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二人のジルベルト=ジョアン&アストラッド#6ジョアンからジョビン、そしてマイケルへ

#5の記事に引き続き

ジョアンからジョビン、そしてマイケルへ
2021年7月22日 の投稿記事をご紹介しましょう。

それでは、興がノッたので、パンデイロでリズムを叩いた今回の楽曲のマニアックな曲目解説をやってみましょう。 まずは、マイケル・フランクスの「アントニオの歌“Antonio's...

Posted by 池淵竜太郎 Ryutaro Ikebuchi on Wednesday, July 21, 2021

それでは、興がノッたので、パンデイロでリズムを叩いた今回の楽曲のマニアックな曲目解説をやってみましょう。

まずは、マイケル・フランクスの「アントニオの歌“Antonio's Song”」から。

ここで歌われたアントニオとは、ブラジルのボサノヴァの楽曲を次々と作曲してブームを牽引した、米国ではトム・ジョビンの愛称で親しまれているアントニオ・カルロス・ジョビンのことで、彼に捧げる歌曲です。

マイケル・フランクスは、1960年代から音楽活動を開始して、1970年代後半にソロシンガーとして本格的にデビューした、A.O.R.=アダルト・オリエンテッド・ロックの旗手(特に日本において)ですが、とかくイケイケドンドンな雰囲気を打ち出してくるアメリカのミュージシャンの中では珍しく内省的な歌曲が多いですね。

実質上のファーストアルバム(実際はセカンドアルバムでしたが、ファーストアルバム『マイケル・フランクス』は全く売れずに話題にもならなかったそうです)は、『アート・オブ・ティー“The Art of Tea”』という、ジャケット写真で本人が座禅を組んで侘び茶の世界を味わっているような、日本文化にも興味を示している、ちょっと不思議なアーティストです。


1977年当時、ラジオ関東(現在のラジオニッポン)で「ザ・モーターウィークリー」というカーマニア向けの番組でこのアルバムが紹介され、収録曲の「ポプシクル・トゥズ」というちょっとアンニュイ=気怠い感じの曲を聴いて一発で気に入り、早速私もこのアルバム(LPレコード)を買い求めたものです。

(この曲は、ジャズの1ジャンル「ポプシクル」を採用していますが、既に、大瀧詠一は、1970年代初めにリリースした初のソロアルバム『大瀧詠一』の「朝寝坊」で、当代一流のジャズメンをバックに従えて、既にポプシクルの楽曲を披露していますが、何か)

https://www.youtube.com/watch?v=3vB7TsH4o8I

余談ですが、大瀧詠一の「朝寝坊」を改めて聴き直してみると、フィンガーティップスを交えて歌っているスタイルからして、ジャズをやりたかったというよりは、彼がこよなく愛していたエルヴィス・プレスリーのスタイルでポプシクルを歌いたかったように感じられましたね。

一方、「アントニオの歌」は、マイケルが1年後に出したサードアルバム『スリーピング・ジプシー』に収録されていたので、さらに時間が経過してからリリースされたことになります。

このあたりの経緯を語っているサイトを見つけましたので、詳しくは、コチラをご参照ください。

田中敏明のプロフィールは、コチラへ

元洋楽ディレクター
1975年10月、大学4年からワーナー・パイオニア(後のワーナーミュージック・ジャパン)の洋楽で米ワーナー・ブラザーズ・レーベルの制作宣伝に携わる。
担当アーティストは、ロッド・スチュワート、マイケル・フランクス、クリストファー・クロス、マドンナ、ジョージ・ベンソン、ドナルド・フェイゲン、アル・ジャロウ、シカゴ、ピーター・セテラ、ZZトップ、ポール・サイモン、スティーヴン・ビショップ、ラーセン・フェイトン・バンド、チャカ・カーン、ランディ・クロフォード、ライ・クーダー、リッキー・リー・ジョーンズ、ニコレット・ラーソン、ランディ・ニューマン、マイケル・センベロ、アレッシー、ラリー・カールトン、デイヴィッド・サンボーンなど。

そして、こちらの投稿記事にも、なかなか興味深い話が語られていました&

https://popups.hatenablog.com/entry/2020/08/17/070049

さて、「アントニオの歌」の英語の歌詞をじっくりと確認していただくとわかりますが、

実はこの歌曲を、UAが日本語の歌詞を付けた訳詞をリリースしているので、そちらの“意訳”も、マイケルの主張を理解する助けになるかもしれませんね。

日本語の訳詞はコチラ

UA(ウーア)さん本人の歌唱による「アントニオの唄」はコチラ

その歌詞を確認していただくとわかりますが、ボサノヴァの本質であるサウダーヂ=侘び寂び+絶望&微かな希望=パンドラの函を開けてあらゆる不幸が拡散されてしまった絶望の末に、唯一最後に残されていたものであるということをうまく捉えていることがよくわかりますね。

最初にボサノヴァという音楽に対して、アストラッド・ジルベルトの「イパネマの娘」(ジョアン・ジルベルトがポルトガル語で歌った“一番”を、彼に無断でカットしてシングルカットした、まるで、英語で歌うアストラッドとスタン・ゲッツがサックスで共演だけをしたかのように全米でオンエアされた“ラジオエディット・ヴァージョン”)の「イパネマの娘」で出会ってしまった、スタン・ゲッツを始めとする米国の大部分のジャズミュージシャンは、ボサノヴァは、とにかくオシャレで気取った当時のブラジルのブルジョア階級の若者の軽妙な音楽であると安易に解釈した“誤解”を、マイケルはこの曲で糾弾しているともいえるのかもしれませんね。

米国版のマイケル・フランクスのベストアルバムには、この曲「アントニオの歌」が収録されていないとのことで、特に日本人に愛されている楽曲であるともいえますが、ジャズ界の大御所ヘレン・メリルがカバーしたものもあるので、この歌の価値をわかっている米国人も少しはいるのだなあと嬉しくなりましたね♪

それでは、彼のライブを収録したDVDから「アントニオの歌」をご紹介しましょう。

1993年に「ブルーノート東京」で収録されたものですが、いわば彼のライブのベストテイクといえましょう。

まさに、アントニオ・カルロス・ジョビンとボサノヴァと、日本と日本の侘び寂びの文化をこよなく愛しているマイケルからの感謝の歌でもありますね。

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