過保護と支援の境界線

ASD/ADHDの子供を育てています。
日々、暗中模索。

とっても難しい。

どこまでが支援で
どこからが過保護なのか。
いつも考えてる。
あと、どこまでが親の責任なのかも。

自分は、支援のつもりでやっている事が過保護になってないだろうか?

一般的に見れば、過保護だろうし甘やかしてるように思われるだろうな。
実際、言われたし。

本が好きで沢山本を読むし
色んな知識もあってペラペラ喋る。
でも、「生活する」というみんなが当たり前にやれてる事が当たり前に出来ない。
壊滅的に。

甘やかしたい訳ではない。
何かを特別頑張った時とかは、甘やかすけど…。
日常的に甘やかしたり過保護に育てても結局は、
未来にしわ寄せがいくだけ。

自分にとっての子育てとは、子供の自立を子供と共に目指す事。
自分で出来る事は自分でやって
出来ない事は、周りに助けてと言えるようになってほしい。

困っている事があってもどう困っているのか説明出来なければ助けてもらえない。

それ以前に今は、自分が何に困ってるのかさえも気付けない事が多々。

まずは、何が得意で何が苦手なのか何が好きで何が嫌いなのか
こちらがわかってる事をその場その場で伝える。

困った事があっても周りに言えない
(声をかけるという事もハードルが高いし
なんて声をかけたらいいかもわからない)から
その都度、教えつつ実行してもらうの繰り返し。
もう何年もそうしているけど
反抗期も天邪鬼な所ももちろん特性もあってまだ難しい。

他にも
1つの事でいっぱいいっぱいになってしまうし
それしか頭になくなってしまう為
重要な事がある日は、それを優先して他を諦める(こちらがサポートする)しかない。

だけど、本人が自分の事をわかっていなくて
こちらもこのくらい出来るかな?これは、難しいかな?と探り探り様子を見ながらやっていくしかなく…
気が付けば、本人が楽な環境に甘んじてしまってる事もあり…
それは、良くないよね。と度々話し合いをする事になる。

逆に頑張り過ぎても後々大荒れするからそれはそれで大変だし。
回復期間もそれなりに必要になる。

本当に塩梅が難しい。

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