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一時代の終わり、そして・・・

今シーズンをもって「平成の怪物」こと松坂大輔が引退した。

「松坂世代」と言われた代表的な選手がユニフォームを脱いだ。

1998年高校野球春夏連覇し西武ライオンズに入団した松坂は日本ハム戦で片岡を155kmのストレートで三振を奪い衝撃を与えた。

4月には千葉ロッテマリーンズのエース黒木と投げ合う。

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この投げ合いに破れた松坂は「リベンジします」という言葉を発し、「リベンジ」が流行語大賞になった。今コロナ禍の「リベンジ消費」はここからきている。

翌月には天才打者イチローとの初対決を迎える。

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松坂はイチローを3打席三振に抑え、

「自信が確信に変わりました」というのは名言になっている。

新人からいきなり3年連続最多勝をあげ、ライオンズ不動のエースとして2006年まで君臨した。

2007年からメジャーリーグに挑戦し、2年連続15勝以上をあげ、ボストンレッドソックスの世界一に貢献した。

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また2006年、2009年のワールドベースボールクラシックにでも世界一に貢献し、MVPになった。

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しかし、メジャー3年目以降、怪我などにより成績が振るわず、2015年に日本球界に復帰。

ソフトバンクが3年12億円で契約したものの、1試合しか一軍で登板できず周りからは「ぼったくり」の批判を浴び続けた。

2018年、中日ドラゴンズと格安契約。

6勝するなど怪我からの復調をみせたが、2年で契約を打ち切られ、2021に古巣西武ライオンズと契約した。

しかし、高校時代から三振をとりにいくスタイルだったのと、肘に負担がかかるスライダーの多投により、松坂の肩はボロボロになっていた。2021年、一度も一軍で投げる姿はなく、ついに引退を発表した。

引退試合。打者1人限定で先発をした松坂。

渾身のストレートは120km台。コントロールも定まらず最後は四球で終わった。

シーズン終了後のファンフェスティバルにて松坂は正式に引退スピーチをし、23年の現役に終止符をうった。

スピーチを終え、ファンのいるグラウンドを一周していた時、オーロラビジョンが光った。

それは・・・

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