見出し画像

『生き延びる叫びよ』(下) ①

「理屈とか理由とか、関係ないんだよね」

(『きみの友だち』 重松清 著)

   

【欲と旅】


 「わたしはね、このお金で高級品を買って売る。質屋で買う人がいる--。流れるお金って汚い。そう気づけない人たちが増えちゃうんだろうな。なんて想像すると、面白みを覚えるの。愉快じゃない、だって」
 「蔑みすぎじゃないかな?」と本心で答えた。
 「もちろん。気づけてないことがバカバカしすぎて笑えちゃう。人間って、上面なんだなって思えるの」

 と、みえ子は一般の、罪のない人々を侮辱すればするほど、盛り上がっていくように映る。

 確かに。上面がいかに愚かなのか、わかっているのだろう。金で買う疑似恋愛とセックス、愛情や他にも汚い面を垣間見てきたのだろうか。かのじょの思う「盲目」な人びとをけなせばけなすほど、かのじょの機嫌は良くなってゆくようだ。

 「とにかく買いにいくよ。グッチにプラダ、ルイヴィトン…グッチとプラダで50万円使い切ろうかな。多分、時計とカバンを合わせたら、それくらいはするハズ」と、僕はかのじょの罵詈雑言を終わらせようとした。
 「プラダを『流す』ことだけはやめて」と言い、かのじょは財布を見せた。見たところ、オンボロだ。ただ、僕はなぜこの財布を愛用しているのか、理由を知っている--。かのじょを一人で育て上げた母が、高校の入学祝いに買ったから。その母との過去を象徴する財布のブランドに、抱く思いは特別なわけだ。
 「わかった。グッチで手持ちの分を全て使えそうなら、そこで」
 「時計とカバン、財布でも買えばすぐ消えるわ」とそっけなく言い、お互い、別々のラグジュアリーブランド店で持ち合わせている分を買うことにした。かのじょはルイヴィトンに。

 僕のような質素で場に不相応と思えるような一人の客に、店員は冷たい目線を浴びせるかと思いきや、丁寧に接してくれた。「お探しものはなんでしょう?」「御用があればおっしゃってください」といった具合に、僕に真摯に接してくれたのは意外だ。

 無難な柄のバッグを一つ。もう一つは時計。僕自身、着けたくなるくらい洗練された時計だった。これまでは、ラグジュアリー品を求める人、買う人の神経が理解出来なかった。ところが、今となっては、その気持ちの理解が出来た--かっこいいから、おしゃれだから買うだけなのだろう。

 僕は50万円を少し下回るくらいの額で商品を購入した。感じたことのない風に吹かれた気分で、自分のステータスが上がったように思えた。

 ラグジュアリーブランド品を買ったことで。

 ラグジュアリーブランドの袋を持っていることで。

 内心では見下していたのに。

【風】

 みえ子も店から出、僕たちは合流した。かのじょも同じく50万円に届かない程度の買い物だったよう。余った分は表参道の高級料理屋で使い果たした。店から出たらすぐに、

 「手元にある、端数の15万円でレンタカーを借りようよ。今すぐなら、足がつかない。違うかしら?」と、みえ子は陽気そうだ。父の言っていた金を「溶かす」--。本当に一瞬だ。

 夕方を過ぎた帰りの表山道--。暗い道は発色のいい、ライトに照らされイルミネーションのようだ。暗い道とでは明るさが全然違ってくる。

 「青森県に行きたいの。私が生まれたのは青森。もしかしたら父に会えるのかなって。捨てたことを赦(ゆる)す日はこないと思う。ただ、会える日がいつか来るのかな、なんて空想に浸っちゃう時がある。空想でもいいの、青森に行ってもしかしたら、ってシナリオを楽しみたいの。父が居るかもしれないし、居ないかもしれない、青森に行きたいのよ。確証なんてどうでもいいわ」
 「わかった。お父さんに会えるかはわからないけれど、行こう」と妙に前のめりになっている自分が不思議だった。日常の閉塞感からの解放を、僕は求めているのかもしれない。
 「旅の途中に質屋に寄りましょう。都内だと警戒されるから早くここを離れて、ここじゃないところで現金にして」
 「うん…」と応えると、
 「健一郎のいじけた表情が好き。マンションに戻って、持っていく荷物をさっさと持って帰って、車に積んじゃいましょう」と言い、今からレンタカーを借りに行こうとの話になった。

 とにかく機敏。ただ、それくらいの危機感をみえ子も持っているのか、自身の立てた計画を早く実行しようと焦っているの--そのどちらか、もしくは、両方に映る。

 「さ、旅行よ」と底抜けに明るい表情でかのじょは言う。はつらつとした表情とは裏腹に、声はどこか濁っていた。--ためらいと、迷い、声にできない願望をを押し殺しているように感じられた。

 大げさにとれば、青森で彼女が自身の人生を終わらせようと、願っているようにも思えた。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?