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『生き延びる叫びよ』(下)⑤

世の中にあるのは、大きな声で助けを求められる問題だけじゃない。むしろ、人目を避け、内々に解決したい問題のほうが多い

(『合理的にあり得ない 上水流涼子の解明』 柚木裕子 著)


【吹けよ風】



春風の吹く方へ--。春風に吹かれ、僕は車を運転していた。ひたすら、脇目もふらず。風に任せ走っていった。

 質屋で店主を殺してから、急いで車に乗った。大量とは言えずとも服に--自分のだか、返り血なのだかわからないが--、血が付いていたものだから、那須高原のパーキングエリアで、みえ子に新品の洋服を買うように伝えた。

 Tシャツ程度のものでいい、半袖で十分だと。

 肌寒い春の夜に、上着がないのは、心許(もと)ない。だが仕方がない。仮に今、警察が追っているとする。半袖だから犯人と外見が逮捕の決め手になるはずはない。

 みえ子は「はい、これでいい?」とぶっきらぼうな口調で、僕に無地のTシャツを渡した。不機嫌な様子。なにがかのじょを不機嫌にさせているのだろうか。――今になって、店員を殺めたことにた対して文句があるのか、もしくは別の、かのじょの隠している、なにかがあって、それが堆積のように溜まっているのか。どちらなのか、それとも両方なのか知る由はない。Tシャツを着た。そうなれば、追っ手が警察であろうと、怪しまれることはないだろう。が、自分が自分を怪しんでしまう。

 夜中に明るく輝いている、パーキングエリアのライトがまぶしい。金と寂しがりやは、ネオンに集うと、どこかで聞いた覚えたある。活気がみなぎっているのにもしかしたら、皆、孤独なのかもしれない。今ある喧騒は、一時的なもので、明日になれば、つるんでいる人たちと連絡をとらなくなるのかもしれない--。人がどれだけ集まろうと、結局のところ一人なのだ。そう考えていると、救いを求めるような寂しさが、夜を包んでいるように思えた。

 ――「なんだかわたしが言いなりになった気分がして、少し嫌な気分だったの。ごめんね。ことの成り行きでせざるを得ないのは十分わかっているわ。それでも、だったの。まるで逃げるのが目的で、動いている気がして」とみえ子はこぼした。うなずくことも出来ず、何もかえせなかった。

 今の僕には逃げることしか頭にない。

【星の海】

 「わたしの意に反するのよ。わたしは星の海の谷間を泳ぐような旅がしたい。健一郎に『買ってきて』と言われて、スクロールを中断させられたような気がしたの。自分本位よね。成り行きだし、不測の事態があっても仕方がないわね。ただ、喜びも不満も、言えるうちに言いたいの」と、雨の降る重苦しい夜中の高速道路で、哀れな自分を演じているような話ぶりだった。

 その口調が僕の胸を切り刻んだ。

 みえ子のワガママな話が、かのじょの声が、どこかのタイミングで聞けなくなる。――終わりに向かってゆく寂しさを覚えたから。

 「言えるうちに」との言葉が、重い鉛のように、僕の胸に沈んだ。その重みが僕の心の内奥にまで沈みゆく--そう感じられた。この旅をもって、みえ子とぼくが最期を迎えるのかはわからないが、なんだか、この旅でかのじょとの関係に終わりが思えた気がしたのだ。

 片道だけの、最期の旅路になるのだろうか。

 心を軽くしようと思い、「いいんだ。想定外すぎることをしでかしたのだから、僕は。自分を守ろうとしてお願いしたのはみえ子にとって不快だったのかもしれない」と言うと、かのじょは急に笑顔を見せた。目は「わかっているじゃない」と語っていた。そのメッセージを受け、僕は、もう開き直ろうとの気持ちになった。

 その矢先に、だ。

 「埼玉県警です。お尋ねしたいことがありまして、ご連絡しました。A質屋での殺害事件について伺いたいんですよ。何せ、田上様が質に出した店の録画動画から犯人が田上健一郎さんなのでは、と。その線で捜査を進めていくかもしれません。とにもかくにも、お話だけでも、ね。警察署にお越しいただけませんかね?違うなら違うで、別の線をあたりますし。急な話なのですが、まあ田上さんのお名前と番号が書かれていたメモがあったんで、照会にかけたんです」

 背筋に注射を打たれたような衝撃が走った。

 もうバレてしまったのだ。僕が犯人で、逃亡をしていると。スピーカーにして話を続けた。

 「いや、違うはずですしそもそも埼玉にいませんでした。その証拠動画を基に周辺の方々にあたられては?」と、なかば自分が犯人と認めるような言い方で、一方的に電話を切る。電源も勢い任せにオフにした。

 ――警察にも追われるのか、と一気に恐怖と絶望に襲われた。ため息が出、警察か……とこぼしてしまった。一本の電話から、神経という神経に追われるという危機から逃げろ、この状況はマズいと、信号を発しているように思える。その信号はまるで電気ショックのように、五臓六腑を刺激する。全身が硬直しているように思えた。

 一方みえ子はなぜだか高揚している様子。さきより表情が緩くなっている。

【罪の行き先】

 「ね?加害者になるってわかるのは、他人に『加害者』と疑われた時、断言された時じゃないかしら?うまく交わせるかしら、私達。ただの旅なのに、私が行きたい場所に行くだけのなのに、こんなにも膨らんで、いろんな人を巻き込むなんて。予想していないことが起こるだけでワクワクしちゃうの」と、屈託のない無邪気な笑みを僕に見せる。

 お構いなしときたもんだ。僕が、この先にある、不吉なことの数かずや、危機的な現状を案じても、みえ子にとっては、その不安要素はそよ風のようにすぐ吹き飛んでしまう。ぎこちない温度差を感じながら東北へと車を走らせる。

 道路の雨が光を反射させる。後ろから警察はやってくるのだろうか?強盗集団のメンバーの誰かが僕らを追いかけているのだろうか?

 焦燥感を抱きながら道中、話し合って決めたこと――。手元に残った75万円を旅で使い果たす。かのじょの言う「散財」は行き当たりばったりで無計画なものだろう--1日10万円以上を使う。その金で何がしたいのか見当がつかない。同時に、どこかで、この旅がかのじょとの最期になり得るのではないか、と確信めいた予感を抱いた。

 ワイパーを動かしながら車を走らせる。

 ラジオをつけることなく、閑散とした道路の上に、春の大気から流れる汗がコンクリートを打ち付ける。その音だけは、雑音のする車内にも響いてきた。雨音が拍車をかけるようにみえ子の饒舌(じょうぜつ)が始まった。僕は運転する疲労と、かのじょの話に付き合う疲労を存分に感じながら、話の内容が下らなく思えもしたし、不吉な先行きを暗示しているようにも思えた。

 気を紛らわそうとラジオをつけると、ビル・エヴァンスの「枯葉」が流れてくる。季節はずれの枯葉のように、僕たちは流されてゆくのだろうか。

 この暗闇はどこへ僕らを運ぶのだろうか。

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