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『生き延びる叫びよ』(下)④

「愛のために払う犠牲で1番大きなものは誰かがいつも側にいるということだ」

(『ぼくの哲学』 アンディ・ウォーホル 著 落合 八月月 訳)

【渇き】


 最悪な危機を脱した気になっていた。現金強奪犯たちに追われているのかもしれない。だが、それでも都内で生き残り車を借りて、逃げおおせている。これだけで十分だ。もう災厄に見舞われるわけがないと、高を括ってしいた。脇が甘くなっていたのだろうか。

 車を走らせながらみえ子と話し合う。

 みえ子と僕とで、手分けをしてブランド品を川越市内の質屋に出すことになった。逃げている身である手前、昼に堂々と売りにだすわけにはいかなかい――。

 その晩に僕たちが売りに来た、と質屋が情報を流すリスクを想定してのことだ。みえ子と僕で、夕方から晩にかけて、計4店に当たる運びになった。かのじょの案で、あえて一つだけブランド品を出して、もう一点は持っておく。そうすれば、購入してからすぐに不要と判断したと、思わせられるとの発想から。

多少、乱雑に思えたが一理ある。

 質に出すにしても演出が要と心得ていたのだろう。みえ子と話をしていた時、かのじょの人生経験からこうした知恵が働くのだと納得した。かのじょの「飢え」の正体を、その話の中から垣間見た気がした。

 川越市に着き、ラブホテルを探しに市内を車で回していた。無難なんだ。性欲の昂じた数組のカップルの中の1組――ありきたりな二人、どこにでもいる二人。それがいい。探している途中だった。

 「万引きってしたことあるわよね?」
 「いや、僕はないよ。多分前にも言ったと思うんだけど……」
 「僕は?いかにも『わたし』ならあっても違和感はない、というか、わたしなら万引きくらいしていて当たり前、みたいな言い方ね」
 「いやあ、そういう意図はないけれど。誤解を……」と返した。続けて、謝ろうと思ったが、みえ子が遮った。
 「いいわ別に。違和感ないわよね。実際してたもの。ねえ、家に食べ物がなかった日に抱く気分ってどんなものかわかるかしら?私は、ね。父に捨てられるわ、母――ババアは夜な夜な、別の男を抱くわ。猫が交尾する時の超えみたく、耳障りな声を上げては私の鼓膜を圧迫してきたわよ。居場所がどこにあるのかなんて分かりやしない。そんなふうに渇いた娘たちがどこ行くのかわかるかしら?」
 ――もうかのじょの独壇場だ。何も返せない。

 「駄菓子屋。そこでやっすい、誰が盗っても困らないくらい、やっすいお菓子をね、こっそりパンツの中に入れるの。小学生の時の話よ。駄菓子屋にいつもいる店番のおじちゃん。万引きってわかっていても、『パンツから出せ!じゃないと、取るぞ!』なんて言えるわけはないわよね。取るんじゃないの。奪うの、体で。そんなふうに体を武器にしていたら、いろんな男とセックスしたわ。だってね、心を奪って、私のものに出来るんだもん。皮肉だわね、嫌っていた『猫の交尾』の声を狂うようにあげていただなんて」

 「奪う……」引いて自分のものにするということなのかと、逡巡するや、またもや僕が挟む余地なく、「心を奪う、もっというと、ね。相手の欲を満たすことで性欲を奪うの、根こそぎ。飢えた環境に育ったわたしの快楽ってなにかしら?当ててみて」
 「もう自分で言ったんじゃないの?奪うことでしょう」と、運転の疲労にのしかかる、重みのあるかのじょの一人語りに耐えかね、突き放すようなもの言いで放った。

 ――これ以上聞きたくない饒舌(じょうぜつ)を止める方法としか思えなかったのだ。気分で移ろいゆく、春の早朝の天気は霧雨から、曇りに切り替わりつつあった。

【身を伏せて】



 「好き」と的の外れた言葉を僕にかけた。もちろん休むためであるが、その一言が僕の胸に火をつけたのか、ラブホテルに入った。

  何日ぶりだろうか、ゆっくり落ち着けるのは。浮気をする人、ここで子作りに励む人、欲情したカップル、勃起不全な男と不感症な女――ラブホというちょっとした異空間で、高揚している人たちが多いのかもしれない、と部屋を通りすぎるたびに思った。

  部屋に着くやいなや、思いがけないことに。「ねえ、健一郎を奪いたい。そうすれば私は加害者になれるじゃない」
 「なんでもいいよ」と疲労からか、シラを切り通すように返した。

 そのあと、言葉は要らなかった。そこにあったのは、絡み合う身体と結びつく性器だけ。同じ動作の反復。その先に快楽がある。それだけ。なのに、今日と来たら怒りなのか愛なのか、正体の掴めない感情から激しくみえ子を求め、みえ子の性器に自分のそれを重ねた。狂うように。

 行為を終えてからだ、僕らがシャワーを浴びたのは。――「”Last Tango in Paris”を流しましょうよ。激しく突き合ったあとには愛のシャワーも、耳に流したいの」と言い、僕らは深い眠りに落ちた。”We are shadow of dance”のところで、僕の記憶は途絶えた。

 寝起き。

 昼の3時だった。こんなにも眠るとは、と驚いている自分がいた。

 みえ子はまだ眠っていた。まるで人魚のように、息を殺して眠っていた。人魚の眠る姿を知る由はないが、存在するのなら、今のみえ子のような姿をしているのだろうと思えた。優しくかのじょを撫で支度をし、質屋で売りに出そうと声をかけた。

 重たいまぶたを開き目が覚めたようだった。その動作は、重いシャッターを持ち上げようとしているように映った。まぶたという、小さく重たいシャッターを、上に。

 さきに書いた要領で質屋に出すのが目論み。

 ただ僕たちは、2軒目以降は、怪しまれる可能性があることを、暗黙に了承していたし、失敗する「かもしれない」スキームに刺激を感じていた。二手に別れて行動して、合流地点に戻る。それだけのことと言えば、そう。リスクを多分にはらんでいると言われれば、それもそう。

【異常なし】

 車を出そう。

 ――午後4時ごろには川越市内で質屋を見つけ出し、質に出す段取りをすませていた。春の雨は強弱をつけて降りつづけていた。一定のリズムがあると思わせては、それはまた崩れる。不協なテンポの連続だった。不安定だ、僕らとおなじように。

 みえ子のリクエストでクインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」を車内で流した。"Just you and nothing else."--「きみ以外何も(要ら)ない」この歌詞は一見ロマンティックだ。しかし曲のタイトルは、愛情なのか愛憎ゆえに、男性性器を切り落とした、阿部サダをモデルとした映画のタイトルでもある。

 この曲は好きだが、タイトルと映画のシーンを思い出すと怖くなってしまう。半面、みえ子は浮かれているもよう。「二人だけの世界に生きられるね、健一郎」--。切り落とされる恐怖を、一瞬感じた。

 一軒目で僕はGUCCIのサイフを無事に売れた。首を突っ込まれるかもしれないと、警戒しいたものの、杞憂に過ぎなかった。それどころか、買い手側はうれしそうな表情と話しぶりだった。うっとうしかったのだが。

 質屋に入った。

 二つの袋を持っている。両方ともGUCCIで怪しまれないのだろう。おそらくこの店は、築20年は経っていて、外装だけ塗り替えただけなのだろう。表向きは新品に近づける。外装費に僕は目をつけた――。

 きっとその費用を補うには商品を買取り得る必要があるのだと、野生的なカンが察知した。ピンク・フロイドの”Money”が頭のなかでリフレインされる――”Money, it’s a gas."要は「金なんてガス」のように蒸気となって散ってゆくのが定めなのかもしれない。

 「いやあ、このGUCCIの財布いいヤツじゃないですか!これ売っているところ限定されているよ?ねえ、売るのはもったいないんじゃないかな。だって日にち経ってないじゃん!なんか事情あったの?兄さん」と買取終わってからも長々と話し始めた。

 長くなるな、とため息を漏らしそうになった。

 「いや、いいんです。プレゼント用でした。ただ、プレゼントをあげる相手と連絡もつきません。眼中にないのに、思わせぶりをされたわけです……タグも切れているので返品はできませんし、かといって持っているのもみっともない。ようはムダ買いです」
 「もったいない。いい男なのにね……あ、この店で質に出す人の恋は成就しやすいって、この辺じゃ有名だよ。恋愛運上がるってね。なんかあったらまた来なよ。うまく行くよう念じるからさ。あ、もう一個の袋には何入ってんの?」
 「時計です。ただこれは自分用に」
 「そう、どんな型なのか…‥」と切り出した矢先に、僕は「まあ、カバンですけれど、相手に振り向いてもらえたら取りにきますよ。ちょっと、電話が」と言って、鳴ってもいないし、鳴らしてもいない携帯電話を取り上げ「あ、例のアポ。ちょっと巻きでそちらに」といかにも急いでいる雰囲気を醸し出し、店をでた。

 ――いるんだ一定数。こうやって詮索しては話を続けようとする人は。こうやって話の主導権を握ろうとしてくる人は。こうやって話のペースメーカーになろうとする人は。目的もなくただ単に自分が主体となっている心地よさに酔っているだけなんだけれども。

 ――外に出ると、雨はすっかりと止んでいた。川越市に吹く、心地よい風が僕の頬を撫で、安堵した。夕方に少し冷えた、この風が僕らの「これから」を優しく導いてくれるような確信を抱いた。根拠なんて一つもないのに。「ような」でいいんだ。根拠や安定を求め過ぎたがあまり、僕は一歩踏み出せずにいるだけなんだ。

 駐車場で待ち合わせをしていた。やってきたみえ子は要領よく、二つとも売り払った様子。一個だけだと怪しまれると、お互い警戒していたのだが、質屋の店主の心の懐に忍び込む術にたけているのだろう、かのじょは。

 「最後ね」とかのじょ言い、115万円が75万円分に目減りしたことに気がついた。とはいえ、シリアルナンバーを追われることもなく逃げられる代金が75万円なら証拠を消すには安いと思えた。それにGUCCIの時計も売れば、足しになる。もしかしたら100万円近くにはのぼるかもしれない。

 --売れれば、の話だが。

 人--というか僕とみえ子--は綿密に計算している「つもり」なだけで、取らぬ狸の皮算用でうまく行くと、青信号をだしてしまう。--その安直な考えが、命取りとも知らずに。
 

【導火線】

 僕は最後の店で質屋の店主を殺してしまった。GUCCIの時計を売りに出す矢先のことだった。なかなかいい表情を浮かべない店主。なにかバツが悪いのか?この不況時代に買い取っても、売り手は見つからないのか――さまざまな憶測が憶測を呼び、呼んだ憶測が僕の殺意を膨らませていった。

 「君、何件目?それ盗んだりしてないよね?ほら、この前も物騒な事件があったし、なんだっけ15000万円だっけ?人を殺して強奪された、結構危ないのだったり、さ。物騒なんだよ、世の中が。買うのが仕事でもあるんだけどねえ。こんなん買い取って厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだ。右をみても、左をみてもヤク中がぶっ倒れるわ、ホームレスが店にタカリにくるわ。まあ、こんなご時世だ。帰ってくれ」――夜9時の15分前。堪忍袋が切れた。厳密には、この店主が切った。

 ――ぼくはどこまでいっても被害者意識の枠内で他責をする。

 「僕はけして怪しいものでもなんでもないですよ。ただ要らなくなったんですって。返品のしようもありません。タグも切れていますし」
 「違うんだ、さっきの話聞いたろう。そういうことなんだよ、じゃあね」

【発露】

 これまで溜めていたと思える、怒りと不満、それら以外の言葉にできない、渦巻く感情を思い切り店主にぶつけた。胸ぐらを掴みカウンター越しに僕の方へと引っ張った。「火事場の馬鹿力」とはよく言ったもので、なぜか異様なエネルギーがみなぎりこちらへと店主を持ってこられた。

 そこから、だ。

 僕のサディスティックな感情が爆発したのは。相手が痛がれば痛がるほど、やめてくれと言えば言うほど、さらに攻撃をしたくなる衝動を抑えられなかった。

 爆発する衝動に合わせて動く身体。炎のように燃え盛り、それがかれを包みころしたというわけだ。引き寄せてから、時計で頭を何度も殴り、叩き、パンチを見舞った、何度も、何度も、何度も、何発も、何発も、何発も。

 妙なもので、店内には「新社会人おめでとう」と書かれており、ダニー・ハサウェイとロバータ・フラックの”Back Together Again”が流れていた。もう戻れないとわかっているのに。店の雰囲気は、温かく迎え受けているように思えた。反対に僕を追い払う、店主の冷淡さ――この温度差にゾクゾクしながら僕は、容赦なく殴りつけた。時計を手に、頭に何発も攻撃を喰らわせた。

 気がつけば、夜9時半。みえ子から「どうしたの?」と電話が入った。そういえば、だ。この男は生きているのだろうか?首元の動脈に触れる。止まっていた。僕は素直に「殺した」と返した。急いでみえ子が店に来、僕らはなるたけ早く車に戻ることにした。放心状態な僕にかけたみえ子の言葉は「加害者になる悦びってどう言う類かわかったでしょう?」と笑みを浮かべた。駐車場まで足早に歩いていった。遠くに目を向けると、ここには名残のある観光地と気がついた。

 最初はうまくいったというのに…‥また逃亡の旅だ、と僕は肩を落としてしまった。

 さっきまで、僕の頬を優しく撫でていた、春の風に霧雨が混じってまとわりついてくる。行き先をも決めてゆくのだろうか?と頭によぎっては、そんなことない、と両方の考えが往復しては衝突した。

 春の天気は情緒不安定だ。

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