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【短編】生まれてこなくちゃいけなかったんですか?

 この世には様々な「縁」が溢れている。

 その中でも異様な強さを秘めている縁は、……おそらく、「血縁」だろう。

 「血は水よりも濃し」という言葉もあるように、血縁関係は、様々なものを濃く強くする。
 顔かたちが似てくることもあるだろうし、共有できる思い出や感情が増える。
 だからこそ、人はそう簡単には孤独になれないのだろう。

 そして濃く強いからこそ、――負の面に転じた際には、もう手に負えない。

 2016年に法務省が発表しているデータによると、摘発された殺人事件(未遂も含む)のうち実に半分以上の 55 %が親族間殺人だという。

 親戚同士で命を打ち消し合う。
 家族が憎み合う。
 兄弟がお互いの首に手をかける。

 この行為の意味を、少しだけ理解できそうになるのは、なぜだろうか。

 ……――「血は水よりも濃し」。

 透明をかき消す程の赤。
 その赤は、「血」の色なのだ。


… … …

 教誨師はその死刑囚の監房に入る前に、大きく息を吸いこみ、胸に手を当てながら静かに瞳を閉じた。
 この監房の中にひとり震えている哀れな死刑囚に、言葉も尽くせぬ深い情を、彼は傾けた。

 誰にも知られぬ深い祈祷の後、……彼は監房へと足を踏み入れた。

「はじめまして」

 干からびた鼠色のコンクリートに囲まれて、その女性は大人しくベッドの端に腰かけていた。背筋を伸ばし、教誨師へと視線を投げかける。

「ワガママを聞いてくださってありがとうございます」

 女性の声はとても細く、そして震えていた。
 黒髪の隙間から覗くおでこは可愛らしい曲線を描いており、目の形や表情の浮かべ方には、どことなく幼さを感じた。

 彼女は先月成人したばかりだったのだ。

 女子というには大人びており、女というには成熟していない。……その年頃でしか醸し出せない特殊な雰囲気だった。

「囚人番号1427、島崎しまざきやよいです」

 彼女は……「死刑囚」だった。
 たしかによく見れば、その顔の中には深い影が浮かんでいた。目の下にはくっきりとクマが浮かび上がり、少し話す度に唇の端がひくつく。体が全体的にげっそりして見えるのも、この環境に対するストレスからかもしれなかった。

 そして何より……その焦げ茶色の瞳が全てを物語っている。

「ワガママだなんて思っていませんよ」

 教誨師は、穏やかな声で、彼女……島崎に話しかけた。中途半端な猫なで声とも違う、静かで深いポツポツとした話し方だ。

「私の仕事は、この世にひとりしかいないあなたへ……少しでも慰めを与えることです」

 教誨師は、部屋の隅に転がっていた椅子に手をかけ、島崎の前に持っていった。そして、ゆっくりと腰をおろす。

 ふ、と小さく息が擦れる音がした。

 島崎が悲しそうに息を吐き、顔を覆ったのだ。
 教誨師は急かすでもなく、ただ瞬きをする。
 しばらくの沈黙が流れ、……ようやく、監房の中にくぐもった声が響いた。

「わたしは、常識のある女だったんです。だから分かります、わたしがやってしまったことが……どれだけのことなのか」

 その声音は、すっかり打ちひしがれていた。

「それでも言わせてください。……常識なんてものを、超えて、わたしは……。わたしは、こうしないと……さもないと」

 彼女の名前は、島崎やよい。囚人番号1427。

「その時を生きていけなかったのです」

 ――明日、刑が執行される。


***

 ……。

 ……わたしは、四人兄弟の末っ子として生まれました。兄・姉・兄・わたしの、四人です。
 はい、そうですね。よく言われました。「なんだかバランスがいいね」って。
 上の兄弟とわたしとは、結構年が離れています。
 わたしが今20になるんですけど……一番上の兄が、32歳で。それから、姉が……30歳だったわけで。それから……二番目の……兄が……。

 ごめんなさい。……ごめんなさい。
 体が震えてしまって。とまらなくて。

 ……えっと。二番目の兄が、28歳です。

 はい。兄たちは普段家にはいないんです。
 一番上の兄はもう結婚していて……今、子供もふたりいます。二番目の兄は、大学院生やってて、大学の寮に入ってました。ただ、あの事件後は……寮を追い出されて……。

 え? 辛ければ深く語らなくてもいいんですか?
 ……あ、ありがとうございます……。

 ああ、……ああ。

 あれ? わたし、何の話してましたか?

 ……家族の話。それじゃあ、両親の話もしないといけないですよね。そうですよね……。

 両親は共働きでした。それはそうですよね。家族が六人もいるんだから。

 父と母は……いい人です。善人です。
 兄弟四人を全員大学まで行かせてくれたし、ご飯も洋服も、ちゃんと与えてくれました。姉の薬代や入院代だって、きちんと用意していたし。
 どこまでもちゃんとした人、です。

 だから、可哀想……。

 わたしのせいで、これからは誰にも理解されなくなる。責任を押し付けられる。
 ……常識のない奴だと、言われ続けるんでしょうね。

 え? ……わたしが、どんな子どもだったのか、ですか?

 そうですね……わたしは昔から、とにかく人間関係が不器用な女の子でした。そして、その不器用さは周囲の人間をイラつかせる類いのものでした。
 いや、別に被害妄想でこんなことを言っているわけじゃなくて。

 よくあるじゃないですか。

 三人で話していたはずが、いつの間にかひとりだけ居心地悪そうにしてるとか。
 みんなと仲良くしたいのに、話し出すとなぜかその場が白けるとか。
 きちんと団体行動してるつもりが、動きがなんだか気持ち悪いとか。

 もちろん、十人十色なんて言葉もあるし、「それも個性だよね」って大体は受け入れてもらえるんですけど。
 だからって、そういうのばっかり繰り返す人と、一緒に楽しく行動してくれないじゃないですか。

 これでも、努力はしてたんです。

 余計なことは言わない、みんなの言う事には必ず「YES」と言って従う、姿勢正しく気持ち悪い動きはしない、客観的に見て図々しい態度はとらない……って。

 これ、他の人に言ったら「変な人だなあ」「自然体でいいのに」って言われるから、……まあ正論なんですけど、でも、わたしは努力をし続けないといけない人間だから、誰にも言わず、とにかく目立たないように生きてきたんです。

 大学二年生の終わり頃からは、ようやくなんとか落ち着いてきて。
 学校で顔を合わせたらニコニコ雑談できる程度の友達はできるようになったんです。席も隣同士になって、わたしの話に笑ってくれて、課題どうしようかなんて愚痴も言い合って。……流石に休日に遊びに行くみたいな関係性ではないけど、赤の他人ではないよね、みたいな。

 あ、鬱陶しがられてはないな、みたいな。

 そりゃ裏で何言われてるかどうかまでは分からないけれど、そこまでは管理できないから。
 だからせめて、表では平穏でいさせてね、という感じで。

 大学ではずっと取り繕えていたはずだと思います。

 バイト先でも、その格好は崩していませんでした。

 スーパーでレジ打ちのアルバイトをしていたんですけど、周囲は基本的にパートのおばさんが多くて。もう、女の世界で。空き時間とかスゴイんです。目まぐるしく話題がぐるぐる回るんです。
 どこの店のものが安いとか、もっとこうしたら仕事の効率良くなるのにねとか、ペットの話とか、子供の話とか、……家族の愚痴とか。
 こういった話題を、スーパーで働く同僚の悪口も織り交ぜながら甲高い声でとにかく話すんです。

 わたしはバイト先ではずっと「受け身」を貫いていました。

 お客様に対しても、全部「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」で受け流しましたし、パートのおばさん達のお話もニコニコ突っ立って聞いていました。そのせいで、おばさん達からは「あなたずっと笑ってるわね」って嫌味を言われました。だけどそれも、流すしかありませんでした。

 しっかりバイトして、お給料をたっぷり貯めて、余裕を持って出ていきたかったからです。

 はい。
 大学生になってからのわたしの一番の夢は……「家を一日でも早く出ること」でした。

 ……ここで、姉の話をしないといけません。

 ああ、……吐きそう。

 大丈夫です。
 ……大丈夫。とにかく、話します。

 そもそも姉の様子がおかしくなりはじめたのは、わたしが小学校四年生の頃です。姉は、高校三年生で、受験生でした。

 ……そうです。わたしが小学生の頃から、「アレ」は始まってたんです。

 姉は、必要以上に人に対して神経質になり始めました。
 とにかく、人の視線を気にするようになったんです。街を歩いていると、「なんだか通り過ぎるみんながウチを見ている気がする」とか「家族が裏でこそこそウチの悪口を言っている」とか言い出すようになって。
 わたしが洗面所で母と会話していたら、とんでもない形相で、「うっせえよ」と乗り込んできたこともありました。わたしたちはただ新しく買い足したボディソープの話をしていただけなのですが、姉からしたら「ウチの悪口で盛り上がってるんだ」という風に見えたようです。

 ――みんなウチのことを知っているんじゃないか。

 そんな風に思い込むようになり、イライラしだすことが増えていきました。

 最初は、ただただ受験勉強に気疲れしていただけだったのかもしれません。

 姉はわたしたち兄弟の中で一番「継続力」があるタイプで、昔から宿題忘れなんて一切しない優等生でした。中学ではたっぷり褒められて、高校も地元で有名な所に入りました。運動神経も良い方で、運動部ではムードメーカーだったみたいだし、後輩にもたくさん慕われていました。
 その反面、自分の夢や目標というものが薄い人間でもありました。
 ……ここからはわたしの勝手な考えを話しますが、……姉は「継続する」という行為が得意だっただけで、勉強にもスポーツにも特別愛着があったわけではないのだと思います。幼い頃、「好きな教科は?」「嫌いな教科は?」と聞いても、「どれも大体好き」みたいな曖昧な返答でした。
 好き嫌いで物事を怠らないその態度は学校生活を何となくやり過ごすには十分でしたが……「進路選択」には不向きだったようです。

 姉は、高校三年生にして、「自分がどこに向かえばいいのか」が分からなくなったのです。

 わたしも振り返ってみれば、「高校三年生」って特殊だったなと思いました。
 だって、「中学三年生」までは……進路といっても大体道筋が見えているわけじゃないですか。ほとんど全員、高校に進学するに決まってますよね。余程の事情と本人の希望が噛み合わない限り、中学卒業と同時に「就職」はあり得ません。

 でも、高校を卒業したら必ず大学に行くわけではないですよね。

 そもそも第一志望に落ちて浪人生活を体験することになるかもしれないし、……大学ではなく専門学校に入る道を選ぶ人もいます。みんなより一足早く就職して社会人になる人もいますよね。
 大学や専門学校を選択するにしたって、全員が全員、同じ分野を選択するわけじゃないです。
 理系・文系だけでも様々な学部があるし、……美術系の大学もありますしね。

 誰が何の道を選択しても何も不思議ではない。
 ――これが、高校三年生で迫られた「進路」でした。

 ……ちょっと長々と語りすぎてしまいましたが、こういう進路のアレコレって、正直、誰かに何を言われなくても薄々勘づいていくものだと思います。
 勘づいて、うまいこと軌道修正して、何とか道を模索して……みたいな。

 ただ、姉はこれができなかったんです。
 自分が何をしたいのか分からず、そして「誰に何を求められているのか」が分からなかったんです。

 そのことに焦って苛立って……その姿を誰かに見られているのではと不安がった。

 きっと、最初のきっかけは思春期特有の、よくあるモヤモヤだったんだと思います。

 ……最終的な話をすると、姉はそのモヤモヤを結局最後まで克服できなくて、大学受験に失敗しました。
 何校か大学を受けていたのですが、全部落ちたんです。
 横でぼんやり見てたわたしが言うのもなんですが、はっきり言って、姉はどの大学も大して行きたくなかったんだろうな、と思います。どの大学も世間的に響きが良い名前ばかりでしたが、志望している学部も学科も全部バラバラ。「進学した先で、何が勉強したいの?」と小学生ながら大きく疑問に思いました。空気を読んで、何も言いませんでしたけど。

 それにこの出来事以降の方が、わたしの心をかき乱したので、この出来事はわたしの中にはそこまで残っていなかったんです。

 ――まあ、姉の心にはびっちりとこびりついていたのかもしれませんけど。

 大学受験に落ちてしまったのなら、大学進学はできません。

 「それなら覚悟を決めて、予備校にでも行って浪人生活をしようか」
と、大体の人はなるのかもしれません。
 いや、お金事情が厳しい方は独学で努力するのかもしれませんし、バイトをしながら勉強を続けるのかもしれません。
 何をどうするのであれ、その選択は勇気あるものだと感じます。

 ただ、姉は、……その勇気を持てなかったようです。

 受験に失敗した姉はとにかくふさぎ込むようになりました。
 朝はずっと眠り込んで、昼に起きて、バイトも勉強もせずぼんやり過ごして、ダラダラ長い夜を過ごし、深夜に眠って朝は寝過ごす……。
 大体、そんな感じのルーティンでした。

 その間も、姉の不安は高まっていきます。ブツブツひとり言が多くなり、自分の姿がとにかく嫌になった姉は、ずっと部屋に引きこもります。パソコンをずっと開いて、ネットショッピングばかりしてました。

 まず、母がイライラしてきました。
 ネットショッピングはするくせに外には出ようとしない姉に、小言が多くなっていきます。
 一回姉が何万円もするサプリメントを買おうとしたことがあって、その時、母が大きな声で「よく簡単に何万円も出せって親に言えるわね」と苦しそうに言っていたのを聞いた事があります。
 ひょっとしたら、ネットショッピングのお金は、全部母が払っていたのかもしれません。

 次に、一番上の兄が大声を出すようになりました。
 元々、一番上の兄と姉は、性格が合わなかったのです。
 一番上の兄は、よくも悪くも男性的な性格というか……嘘や矛盾の無い行動をとる誠実な人ではありますが、その分他者の感情に対してドライすぎるんです。目標に向かってまっすぐ努力し続けたからこそ、正論で相手に迫る、っていうか……下の兄弟たちには常に鋭い言葉を突き付けていました。
 わたしも散々説教されましたよ。「お前は甘やかされて育ったから、妥協が染みついてるんだ」って、言われたことがあります。いやあ、まあ……これを言うとみんなドン引きするんですけど、……割と「上の兄弟あるある」なんですよ。やっぱり長男なりの苦労を背負ってる分、下の兄弟には強く当たりがち、っていうか。流石に「あんまりだな」と思った発言にはわたしの方から「それはひどい」って言い返しましたよ。そういうのを繰り返して、兄弟って「人に言っちゃいけないこと」を知っていくんじゃないですか。
 ただ、姉は兄の鋭い発言に対する返しがうまくできなかったみたいで……余計ストレスを胸に抱えてしまったんだと思います。
 朝食の席で、姉が熱いココアの入ったマグカップを一番上の兄に投げつけたりしたことありました。
 あの時の、食卓で湧き上がった声。……忘れられないなあ。

 その点、二番目の兄は、やり過ごすのがうまかった印象です。
 部活があるから、塾があるから……と、家に長くいようとしませんでした。家の中がうるさくなったら、公園に素振りをしに行ったり、走りに行ったり。
 二番目の兄は社交性がある方で友人も多かったので、心の支えも多かったのかもしれません。もちろん、兄なりの悩みはあったでしょうけど、わたしはよく分かりません。
 今も昔も、二番目の兄はあんまり家にいないんですから。正直、何を考えて生きているのだか、わたしはよく知らないんです。

 父は、家族の中でも一番現実的に動いていたのかなと思います。一家の大黒柱だったので、家にいる時間こそ短かったのですが、その分姉のことを客観的に見ている節があり、カウンセリングを一度受けてみてはどうかと、母とよく相談していました。母は、カウンセリングや病院という単語に対して戸惑った表情を浮かべるばかりでした。母の中では、姉はただ少し気疲れしているだけにしか見えなかったようです。

 ……わたしは、ずっと家にいて、これらの様子を見ていました。

 だって、当時小学生だったんです。
 夜中に近所を歩き回りたくても、親に「どうしたんだ」って止められるし。

 だから、わたしは「ただただ見ているだけの係」でした。

 そのうち、一番上の兄は家を出て自分の力でしっかり生きていくようになりました。
 二番目の兄は、さっさと留学に行き、自分の能力を伸ばしていきました。

 小学生から中学生になったわたしは、遠ざかっていく兄たちの後ろ姿を見ながら、いつも思っていました。

 ……「どうして行ってしまうのかなあ」と。

 残されたのは、父母と姉とわたし。父母は共働きで、遅くまで家に帰って来ません。
 つまり、……わたしと姉だけしか、家にいなかったのです。

 いよいよ姉がおかしくなったのだと、そう悟ったのは、中学三年生の冬でした。

 当時のわたしは映画を観るのにハマっていました。レンタルビデオ店に足繫く通っては、いろんな作品を借りていました。
 借りる作品の雰囲気は、大体似たり寄ったりでした。ラストは絶対にハッピーエンドで終わる、感動系。映像や音楽が美しいとさらに最高で、主人公の努力や思いが報われないと、絶対に嫌でした。
 幸せな余韻にたっぷり浸ってエンドロールを眺めながら、「映画後の登場人物たちはどんな風に幸せに暮らしたのかなあ」と想像を膨らませるのが一番の喜びだったんです。

 そういうわけで、その日もDVDを借りていたんです。
 何の映画を借りていたんだか、もう覚えていません。内容も、パッケージも、出ていた俳優さんの顔すら、全部曖昧です。
 それでも、……それなのに、途中まで「楽しいな」「面白いな」と思いながら、リビングのソファに体を沈めて、わくわくテレビにかじりついていたんです。

 ……。

 …………。

 その時、……だったんです。
 ひゅっ、と短く音が響いて、次の瞬間グッサリと頭に衝撃が走って。……頭のてっぺんに、鋭い痛みが広がったんです。

 振り返りました。振り返りますよね、そりゃ。
 何、って思って振り返って。……振り返って……。

 そしたら。

 ――……姉、だったんです。

 ぜえはあ、口から息を出し入れして、姉が立ってたんです。右手にはリモコン持ってて……その持ち方を見てすぐに悟りました。

 「あ、わたし、リモコンの角で今殴られたんだ」って。

 わたしが脳内で状況を整理し終わった瞬間、姉はわたしに怒鳴りつけてきました。

「なんで、そういう事を言ってウチを苦しめるの」
「なんで、あんたは姉を敬えないの」
「兄弟仲良くっていう道徳を、あんたは知らないの」
「ご先祖様があんたの後ろで起こってるよ」
「ご先祖様が」
「ご先祖様が」
「ご先祖様が」
「ご先祖様が」
……

 本当は、もっと話の内容が詰まっていたのですが、細かいことは覚えていません。
 覚えていたところで、支離滅裂な内容だろうし、わたしには何の関係もない話だと思うからです。
 姉が喋っている内容は、全部わたしの頭をすり抜けていきました。

 ベラベラ責めたてる姉を見ながら、わたしが思ったことはただ一つ。

 「この人は、一体誰だろう」……ということでした。

 その夜、わたしは頭のコブを親に見せながらこの事を父と母に報告しました。
 父と母はそれを聞いて顔を真っ白にし、翌日すぐに姉を病院へと連れて行きました。わたしは頭のコブを作ったまま、普通に学校へ行きました。

 夕方、家に帰ってくると……父と母はいたのに姉はいませんでした。

 姉はどこに行ったのなんて一言も聞いていないのに、母が全部教えてくれました。

 姉は、重大な心の病気だったこと。
 そして、病院に連れて行った結果、そのまま入院が決まって手続きも終えたということ。

 わたしは、母の話を聞きながら相づちも打ちませんでした。興味も湧かなかったのです。正直、頭の上でずきずき痛むコブに対しても、何の感情も湧いていませんでした。

 ただただ、体から力が抜けていくのを感じるばかりでした。

 中途半端な返事を返し、わたしはまたレンタルビデオ店に向かいました。手には昨日見ていた……そのくせ内容はまったく覚えていないDVDを持っていました。
 で、返却して。……またDVDを借りました。

 その時借りたDVDは、よく覚えています。
 特にラストシーンは覚えています。主人公が弾切れになった銃を片手にただただ絶叫するラスト。主人公の家族は全員死んでしまって、主人公を擁護したり理解する人間はひとりもいなくて。

 分かりやすい、純粋透明なバッドエンド。

 ……そうなんです。その日から、バッドエンドの映画も観れるようになっていました。
 なぜか分からないけれど、その映画を観た後、涙が止まらなくて。
 一晩中、泣いていました。

 とは言っても、何をするにもお金ってかかりますよね。

 いつまでも姉が病院にいるわけではありませんでした。
 半年ほど経ってから、姉は戻ってきました。わたしは高校生になっていました。兄ふたりは、もう家には寄りつかなくなっていました。年末年始の数日間ぐらいでした、まともに顔を合わせたのは。

 ……たくさんありますよ、その時の話は。

 姉はずっと部屋で誰かと会話していました。
 あなたはもっとこうしなきゃ、と壁に向かって誰かを励ましたり、説教したりしています。
 ご飯もまともに食べず、お風呂にも入らず、部屋をぐるぐる回って、ずっと会話していたのです。

 逆に部屋に入りたがらない時もありました。
 そういう時は、家の台所にずっと座り込んでいるんです。
 台所にいるときは、常に水を飲み続けていて……舌が擦り切れて真っ赤になるまで飲み続けていました。

 姉は現実的な存在に噛みつくようになりました。
 例えば、母に対して「うっせえよ」と叫び出したり、「自分はご先祖様と話すので忙しいから」と開き直って現実世界を手放すようになったのです。

 わたしは、段々姉のことが人間に見えなくなりました。

 その頃のわたしは、わざわざお小遣いでDVDプレーヤーを買い、自分の部屋に閉じこもって映画を観るのにハマっていました。
 グロテスクでスプラッターな映画に、特にハマりました。
 動画サイトで心霊動画を見るのにもハマっていました。

 露骨に晒される狂気。
 目に見えない恐怖。

 スナック感覚で、わたしはそれらをガツガツ貪りました。

 実は、この時の体験は後々までわたしの大事なストッパーになっていました。

 正直わたしは、その頃にはもう「姉が家にいなければいいのに」という思いが湧き始めていたのですが、だからといって、真っ赤な惨劇を自分が引き起こすのは躊躇しましたし、もし霊魂だの何だのがあった場合、姉はずっと家にとどまっているのだろうなと思ったら、「逆にこっちの気が狂いそうだ」と感じたのです。

 それでも、そうは思っていても……大学生へと成長したわたしは段々と捻じれていきました。

 小学生の頃から、ただ眺めている係のわたしではありましたが……それなのに、姉の態度そのものがストレスになって、どんどん生きるのが苦しくなりました。

 よく夢を見ました。今朝も見た夢です。
 わたしの話を、誰も聞いてくれない夢です。
 わたしは一生懸命話しているのに、みんなわたしの話を真正面から「間違っている」と否定してくるのです。だから、わたしは言うのです。
 ――「なんでわたしの話を聞いてくれないの」、って。
 時々わたしは、寝ながら大声でこれを叫んでいるみたいで、自分の声で目が覚めることもありました。

 後ろをよく振り返るようになりました。
 誰かがわたしを監視しているような気がしてきたんです。
 道行く人の顔をじっと眺めるようになりました。わたしの方を見ていないことを、確認したくてしたくてたまらなかったのです。

 わたしはたしかにおかしくなっていて、多分誰かに相談しないといけないんだろうなとちゃんと分かっていました。

 ただ問題は、わたしがきちんと動けなかったことです。

 大学の友達はそういうのではないし、バイト先のおばさんに話そうものならどんな話に展開して広まっていくか、分かったもんじゃありません。

 病院に行くのが一番でしょうが、行けませんでした。

 病名がついたら、お金が発生するからです。

 お金が発生したら、家を出て行く準備が遅れるからです。

 ――だからわたしは、「少しの辛抱だ」と自分自身に言い聞かせて、なんとかその日その日を生活していました。


 ……だけど、どうしてもわたしは耐えられなくなりました。


 ――事件前日、わたしは初めて一番上の兄へSOSの電話をかけたのです。

 ガチャリと電話が繋がった瞬間、わたしは小声で兄に訴えました。その時わたしはベランダに出ていて、大声を出せる環境ではなかったのです。

「わたしも、おかしくなりたい」

 そう言うと、わたしは涙がボロボロ止まらなくなりました。
 突然のことに流石にびっくりしたのか、兄はいくつかわたしに質問を投げかけてきました。
 もちろんわたしは、兄の質問にしっかり答える気でいたのです。

 ……しかし、どうでしょう。

 今まで傍観者に徹していたのがよくなかったのか、わたしは何も答えられなくなりました。
 自分が何を言いたいのかさえ、よく分からなかったのです。

 すると、苛立った兄がわたしに言いました。

「黙って察してくれ、なんてただの甘えだ。お前、楽してんだろ」……と。
 そして、「これはオレが苛立ってキレて言ってるんじゃない。愛情で言ってやっているんだ」とも言われました。

「言われているうちが華だと思え。ババアになったら、誰も何も言ってくれないんだぞ」

 ――ひょっとしなくても、兄の言う事は正論だったのでしょう。
 それでもわたしは、この言葉を受け止められるほど、安定した状況ではなかった。

 わたしは、一言投げかけて、電話をブツリときりました。

「誰も何も言ってくれなくなったら、わたしが責任持って死ぬから、大丈夫」


 そして、……その日はやってきました。

 その日の夜は父と母の帰りが遅く、わたしは「晩御飯を作っておいてくれ」と頼まれていました。

 わたしはその言葉通り、晩御飯を作りました。
 シチューか何かだったと思います。
 メニュー通りの手順で、しっかり作りました。腐りかけた肉や野菜なんて使っていません。ちゃんとした料理を作ったんです。

 そりゃあ、前日、あんなことがあったわたしでしたが……それでも家事をこなすぐらいの常識はまだ残っていたのです。

 あんなことをしでかすきっかけを与えたのは、他の誰でもない、姉でした。

 ……。

 ……もう、ダメです。限界。
 これ以上、細かくは話せません。もう嫌です。

 ただ、……はっきり言いたいのは。

 姉が、吐いたんです。わたしの料理を。
 喉がもっこり不自然に膨らんだのを、よく覚えています。
 うそでしょ、と瞬きをした次の瞬間には、……べっちゃり、机に広がって。

 ――「ご先祖様が、ウチに吐かせた」なんだと、姉は騒いでいました。

 ――いつも通り、ひとりぼっちで。

 気づけばわたしは、立ち上がって。走って。
 最初は台拭きを取るつもりでした。

 ……だけど気づけば、包丁を持っていました。

 くるりと振り向けば、姉の後頭部が見えます。
 姉はいつものように見えない誰かと話していて、わたしの存在や行動にはまったく意識を向けていなかったんです。

 ストッパーが、粉々に砕けました。

 血の惨劇に戸惑いはなく、霊が家に漂っていても「それはそれでいいかな」と思いました。肉の体でぶらぶら徘徊される方が、かえって目障りだなと思いました。

 そこからは、一瞬のことでした。

 勢いよくそれを振り下ろしながら、わたしはぼんやり思いました。

 ――いつかのリモコンの仕返しが、やっとできたな。

……と。


***

 そこまで語ると、島崎の顔が真っ青になった。
 教誨師が駆け寄ると同時に、島崎は顔を下に向け、……自分の膝に向かってゲエッと吐いた。教誨師の服にもそれはかかったが、気にしている場合ではなかった。

 語り終えた島崎は、土色の顔をしていた。
 死人の一歩手前のような、そんな顔をしていた。

 刑を待たずに、今にも棺桶に入ってしまいそうな雰囲気だったのである。

「誰か、呼んできましょう」

 教誨師はそう言って立ち上がろうとしたが、じっとり汗で湿った島崎の手が彼の腕を掴んだ。熱い汗が、彼の服に染みこんでいく。

「あなたをここに呼んだのは……一つ、聞きたかったからなんです」

 島崎ががばりと顔を上げ、教誨師の顔を覗き込んだ。蚊のように細い声とは裏腹に、その瞳は強く太く教誨師を突き刺していた。

「わたし、後悔できないんです」

 口の端に吐しゃ物の欠片をくっつけながら、島崎は語った。

「姉を殺したこと、後悔できないんです。むしろ……」

 眉をぐにゃりと曲げ、目の縁が赤く染まる。そのくせ、口角は若干上がっており、鼻先が少しふくらんでいた。

 ――島崎やよいは、複雑な表情を浮かべながら、何回か口をパクリパクリと開閉した。
 しかし、何の言葉も発することができなさそうだった。

 それを恥じたのか、島崎の顔がどんどん下がっていく。それでも、教誨師の腕に置かれた手の力が弱まることはなかった。

「どうか、教えてください」

 教誨師に深く頭を下げながら、この若干20歳の女性は尋ねた。


「わたしはなぜ、生まれてこなくちゃいけなかったんですか?」

 教誨師は、無言を貫いた。
 黙ったまま……ただただ島崎やよいの後頭部を眺めていた。

「生まれてこなくちゃいけなかったとして……」

 島崎やよいは、また尋ねた。



「それは、なぜですか?」



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