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人間の、他の生物に対する共感性は、その生物の産卵数に反比例している?
ペスカタリアンという食事制限をする人達がいます。
ヴィーガンは動物性タンパク質を一切取らない人達ですが、ペスカタリアンは魚や卵は乳製品は食べます。
肉を食べる人からすると矛盾しているように聞こえるので、「魚も生きてるだろ。お前は魚だったら虐待してもいいと言っているのか」的な反論をされる場合があります。
人間は、他の動物全てに同じように共感しているわけではない
不思議な事ですが、ペスカタリアンに限らず多くの人間にとって、四足動物に対してより魚介類に対しての方が共感性が低いと言えます。例えば日本では釣り番組はエンターテイメントとして地上波でも問題なく成立しますが、ハンティング番組は難しいですよね。マグロ解体ショーも同じくエンターテイメントとして成立しますが、ウシとかブタ解体ショーは聞いたことありません。釣り堀はありますが、ウサギ堀とかはありません。
ハンティングや牛や豚の解体は、残酷だと思う人が多いからだと思います。残酷なものは見たくないし、だからエンターテインメントとして成立しないのです。これはつまり、魚よりも四足動物に対して人間はより共感していると考える事ができます。共感しているから、自ら傷つけたくないし、苦しんだり死んでいる所を見たくないのです。
そう考えれば、ペスカタリアンが矛盾しているなんて言えない筈です。釣った魚を捌いて食べられる人でも、自ら鶏を締めて捌くのには抵抗があります。私自身がそうです。ペスカタリアンはその感情をそのまま食事に適用しているだけです。
それではなぜ、人間にとって魚と四足動物にはこのような違いがあるのでしょうか。
卵の数
岡田斗司夫のオススメSF小説という動画を見ていた時に、面白い下りがありました。要約すると、
「もし魚類から進化した宇宙人がいたとしたらどういう倫理観だろうか。魚類は人間に比べて数え切れない程の卵を産む。すると、その中から優秀な個体が生き残り、その他を見捨てるような淘汰があるはずだ。つまり、一度に一人か多くても数人くらいしか産めない人間とは子供に対する愛情に違いがあるだろう」
という事です。私はここに、他の動物に対する共感性の違いの鍵があるような気がします。哺乳類でも牛とネズミでは一度に産む数が全然違います。魚や虫に至っては人間とは比べ物にならないくらいの卵を一度に産むわけです。そういう動物を、人間は本能的に自分とは違う生き物として捉えている、と考えることができるかもしれません。だから共感性が低いのです。
もちろん、卵の数だけでなく、血が出るか、鳴くか、体が大きいか、よく動くか、という様々な要因があると思います。人間は間違いなく他の動物を差別、区別しています。
我々は皆矛盾している
よくヴィーガンに対して、「植物は虐待してもかまわないのか」的な反論をする人がいますが、そもそも植物と動物を同等に扱う人間もあまりいません。例えばテレビで木を切り倒す映像は普通に放送されるわけですが、動物を殺す映像なんてまず放送されません。
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最後の画像だけ、嫌だな、と感じませんでしたか? それがあなたの矛盾です。人間は皆矛盾していると私は思います。
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