柿の実 猫の木 ヨリの庭
文藝MAGAZINE文戯16 Fall 巻頭企画「秋の味覚」掲載作品です。
お題に合わせて 随分以前に書いた初稿「びわの実」を秋らしく「柿」に変えたことで 色々調整に悪戦苦闘。毎度、猫の出て来る思い出深い作品です。
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◆柿の実 猫の木 ヨリの庭◆
「『庭の柿』だよ。凄いでしょ」
ビニールの袋にどっさり入れて それをうちに持ち込んだのは幼馴染のひよりだ。
──見た目は悪いけど、こういうのこそ美味しかったりするんだよ。
ひよりは慣れた様子で我が家のキッチンに入り、果物ナイフを出して皮を剥き始める。食器棚から果物用の皿とフォークを二つ選ぶ、ひよりの動きには迷いも遠慮も無い。うちのダイニングテーブルの三つ目の椅子は 足が床につかない頃からずっと、ひよりの指定席だ。
満面の笑顔で差し出された「庭の柿」は、カリカリと硬い上、甘みも少なく、なかなかに不味かった。
看護師の母は夜勤で留守。こういう夜は昔からひよりが必ずやって来て だらだらTVなんか見ながら夜食を食べて他愛もない話をし、そのまま寝落ち。今回いつもと違うのは、今月の末にはひよりの家がもう、隣じゃなくなってしまうということだ。転居先は「超」が付くほど古い木造の平屋で、庭に大きな柿の木があるという。どこがそんなに気に入ったのか私にはよく解らないけれど、ひよりは引っ越しの日に向けて、せっせと庭の草抜きや家の掃除に通っている。
「来月から本当にいないんだよねぇ」
不味い柿をフォークでつつきながら私が言うと、
「大丈夫だよ、柿持ってまた来るし。まだまだいっぱい実がなるよ」
ひよりは鼻歌なんか歌いながら、テーブルに柿を一つずつ並べて言う。ごつごつした不揃いの、ちょっと虫食いもある柿たちでも 台所の蛍光灯の灯りの下、オレンジにつやつやと光って見える。
「そんなに要らないよ、食べきれない」
「あ、不味いって思ってるよね、シンちゃん」
「まあ、うん、そりゃ……」
「こういう時こそ、新レシピの開拓だよ、ほらジャムとかさ、砂糖で甘く煮たの、何て言ったっけ……それから」
「サラダとか 酢の物?」
「そうそう、さっすがシンちゃん」
ひよりは嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして笑う。保育園の頃から全く変わらない笑顔だ。
保育園の栗拾い、一年生の時の芋堀り、子供会の梨狩り、いつでも一緒に行った。自治会の「ぶどう狩りバスツアー」にも二人、お年寄りに混ざって参加した。
栗は栗ご飯や甘煮、お芋はまずは焼き芋、そしてスイートポテト。持ち帰った分を合わせて、母さんたちに教わりながら作った。梨やぶどうは生ぬるいし、そんなには食べられなかったけれど、二人でそこにいるだけで楽しかった。
「いつも『収穫』が少なくて悔しがったのは私だった」
「ふふふ。いつもシンちゃんよりあたしの方がちょっとだけ運がいい。場所とか、タイミングとか」
「ヨリが引っ張ったら大きな芋が沢山繋がって出て来たけど、私はちっちゃいの二個だけ、とかね」
「栗はさ、もともとあんまり落ちてなくて、事前に先生が撒いてたんだって。みんな、そこに沢山あった、あそこで見つけた、なんて大喜びだったのに」
「子供だましだよねぇ」
「大人も結構騙されてたんだよ。『こどもの無邪気』にさ」
ひよりの目がきらりと光る。ひよりが実は、結構大人びた考え方をする子供だったってことも、私は知っている。
スマホで「柿、美味しくない」とか「レシピ、柿 硬い」とか入れて検索しては結果を見せ合い、「秋の味覚の思い出話」で時を過ごしていても、急に月末の別れの実感がわいてきて 無口になる。
「そうそう、あの庭ってね、色んな猫が来るんだよ。縁側の下で寝てたり、虫や鳥を追いかけたり。ねぇ、猫って木に登って遊んだりもするのかなぁ」
「『猫のなる木』だって、ほら」
喋りながら見つけたネットの画像をひよりに見せる。一本の木の上にたくさんの猫が居るヤツだ。
「いいなぁ、こういうの。ほんとに『猫のなる木』だねぇ」
私の手元を覗き込んで、ひよりは嬉しそうに大きく頷いた。
ひよりの大好きな生き物たちが、その庭でのびのびと遊ぶ姿を想像する。きっとこの引っ越しはひより母娘にとって幸せな選択なんだろうと思う。
*
翌日の夜、ひよりが訪ねてきた。
もう柿はいいよぉ、なんて返事をしながらドアを開けたら、小さな猫を抱いてひよりはぼんやり立っていた。
「ばか。何、連れて来てんだよ。煩いご近所にバレたらどうすんの」
ひよりと私の住むこのマンションは犬猫飼育禁止だ。大急ぎで猫とひよりを引っ張り込んだ。ドアの開閉の音だって気を使う。夜に訪ね合う時は 特に、「しーっ」と指を唇にあてながら 忍び足で両家のドアを行き来した。
ひよりがあまりに神妙な表情をしているので、ともかく話を聞くことにする。
「ヨリ、ココアでも入れるっか。ソイツは普通のミルクとか飲んでいいのかな?」
ひよりがポケットから「子猫用」と書かれたミルクの箱を取り出して差し出す。準備万端。
ひよりは、ココアの入ったマグカップを両手で包んだまま口もきかず、瞬きさえせず固まっている。 誰かが一時停止ボタンを押して全てを停止させてしまったんじゃないか、そんな気になる。そしてこれが永遠に続くのではないかと恐ろしくなった時、猫がたて続けに大きなくしゃみをした。ひよりの黒目がうろうろ動き、やっとぼそぼそと語りだした。
──昔からさ、あたしと麻美さん(ひよりは母親を名前で呼ぶのだ)、 週末にはぶらぶら家を見てまわるのが趣味だった。古臭い、縁側のある平屋。ペンキのはげた木枠の窓。庭に猫が出入りする、柿とかびわとか、そんな実のなる木がある家。ステテコ姿のおじいちゃんとか出てきそうな家、そういうのに憧れた。
庭に咲く花の種類や垣根のペンキの色、何匹も飼うつもりの猫たちのことなんかを二人で好き勝手に想像してたら、それだけでふわふわ楽しかった。
日曜日って買い物に行くと家族連れが多いじゃない? 何となく二人、スーパーマーケットを通り過ぎて当てもない散歩をしたの。だからさ、麻美さんがあの家を見つけて、引越ししようって本気で決めて来た時、あたしと麻美さん……猫のいるのんびりした静かな日常 、そんなのを当たり前のように思い描いてたんだ。
シンちゃん、解る?私が「それ」を知った時どんな気持ちになったか。
「それ」の意味がよく解らないので、先を促す。
「今日、この子を連れて帰ったら、秋山さんが来てた」
ひよりをうんと若いころ産んだ麻美さんは ひよりの父親と別れてからも常に恋をしている。恋人が変わると服装や雰囲気ですぐに解るし、そういうことを全く隠さない人だ。
──誰とも長続きしないのは 私がいるせいなのかなぁ
ひよりに悩みを打ち明けられた時もある。
だけど、どうやらそれも彼女の恋愛のスタイルで、ひよりに責任はない── 本当の意味で当たっているのかどうかは未だ解らないけれど私たちの出した、それが結論だった。
恋人と別れた夜はひよりが彼女をよしよしと慰めて眠らせる、そんな母娘関係も、聞き慣れればなかなかほほえましく感じられた。
「麻美さんに言ったんだ。『ほら、この子、くしゃみばっかしてるんだよ。お医者さん連れていこうと思ってさ』って」
その猫はずっと前から公園でよく見かけて、ひよりがすごく気に入ってるって言ってた子だ。
「来月には引越しするんだし、あそこなら飼ってやれる。だから、少しの間 ここで様子見てやってもいいかなと思ったんだ。なのに」
痩せているため、目ばかりがぎょろりと大きいその猫を見たとたん、いつもお洒落で落ち着いた笑顔の秋山さんが 「ぎゃっ」とも「ひゃっ」ともつかない奇妙な声を出し、麻美さんの後ろにこそこそ隠れたらしい。
冷めてしまったココアをくるくるかき回し、できた渦をじっと見つめたままひよりはその先を続ける。 感情を抑えた色のない声。
「引っ越したら一緒に住むって言うんだよ。結婚するって。そんな話聞いてないよ 。今まで全然聞いてないよ」
「良かったじゃん。やっと長続きする人にめぐり合えたんだ。ヨリは、麻美さんの恋愛、応援してたんじゃなかったっけ?」
「でも……でもね。あの人さ、苦手だから猫は飼いたくないって言うんだよ。それも、そんな病気の猫なんかって」
猫がクシュンとくしゃみした。ひよりはティシュで鼻水を拭ってやる。
「それだけじゃないんだ。それだけじゃなくって」
「どうした?」
「大きなガレージが欲しい、汚い野良猫が来ないようにしたい、あの古くさい庭は潰すんだろう?とか、家はリフォーム?すっかり建て替えるんだったら引っ越しは延期にしなくちゃね、とかさ、もう訳わかんない」
*
ひよりはその後ずっと押し黙ったままだ。秋山さんはもう帰ったから、と麻美さんが迎えに来ても帰らない。
思い描いてたものが、急にすっかり違う風景になってしまったのだ。ひよりだって混乱しているのだろう。その日ひよりと猫は そのまま、うちに泊まることになった。
わざわざ布団を敷いてやったのに ひよりは私のベッドにもそもそ入って来る。どうせ寝付けないんだし、一晩中愚痴でも聞いてやろう、そうハラくくったのに、ひよりはうつ伏せになったままわざとらしい寝息を立てている。猫は外に出たいのか窓やドアを引っ掻くし、やっとうとうとしかけたらクローゼットのドアをゴツンゴツンと音を立てて開けようとする。そのまま私は一睡もできなかった。
次の日、私は学校で爆睡、ひよりは猫を医者に連れて行くと言って、そのまま学校には来なかった。ひよりがうちの家でずっと待ってるんじゃないかと思うと気が気でなく、子猫用のキャットフードをお土産に買って慌てて家に帰った。ドアを開けたら母が待ち受けていて
「ひよりちゃん、ずっとうちに居たよ。でも帰らせた。麻美さんとよく話し合うように説得したからね」
ため息ついて 私に言った。
*
翌日、ひよりの家に猫の様子を見に行った。
「クシャミ猫、元気か?」
「うん、薬貰った。結構タチの悪い鼻炎みたいでさ。 隠して連れ出すのに気を使ったよ」
ふと見るとひよりの机には担任から配られた進路指導のプリントと小冊子が載っている。猫の薬の袋と診察券の傍には、近所の不動産屋のチラシが無造作に置いてあった。 私の視線に気がついて、ひよりは言った。
「あれからずっと考えてたんだ。家、出てみるのもいいかなって。 猫飼っても文句言われない住み家探すんだ」
「あの家に住むの一番楽しみにしてたの、ヨリじゃない。何でそんな」
でもひよりが好きなのは「あの庭」、住みたいのは「あの家」だ。それは私もよく解っている。
「いい機会だし、麻美さん、子離れさせてやろうかな、なんてね。だけど、家賃と学費はキツイし、就職目指すとしても卒業まではどうしよう、とかさ、結構悩むよね」
さっきまで窓際で寝ていた猫が大きなあくびをした。伸びをした後すり寄ってきて、ひよりの膝に座る。
「麻美さんには、ちゃんと相談してるの?」
「大事なことを全然相談してくれなかったのは麻美さんだって同じじゃない。」
*
「猫がいないの。どうしよう」
次の日の夜遅く、泣きそうな顔でうちに飛び込んできたのは麻美さんだ。
「ベランダの窓が開いてたの。私 気がつかなくて」
「ヨリは?」
「外、探すって飛び出していった」
「解った、手分けして探そう」
「ありがと、シンちゃん」
麻美さんは私の手を取って大きく頷くと、私が靴を履くのも待たず先に駆け出した。
それから何時間経ったんだろう、三人で必死で探し回ったけれど、猫はどこを探しても見つからない。
「明日、また公園に行ってみよう。心配ないよ、大丈夫だよ」
慰めてたのはひよりの方だった。
「さっき、あの人、秋山さん来てたわよ。すぐ帰ったけど」
額に汗、手に土、身体に草のにおいをつけ、疲れ切った表情で戻って来た私たちを迎えたのは 憮然とした表情の母だった。
ひよりたちが帰ると 母の分もコーヒーをいれ、さっき母が言わないでいた何かを無理やり聞き出した。事情を話し、今、手分けして猫を探している、と説明すると 秋山氏は速攻、言ったそうだ。
「とりこみ中みたいだし、僕、今日は帰ります」
そして 笑顔で続けた言葉。
「猫って、自分の死期を悟ると姿くらますとか言うしなぁ」
息を弾ませたひよりの顔が浮かぶ。そして、ひより以上に真剣な麻美さんの表情。私なら結婚相手が猫嫌いだったとしても、それだけなら全然構わないけれど 、麻美さんの男を見る目、大丈夫なのかな、ひより母娘の今後を思ってかなり不安になった。
*
──ヨリへ 「オイラは独りが案外好きで、自由気ままに生きたいので……」
このまま猫が見つからなかったら。 勉強も手につかず、そんなことばかり考えていた。 まさか本当に死んじゃったりしないよね。もやもやした気持ちで 私はひより宛のメールの画面に文字を打ち込んでいた。
──よりちゃんへ 「ずっとたのしかったよ。よりちゃんがいてよかったです。 ありがとう。さようなら」
──ひよりさま 「ありがとう。もう一度生まれてきても ひよりちゃんに会いたいです」
──ひより殿 「ちょっと ぼうけんの旅に出ます。またね。大好きだよ」
こんな手紙やメールを今まで何度、私はひよりに書いたことだろう。ペット禁止と言っても小動物は飼える。小鳥、金魚、ハムスター……ひよりの家には今までも色んな生き物がいた。
そして、その生き物が「いなくなる」度、落ち込むひよりを見ていられなくて 私はそいつ等の手紙を「代筆」してきたのだ。そいつ等の「ほんとうのところ」なんか知らないけれど、それが私の冴えない頭で考えた、精一杯のことだったのだ。
──こんなのちっとも慰めにならないや
もうこんな子供騙しを喜ぶ歳でもない。解っているのにそんな言葉ばかり、画面に打ち込んでは消した。
もし このまま猫が戻ってこなかったら、ひよりは麻美さんとあの家で暮らせるんだろうか。秋山さんとも家族になれるんだろうか。
「くしゅん」
猫のくしゃみが聞こえた。いつの間にか私の部屋の網戸とクローゼットのドアが少しだけ開いていた。
*
引越しのトラックが来て 、ひよりの家から荷物が運び出されていく。
あっという間に過ぎた一か月だった。
あの日以来麻美さんは猫を手放すどころか更に可愛がり、秋山さんの足はだんだん遠退いていった。うちの母があの時の様子を教えたかどうかは解らないけれど、麻美さんの秋山さんに対する見方は違ってきたみたいだった。
「もういいのよ、あんな男」「どこが好きだったのか 全然解らなくなっちゃったし」
麻美さんは笑う。いい笑顔だ。
それでもきっと散々泣いて、ひよりに慰めてもらったんだろう。 髪もばっさり切って、ショートになった。
──あの男ってさ、猫嫌いなだけじゃなく、本当は他の生き物も、おまけに子供も好きじゃなくって 、その上、新築のマンションでなきゃ嫌だなんて言い出したんだよ 。
ひよりが呆れ顔でこっそり教えてくれた。
麻美さんが車のドアに手を掛ける。いよいよ出発だ。
猫の入ったキャリーバッグをひよりは大事そうに抱えて乗り込んだ。二人に大きく手を振る。
進みかけた車が少し行ったところで止まる。ひよりが駆け戻って来て 何も言わずに私に抱き着いた。
荷物が運び出されたがらんとした隣の家に風が吹き抜ける。
「ひよりちゃんもあんたも、いつかは親離れするんだよね」
母は私の肩に手をやった。いつの間に私は母の背を抜いたんだろう。
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ひよりの引越しから数日して手紙がきた。手紙なんてもらうの、何年ぶりだろう。
差出人の住所は「猫の木のある家(予定)」、差出人は「クシャミ猫、改め『アラタ』」。どうやら鼻炎もすっかり治り、あの猫に私の名前(「新」と書いて実はアラタと読む)が付けられたようだ。
「シンちゃんへ
ここは とても居心地のいい家です。木登りはまだ練習中です。ボス猫とカラスがちょっと怖いです。
シンちゃん、ボクは最初にミルクをいれてくれたシンちゃんが とても好きです。
シンちゃんのクローゼットはあたたかくて、もぐりこんだら気持ちよくなって ついつい眠ってしまったんだよ。いっぱい探してくれて ありがとう。
そうそう、ひよりも元気です。ひよりもシンちゃんが大好きで、お隣同士になれて良かったって言っています。ずっと仲良しでいてやって下さい。
柿の実はまだまだたくさんつきそうです。ジャムにゼリーにコンポート。柿ケーキや柿タルトもいいな。美味しいものを色々、ひよりと一緒に作って下さい」
ひよりの丸っこい字が並んだ便箋を、かさかさ畳む。 熟した柿の甘い懐かしい香りがしたような気がした。
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