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ホワイティ・ブルースの国にやって来たジミヘンという“黒船”

5年前に、お台場の「Zepp Diver City Tokyo」で、ジミ・ヘンドリクス爆音フィルム・コンサートを観に行ったことがありました。

http://www.110107.com/s/oto/page/zepp_jimi?ima=2456

1980年代に、当時流行っていた「英会話喫茶」に友達と出掛けて、イングリッシュ・ネイティヴ・スピーカーたちと与太話に花を咲かせていて、もし私が外国人になったとしたらどういう名前がいいかという話になり、何故か、キミはHENDRIXのイメージがすると言われて、思い付く人物の名前はジミ・ヘンドリクスしかいなかったので、大変嬉しかったものです。

ヘンドリクスという言葉の響きは、どちらかというと理屈っぽいドイツ人のイメージがあるそうで、ジミ・ヘンも、実は家に帰ると独りボブ・ディランの詩を読み耽っていた内省的な人物だったというエピソードが映画の中で紹介され、ジミの意外な側面を知ることができたのは収穫でした。

確かに、それを踏まえてジミの歌を聴くと、フレーズ毎にちょっと投げ出すような唱法に、ボブ・ディランの影響が見て取れますね♪

爆音コンサートと銘打っただけのことはあり、終止大音量でジミ・ヘンのギターが掻き鳴らされていましたが、合間に、彼に最初に音楽の手ほどきをした父親をはじめとする様々な人たちにインタビューしていましたが、特に白人を中心とした著名なロックミュージシャンやギタリストが、彼の死後にインタビューに応じていましたが、もちろん、彼を大変リスペクトしつつも、本音としては、彼がこの世から居なくなって正直ホッとしていたのが垣間見えて驚きました。

ジミのロックシーンへの登場は、もちろんミュージシャン全員にとって一大ショックをもたらしましたが、彼らも“同業者”ですので、このままでは商売上がったりになるのではないかという恐怖に苛まれていたのが、あっという間にこの世を駆け抜けていってしまったことを大変残念に思うとともに、実は少々安堵したというのが偽りのない気持ちだったのではないでしょうか。

やはり、彼ら白人のブルース・ミュージシャンにとって、黒人(ただし、ジミ自身はアフロ・アメリカンの父親と、チェロキー族の血を引く母親とのミクスチャーだそうですが)がロックのグルーヴに乗せてギターを掻き鳴らしながらシーンに躍り出たのは、まさに、ホワイティ・ブルースを謳歌していた彼らの国に、突然“黒船”がやって来たかのような気持ちに陥ったのでしょうね。

そこが、我々ファンとミュージシャンとの間に横たわっていた深くて暗い溝=キャズムがあったものと思われますね。

この映画で面白かったのは、当時のオーディエンスの反応ですが、前列組はノリノリだったのですが、遠巻きに見ている連中は、呆気に取られていたように感じられましたね。

それまでは、キンクスとか、ヤードバーズとかアニマルズとか、ロックとはいえ、正統派の音楽のフォーマットで演奏されていたのが、ジミヘンになると「パープルヘイズ」などのよく知られた楽曲以外は、完全に騒音と化していましたからね。

後にセットリストが世に出て検証されるようになりましたが、当時のオーディエンスにとっては本当に爆音ばかりが聞こえるライブだったように感じられました。

そこで、久し振りにジミヘンの生涯をWikipediaで“再トレース”してみました。

ジミヘンものの音声&映像記録は、1970年代から、FM放送やリイッシュー&トリビュート・アルバムや海賊版、ミニシアターでの上映会やインターネットやDVDなどで追体験していますが、いつも新たな発見がありますね♪

そういえば、1990年代のはじめに、フジテレビの深夜放送で「寺内ヘンドリックス(寺ヘン)」という、ギターフリークをターゲットにした番組が放映され、その後、CS放送でのリピート放映を観たものです。

寺ヘン=寺内タケシ&ジミ・ヘンドリクスのことで、寺カン=寺内貫太郎一家にも掛けていましたが(笑)。

さて、Wikipediaに、ジミヘンとザ・フーの関係について言及されていたのでご紹介しますね。

なお、ピート・タウンゼントのWikipediaにもジミヘンの名前が出てくるので、なかなか興味深いですよ。

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ジミヘンとザ・フーとの関係について
~Wikipediaより

ザ・フーとの関係

モンタレー・ポップ・フェスティバル(1967年6月)には、ヘンドリックスと同様に楽器破壊パフォーマンスを売りにしていたザ・フーも出演している。

主催者は、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとザ・フーを連続してステージに登場させようとしたため、両バンドは大いに困惑した。

先に出演した方が、観客に与える衝撃度が確実に高いからだ。

フーのピート・タウンゼントはヘンドリックスに「君は天才ミュージシャンだが、俺達には楽器破壊の芸しかない。先に演奏させてほしい」と懇願したという(タウンゼントの談話)。

両バンドの話はまとまらず、主催者側のジョン・フィリップス(ママス&パパス)がコインを投げ、その裏表で出演順を決定することになった。

結果、ザ・フーが先、ヘンドリックス達は後という出演順になっている。

ヘンドリックスがギターに火をつけたとき、キャス・エリオット(ママス&パパス)は「ギターを壊すのはあなたの専売特許だったんじゃないの?」とタウンゼントに話しかけたが、タウンゼントは「昔はそうだったが、今はジミのものだ」と答えたという。

タウンゼントはヘンドリックスのギターに惚れ込み、ヘンドリックスの渡英後間もない時期には可能な限りステージに通い詰めていた(タウンゼント本人の談話)。

ヘンドリックスが出演しているクラブにタウンゼントが出向いた際、出入り口でジェフ・ベックと擦れ違い「あいつ(ヘンドリックス)、お前の技をパクってるぜ」と言われたというエピソードがある。

実際に演奏を聞いてみたところ、「俺のトレードマークに変化が加わっていた」とタウンゼントは驚いたという。

ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとザ・フーは、宣伝担当エージェントが共通で、しばしば同じステージに立ったりしていた。

イギリスでは、ザ・フーの方が先にデビューしていたため、ヘンドリックスがザ・フーの前座として出演することもあった。

ピート・タウンゼントは「ジミから『ザ・フーのみんなにはとても世話になった』と丁重に礼を言われたことがある。だが、本当の友人になることができないうちに、彼は死んでしまった」と、残念そうに語っている。

※※※

ジミヘンのカバーアルバムで、隠れた名盤をご紹介すると、ギル・エヴァンス・オーケストラの『プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』 と『時の歩廊』ですね。

特に、『時の歩廊』では、まだ、独立する(名前が広く知られる)前のデヴィット・サンボーンがこのオーケストラに所属していて、エース・サクソフォニストとしてソロを取った「リトル・ウィング」のエモーショナルなアルト・サックスのディストーション・ブローウィングが堪能できます♪

http://blog.livedoor.jp/jikkennezumi/archives/2022065.html


さて、私自身がギル・エヴァンスの『時の歩廊』のLPレコードを聴いたのは1980年前後だったでしょうか。

当時、千葉市の小仲台町にある「北部図書館」では、レコード貸し出しサービスをやっていて、そこで、渡辺貞夫の「デル・サッサー」とか、サム・クックの「ユー・センド・ミー」とか、結構渋めのレコードを図書館司書の人たちが自分の好みでセレクトして、ユーザーの貸し出しを待ち構えていました。

その1枚に、ギル・エヴァンス・オーケストラの『時の歩廊』があって、ちょうど、自費で、そろそろ世間にもその存在が知られるようになったデヴィッド・サンボーンのソロアルバム『ハート・トゥ・ハート』を購入してハマっていたのですが、このレコードで、売り出し前のデヴィッドのソロを聴くことができたのは偶然の産物で、大変感激したものです。

プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』 - Plays the Music of Jimi Hendrix(1974年7月録音)(RCA) 1974年(川崎燎らが参加)

  • 『時の歩廊』 - There Comes a Time(1975年3月~6月録音)(RCA) 1976年。のちCD化の際に曲順等を変更 (RCA, Bluebird) 1987年。のち当初のLPと同様の曲順に変更 1994年。(川崎燎らが参加)

https://en.wikipedia.org/wiki/There_Comes_a_Time_(album)

※※※

一方、ギル・エヴァンスとマイルス・デイヴィスについては、マイルスの伝記映画『マイルス・デイヴィス〜クールの誕生』という映画の中に、象徴的に描かれていました。

さすが、クールというタイトルが付いているとおり、非常に“クール(マイルス△=マイルスさんカッケー♪)”でしたね。

まず、ナレーションが、まるでマイルス自身が語り掛けてくるような演出がなされ、驚き(生前に録りためていたのか?)でしたが、さて、本編終了後にエンドロールを凝視していたら驚愕の事実が!

映画を観た後は、是非ともパンフレットで“補完”するのもオススメです。

個人的には、伝説の『死刑台のエレベーター』での“即興”演奏風景をドキュメンタリー映像で観ることができたのが収穫でしたね。

それと、さらに個人的には、ビル・エヴァンスよりもギル・エヴァンス(彼らに血縁関係はない)が好きなひねくれものなので、彼を全面的にフィーチャーしてもらったのも大変嬉しかったですね。

ところで、晩年のビル・エヴァンスは、先日の伝記映画
『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』によると、

http://evans.movie.onlyhearts.co.jp/

ロングヘアーにジーンズファッションに身を固め、まるでヒッピースタイルのロックミュージシャンのような風体でテレビ番組に登場して、あの、黒縁メガネを掛けて、ピアノにストイックに向かっていた、まるで哲学者のような表情をした写真で知られるビルは何処に行っちゃったの?(ジャズのショウビジネスという表舞台からの終焉の象徴?)という感じでした(程なくして急逝)。


が、それに対するギルとマイルスはお互いにフィーリングがバッチリ合うらしく、当時の音楽界を席巻していたロック&ファンクスピリッツも持ち合わせ、まるで歳の離れた兄弟のような雰囲気を漂わせていましたね。

少年時代から、裕福な家庭に育つも、深刻な黒人差別に常に晒されながら、それでも、自らの成功体験を拠り所に、果敢にそれにチャレンジするも、それでもなお、時には露骨に、また時には陰険に差別を受け、人間不信というか、白人不信に陥っていたマイルス…。

いわゆる、インディアン&黒人嘘付かない。白人嘘付く。
という絶望感溢れる状況。

ただ、唯一の例外がギル・エヴァンスで、彼はカナダ生まれのユダヤ系の血を引いていたことが、ひょっとしたら彼らが固い絆で結ばれた理由の1つだったのかもしれないなと密かに思っています。

1980年に公開された英国映画『炎のランナー』で、ユダヤ人の矜持を保ったまま英国陸上陣の栄誉ある代表“the Englishmen”の一員(ただし、この物語のもう1人の主人公、エリック・リデルもスコットランド出身という複雑な構成で、信仰上の理由が、後々五輪の競技にまで大問題を引き起こすことになる)に選ばれたハロルド・エイブラハムは、アラブ系の血を引く有能なプロコーチ(当時のアマチュアリズムを是とするオリムピック界からは大顰蹙を浴びる)、トム・ムサビーニ氏の指導を仰ぎながら、彼に向かって告白します。

オレたちユダヤ人は、英国では、川縁には連れて行ってもらえる。だが、そこで水を飲むことは許されないんだ。

英国“the united kingdom”(王国連合といっても、実質的な支配国イングランドと、スコットランド、ウェールズ、さらにはアイルランドの一部が併合された国家なので一枚岩にはなれない宿業を帯びている)で、マイノリティのユダヤ人とアラブ人が手を組んで、世界大戦終了後の1920年に開催される「パリ・オリムピック」の花形競技、男子百メートル走で、二人三脚で金メダル獲得を目指す。

まさに、マイルス・デイヴィスとギル・エヴァンスが手を携え、音楽業界の“金メダル”獲得を目指したように。

※※※

■映画情報

『マイルス・デイヴィス クールの誕生』

監督:
スタンリー・ネルソン

出演:
マイルス・デイヴィス、
クインシー・ジョーンズ、
ハービー・ハンコック、
ウェイン・ショーター、
ロン・カーター、
ジミー・コブ、
マーカス・ミラー、
マイク・スターン、
カルロス・サンタナ、
ジョシュア・レッドマン、
ジュリエット・グレコ etc.

配給:
EASTWORLD ENTERTAINMENT 

協力:
トリプルアップ 

日本語字幕:
落合寿和 

2019年/米/115分

(c)courtesy of Eagle Rock Entertainment

#創作大賞2023

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