見出し画像

日本の孤独・孤立対策政策について②

政府が、孤独・孤立問題への取り組みをはじめ、「官民の様々な団体が行っている相談事業の充実」「ソーシャルメディアの活用」「支援活動を実施している団体への援助」等、様々な対策を講じようという動きが見られる。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kodoku_koritsu/index.html

政府が、このような社会問題に目を向けていくことはとても大切なことであると思う。
これまで官民の様々な相談事業を行う団体があり、いじめ、虐待、自殺などの社会の闇(病み)に取り組んでいる方々は、たくさんいる。そのような活動をしている方々の想いと行動にはほんとうに頭が下がる。
ただ一方で、その方々も壁にぶつかっていることが多く、根本的な答えや解決策が分からず、日々悩んでおられるのも事実であり、最初の志と情熱が続かず、暗礁に乗り上げてしまう団体もある。

相談数に対して、応対が間に合っていないという現状もあり、応対率が2~3割程度である団体は多い。その現状を鑑み、政府は「相談事業の充実」という施策を講じようとしているのだと思う。それは、もちろん素晴らしい取り組みである。
しかし、もし仮に相談に100%応対できるようになれば、孤立・孤独問題が解決するかというと、そうではないということも、一方で知っておかなければならない。

例えばよくあるケースとして、相談者が話を聴いてもらって、一時的に心が軽くなったとしても、また翌日、同じような相談をしてこられる相談者も多い。相談員がしっかり寄り添って、傾聴できたとしても、そういうケースは相当数ある。だからこそ、相談を受ける側は、先が見えなくなり、終わりのないトンネルを走り続けているような感覚になる。そういうことも、相談事業を続けることができない要因の一つになっている。
(もちろん、相談できる人がいること、話を聴いてもらえる窓口があること、はとても重要なことであり、それで救われている人がたくさんいるのも事実。)

では、どうしたら根本的な解決に至るのか。
それは、「価値観の転換」あるいは「本来の価値観を取り戻す」ということに尽きる。

例えば、いじめの問題について言えば、子どもたちに限った問題ではない。大人の世界でも、同じような問題がいくらでもある。
人は、自分と周りの人と比較して、自分よりも劣っている(と思っている)人に対して、優越感を抱いては見下す…、ということを無意識のうちにしていることがある。また逆に、自分と他の人を比較しては、自分を卑下して劣等感を抱いたり、一喜一憂することがある。
そのような思いの根底には、「人間は、優劣や上下がある」という価値観がある。しかし、本来は、すべての人に優劣はない。人と比較して、優劣や上下で判断すること自体に、問題の根本原因が潜んでいる。

たとえば、身体に障害を持っていたりすると、仲間外れにされたり、いじめを受けたりすることがあるわけだが、小さい子どもたちが体に障害を持っている友達を見て「どうして、あの子は僕と違うの?」と、親に尋ねたとする。
そのときに親が「あの子は、あなたと違う素晴らしいところを持っていて、あなたもあの子とは違う素晴らしいものを持っているの。だから、二人が力を合わせれば、一人ではできないようなもっと素晴らしいことができるんだよ。違うということは、有難いことで素晴らしいことなんだよ」、というふうに小さい頃から子どもたちが教えられていたら、きっといじめという問題はなくなっていく。それが、本来の価値観を取り戻すということである。

私たちはそれぞれに得意、不得意や個性があるからこそ、自分ができていないことを他の人がやってくれていて、そういう社会の中で生かされている。その事実に気づくことができたら、違いを否定するのではなく、「違っていてくれて、ありがとう」という、感謝の思いに辿りつくことができるのだと思う。そして、それぞれが自分ならではの個性と違いを生かして、「自分ではない誰かのために、役に立ちたい」という報恩の心が芽生え、最後には、それぞれの力を合わせて、より素晴らしい社会にしていくことができる。そうなったとき、いじめのみならず、孤独や孤立という問題は自然に無くなっていく。

誰もがありのままで尊いということ、かけがえのない存在であるということ、その本来の価値観を取り戻さなければ、根本的には解決しない。
現代の大人たちの姿は、子どもたちが社会に出たあとの姿を映し出していると言っても過言ではない。子どもたちの未来の為にも、歪んだ価値観を変えなければならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?