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文化系の謎のキャリア・インタビュー13 山中俊広さん、中川悠さん ~かつての恩師は誰が為に働き、どこへ向かうのか~

記事担当:稲田昇生

はじめに

当課題が始動した時、私は非常に困惑していた。それは単刀直入に、課題の内容にマッチしお話を伺いたいと思える人物が何度考えても思いつかなったこと、自分が歩みたいキャリアについて漠然としており、踏み込んだ会話ができないと恐れていたことが原因だ。いわゆる迷子である。よく分からない人にアポとって時間を頂くくらいなら、普通に授業受けた方がためになりそうと愚痴をこぼした瞬間、一つの思考にたどり着いた。

私の学科の先生たちこそ謎キャリアそのものでは…?

確かにこんなトリッキー学科(近畿大学文芸学部文化デザイン学科)では、よほどの特殊な経歴や実績がなければ指導する側に立つことができないだろう。先生だって一人の人間。教壇に至るまでの道程が確かにあり、私達はその道程で得た学びを享受させてもらっている。それが大学での授業だが、私には、これまでを振り返っても多様な教員からの学びを吸収し切れていないやるせなさがあったため、「もう一度話がしたい」という気持ちは大きかった。就職についても、自身の現在地を改めて見つめなおすことで、ヒントがあるかもしれない。

こうして私の課題への意欲は、『先生と本気で一対一で人生・仕事の話をする』に収束した。本記事では、過去に私が受講した山中俊広先生と中川悠先生の2名に、個別でインタビューした際の記録を書き留める。

アートをディレクションする人 山中俊広先生の場合

山中俊広(やまなか・としひろ)さん
ギャラリスト/キュレーター 1975年大阪生まれ。大阪府立大学経済学部卒業。大阪芸術大学大学院芸術文化研究科博士前期課程修了。 ギャラリストの活動として、「YOD Gallery」ディレクター(2008-11年)を経て、2013年に大阪市此花区にコマーシャルギャラリー「the three konohana」を開廊し、今年で10周年を迎える。 2012年よりフリーランスでのキュレーターの活動を始め、これまでの主な活動に「HUB-IBARAKI ART PROJECT」チーフディレクター(2019-22年)、「飛鳥アートヴィレッジ」プログラムコーディネーター(2013-19年)、「奈良・町家の芸術祭 はならぁと」アートディレクター(2014-15年)など、関西の複数の芸術祭・アートプロジェクトで全体統括を担当するディレクター職のほか、「大阪アーツカウンシル」委員(2018-21年)などを経て、現在は2023年より「大阪芸術大学博物館」の学芸員に就いている。 また、大阪芸術大学芸術計画学科と近畿大学文芸学部文化デザイン学科で非常勤講師として、それぞれアートマネジメントの科目を担当している。

Q.いきなり芸術学の院に行き始めたのはなぜ?

彼の情報を事前に調べていた時、経済学部から突然舵をとったように芸術学の大学院に進学していることに驚いた。

「何となくのモチベーションで生きていた中、アーティストになりたいという友人をサポートできる仕事がしたいと考えたのがきっかけです。院生の頃はウィリアム・モリスの研究にひたすら没頭していました。僕の価値観に大きな影響を与えた人物の一人です。」

モリスはアーティストである傍ら、執筆活動や政治への参入など、絵画に留まらない領域で精力的に働きかけ、やがてその思想は「アーツ・アンド・クラフツ運動」(※1)と呼ばれる。産業革命の中で商業物の大量生産が進む中、人の手で作る商品の美しさを提唱していた。山中先生は彼の活動領域の広さと、己の思想に突き動かされるままに生きる彼にカルチャーショックのようなものを受けたと同時に、アートの仕事に携わることはマルチな分野に精通していなければならないと思っていたそうだ。

Q.人にはある程度定められたレールがあると思っています。そこから外れた道に進むことに不安になったりしますか?

「僕は興味があったことをひたすら追求していった結果こうなっていただけなので、外れるか、外れないかの生き方をしていない。結果や将来にこだわったことはほとんど無く、今自分ができること、やりたいことに夢中になり続けていたました。強いていえば、ギャラリーを作るという漠然としたイメージがあったくらいかな。」

「Gallery Collection 2024 Spring」展示風景(the three konohana、大阪/2024年)

いくら興味があっても、これまでのキャリアとは異なる領域に足を踏み入れるのは簡単に決意できることではない。しかし、山中先生は興味関心への追求を繰り返すことで、仕事においても高いモチベーションを保ち続けていた。好きなことを一生懸命にやっていれば、自然に結果や人はついてくるものであると、彼は強調した。

Q.就活はやらなかったのですか?

「4回の春に漠然と始めていたものの、自分でも驚くほど意欲が低かった。特に志望動機とかエントリーシートなんて書けたものじゃないですね。」

(分かる!!)個人の予想だが、おそらく彼は興味の無いことには徹底的に手を出さないタイプだろう。しかし逆に、興味のあることにはどこまでも探求心が強く、一つの方向へ真っすぐ開拓できる生真面目さに、少し羨ましいと感じた。

Q.好きなことを好きな仕事であり続けるために、どのような考えを持っていますか?

「好きなことに対して客観的になること。好きなことだからこそ盲目になってはいけないし、客観的に見て足りない要素にこそ自分が入りこむ余地があると思います。」

アイドルが好きな大学生は非常に多いけれど、そこで行われるプロデュース実践が第三者からはどう見えているのかについて考えたことはあるのか? 時には受容し難い意見や要素さえも愛することで、さらに「好き」に対する理解を持つことが大切ではないかと語る。

「アートは特に業界の規模が狭く、ファンが作品にダメ出しすることはしょっちゅうある。そういった第三者の意見を取り入れながら、自分らしい画風や世界観を洗練させていける客観的な目を持ったアーティストが大成している印象を持っています。」


「ボーダーレスのゆくえ」展示風景(なんばパークス、大阪/2013年/撮影:長谷川朋也)

自由化された表現「ボーダーレス」を掲げる前に、社会構造と表現のスタイルの間にある「ボーダー」を確かめることを目的とした展示。10年以上前のプロジェクトながら、当記事の為に写真を頂いた。

Q.文化デザイン学科の生徒に、将来どうなっていてほしいですか?

「いい意味で具体的なイメージはありません。というのも、僕が特別肩入れをしなくとも、この学科は興味のある領域に対して自ら飛び込んでいける能力や、文化を重んじたうえで新しいものを作ることに長けた学生が多く、その質は年々磨かれています。強いていうなら、アートプロジェクト(※2)や運営そのものを動かす人員が欲しい。美術品の扱いやアートの過去・未来に関する知識を持つ学芸員は多いが、アートプロジェクトの全体を統括できる人材はまだ少ない。私は文化デザイン学科の人々に、この役割を担える可能性を感じています。

ただ、今受けている評価に足元を掬われないでください。二十代の間に高い評価を受け、名を馳せた人が、三十、四十代になって急激に失速してしまうケースがよく見られます。特にアート業界で若い人々が得る評価というものは、上の世代から受けることが多いので、そのままの評価に安住して気が付いた時には、社会全体から俯瞰して自身が時代遅れになってしまうことが要因です。社会の動きと迎合し、同世代から下の若い世代の好奇心をくすぶらせることを大切にしてほしい。三十代までは学び、社会に揉まれながら自分を磨くべきだと思っています。近い将来、自分が歓迎できる仕事に取り組めるように、日々たくさん学びを得てほしいです。」


「HUB-IBARAKI ART PROJECT 2022」《 教科書カフェ》発表風景
(茨木市清溪公民館、大阪/2022年)

「アート事業によるまちづくり」を目的としたアートプロジェクト。当時2年生の私は演習授業の中で、本プロジェクトのお手伝いに参加させていただいた。

今回のインタビューではなんと彼のギャラリーに招待していただいた。過去に何度か彼の講義を受講して、それなりに言葉を交わしていたにも関わらず、用意していたカンペの必要が無くなったくらいに話が盛り上がり、充実した時間を過ごすことができた。


産業をサポートする人 中川悠先生の場合

中川悠(なかがわ・はるか)さん
NPO法人チュラキューブ代表理事、株式会社GIVE&GIFT代表取締役、大阪国際工科専門職大学准教授。大阪市立大学院 創造都市研究科 都市政策専攻(現:大阪公立大学大学院 都市経営研究科)博士前期課程修了。専門は社会課題解決、コミュニティデザイン。目の前に起こる「社会の困りごと」を解決すべく株式会社を設立し、その後、NPO法人も立ち上げ、障がい者福祉、高齢化、伝統工芸や農業の低迷など、様々な支援プロジェクトを創出。活動が評価され、グッドデザイン賞を2度受賞、公益財団法人 社会貢献支援財団の社会貢献者を受賞。文化庁日本遺産プロデューサー・兵庫県地域再生アドバイザー・あかしSDGsアドバイザーも務める。著書に『SDGs時代のソーシャルビジネスが私たちの未来を変える―僕が出会った29人の社会起業家たち』(SDGs 経済出版)がある。日本NPO学会、日本アートマネジメント学会会員。

Q.社会課題に貢献するために関連した企業に入るのではなく、自分で会社を立ち上げたのはどうしてですか?

「そもそも私は、社会の縮小や変化に揉まれる産業に対して延命のような、変化を伴走できる仕事がやりたかったんです。世の中にある仕事は災害や環境の変化で簡単に無くなってしまうし、変わってしまう。例えば伝統工芸や農業は跡継ぎがいないまま風化していくかもしれない。彼らの支えになりたいという考えがありました。しかしそんな膨大な業界に携われる仕事はない。そうなると、もう自分で立ち上げるのが一番だな、と。信頼や人脈も直接増えて、業界人の相談役になることができたらハッピーになれる人が増えるし、自分自身も学びになると思って立ち上げました。大学で講師をやっているのもその一環です。」

一見バラバラでつかみどころの無い仕事内容に見えるが、実はそうではない。中川先生は、企業の課題をコーディネートしていく中で、社会の中での産業の困りごとは意外と似たものが多いことに気付いたそうだ。

Q.仕事へのゴールはありますか?

「まず自分で会社をやっている以上ゴールはないんです。この時代がどんどん変化していく姿を、新しく生まれることも、消えてなくなっていくことも、できるだけ現役として、見続けていきたいです。あるいは、やがてくる大災害や国の大きな変化が起きた時にそれを発揮できればと思います。」

そんな中川先生のことを「備蓄用品」と喩えたら苦笑されてしまった。しかし、急なアクシデントにおいて真に必要なのは、何よりも知恵。それを蓄え続けることに意味を見出せる人物の存在は、人々の救いになるだろう。

大阪市内の農業を応援するイベント「大阪イタリア野菜研究ラボ」

彼が向き合っているのはゴールの無い、不確かな未来。彼の話を聞いている中で、一見彼の仕事には大きな信念とやりがいがあるように思えたが、その内、未来に対する恐れのような、危険視しているような雰囲気も感じた。

Q.これまでの話を聞いて、仕事に対して複雑な心境があると感じました。ネガティブな心情ですか?それとも純粋なポジティブな心情ですか?

「ポジティブな目線で人に関わることができていると自負しています。困難に直面している人たちが抱えている問題は、びっくりするほど多様で、おそろしいほど人それぞれ。アートや文化に携わっている人は、それで食べていけるかどうかを常に悩みながら活動を続けているし、伝統産業や農業などの縮小傾向にある仕事に就いている人は、親世代やさらに上の世代から引き継いだ仕事をどうすれば未来に引き継げるかを試行錯誤しているし。ここに挙げたのは一例でしかないですが、でも、真剣に悩んでいる人は、今までも何かしらチャレンジをしてきた経験もあるし、新しい知恵を大いに喜んでくださるし、一緒に困難を乗り越えていく仲間にもなっていくし。状況はいつも複雑だけど、純粋に目の前で頑張っている人を応援したいんです。つまり、状況は確かに複雑だけど、純粋に応援したいという気持ちで取組んでいます。」

私は一年生の時に中川先生の講義「アートコミュニケーション論」を受けた経験がある。もう数年前で、かつコロナ禍だったので多くの授業がオンラインだったこともあり、過去の授業内容がぼんやりしている中、彼が授業の初回で行った匿名コメント制でのやり取り、通称「パパパコメント」がやけに印象的だった。彼の活動は、相手の“らしさ”を引き出すことに長けている。

文化デザイン学科の講義「アートコミュニケーション論」の様子。
黄色い文字は学生が遠隔で入力したもの。

Q.人の“らしさ”を引き出すために意識していることはありますか?

「社会のことをまず知らない学生に対しては、実際に社会課題をプロデュースする前に認知しておくべきことがあります。文芸学部の子は真面目で好きな事への関心が深い子が多く、感性が豊かだからこちらも楽しかったです。一方で、人によって正解は様々で、他人が違う意見を持っていることを前提に意識した方が良い。SDGsをとっても、どの番号に興味を抱くかは個人の境遇や価値観に基づく。それらを否定してしまわないように、違うことを知るために、皆がしゃべり合えるような、それぞれの意見が正しくあれるような場を意識しています。

同調バイアスってあると思います。皆が座っている中、手を上げて「質問があります!」なんてそうそう言えないじゃないですか。けど一対一で話すととても深い部分まで相手に潜ることができる。意見を匿名で募り、挙がった意見をコメンテーターのように打ち返す。そうすると、意外にも喋りやすい環境が生まれる。そっちの方が授業としても楽しいじゃないですか。」

3年生あたりになると、カリキュラムは徐々に個に焦点を当てられるようになり、それと同時に生徒のアイデンティティや興味も確立されていくものだ。しかし1年生は高校時に比べ環境や人間関係も変わり果てる。そんな中で学生の個が持つ“らしさ”を尊重した授業は効果的だったように思える。

Q.私達はリアリストなZ世代と呼ばれています。接する中で、私達の世代をどう見ていますか?

「確かに稲田さんの言う通り、正解や成功以外を求めない、不安で不要だという人は多いですね。しかし、魅力に感じる部分も多くあります。たとえば、今でもパパパコメントは使っていますが、コロナ以前と比較してネットスラングが増えたんですよ。「草」(面白いを意味するネットスラング)とか。なぜならインターネットで発信することが当たり前になったから。ネット特有の難しい言葉の使い方については、今の世代の子たちの方が使いこなせている。流行にも敏感だし、見て分析することに長けている。その点は称賛したいですね。」

Q.これから私達の世代にどうなっていてほしいですか?

「まだまだ新しいことをどんどん吸収できる年齢なので、自分が知らない世界にも勇気を持って踏み込んでみて、広い世界を楽しんでほしいです。「また、SNSやインターネットにおいて、見て分析することに長けていると言ったが、だからといってじゃあSNS運用をやってみろ、と言われてもできない人が多いと思う。私達の世代が求めているのはそこ。身の回りの真新しい技術や文化を消費するだけではなく、それを活用して今の社会に突き刺すような革新を期待したい。私達大人は精一杯サポートします。」

講義やインタビュー中にも取り上げられたSDGsの項目

SDGsの17の項目や過去の写真と合わせた丁寧な解説も交えながら、未来や働く人々に向けて今自分にできることややりたいことを非常に楽しく語ってくださった。最後の方はインタビューに関係無い私の就職相談にも親身に聞いていただいた。ありがとうございます…。

さいごに

結果を注視せず、今自分が興味のあることへ真っすぐ進み続ける山中先生と、先の見えない未来を、周囲の人々と共にかき分けることをモットーとする中川先生。経歴は特殊で、そこに至るまでの葛藤や迷いがあれど、自分の興味や目標が常に軸として明確にあったからこそ、彼らは謎キャリアな人に成った。

しかし、彼らの私達に対する願いは共通で、根付いた関心と知識を迷いなく発信できる、好奇心と能力を同等に扱える人材を求めた。大人が頑なに好きを薦めるのは、若者の好奇心を期待しているからであろう。

※1 アーツアンドクラフツ運動とは、1861年のイギリスにおいて、建築、工芸品、ジュエリーなど幅広い芸術品においてデザインの質の向上を目指し、庶民にとっても手の届きやすいものを生産することを目的としてイギリスのウィリアム・モリスによって発起されたデザイン運動。その流れは海を渡り、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本など、形は変わりながらもデザインの分野において世界的に影響を及ぼし、20世紀モダン・デザインの源流となった。
(出典:https://satomitakayama.com/jp/lifestyle_and_culture/culture/arts-and-crafts-movement/)

※2 アートプロジェクトとは、現代美術を中心に、1990年代以降日本各地で展開されている共創的芸術活動。作品展示にとどまらず、同時代の社会の中に入りこんで、個別の社会的事象と関わりながら展開される。既存の回路とは異なる接続/接触のきっかけとなることで、新たな芸術的/社会的文脈を創出する活動といえる。(出典:https://tarl.jp/review/guide01/)







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