですよ。確か、去年の5月かな……、コロナが落ち着いてきた頃に募集してたのを見つけたって言ってたので」

「そう」うなずき、上川は続けて尋ねた。「江藤さんが自分のことを犯人扱いされてるって言うのは、どうしてなのか、わかる?事件が起きた状況とか、聞いてるの?」

「いいえ」宇野は首を振った。「私はニュースを見ただけですし、さっきのLIMEのとおりに、芽衣もまともに会話してくれない感じで……」

「なるほど……」椅子の背もたれに背中を預けた上川は、宙を向いてしばらく考えている様子を見せ、やがて言った。「わかった、宇野さん。じゃあ、この一件、俺なりに手を尽くしてみるよ。で、後日連絡すると思うから、連絡先を教えてくれる?あと、さっきのLIMEの画面、もう一回見せてもらえるかな?」

「はい……、ありがとうございます」深刻さと不安がまだ消えていない表情で、宇野はうなずいた。

宇野と連絡先を交換した上川は、再び表示してもらったLIMEの画面を、自分のスマートフォンのカメラで撮影した。そして彼女が交番から去ると、上川は自身のスマートフォンで音声通話の発信をして、話を始めた。

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