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変わりゆくもの

世の中が昔と変わったなぁと思うことがあるけれど、果たして世の中は本当に変わったのだろうか。 それを自分で判断するのは意外と難しい。 時の流れと共に歳を取り、世間での立ち位置や暮らしは変化する。 立ち位置や暮らしで世の中を見る目は変化する。 自己のアイデンティティは、今この瞬間の「自分が自分である」という認識の連続で保たれているために、10年前の自分と今現在の自分を同じだと考えてしまう。 いつだって自分は自分なのだから、矛盾することはないだろう、と。 考え方が180°変わ

    • 6/18

      月日を重ねる度に、大切にしたい人との出会いがあって、思い出の日や記念日が増えていくのは、嬉しいことで幸せなことだと思う。 年々書き込みが増えるカレンダー。去年まではなんて事のないありふれた一日だったものが、今年からは特別な一日になる。数日前から待ち遠しくなる、それだけで活力が湧いてくる。

      • 海へ

        時折、いや、頻繁に、海に行きたくなる。 誰もいない海へ行きたい。ただひたすらに寄せては返す波を眺めていたい。砂浜に寝転がってさざなみの音を聞いていたい。水平線の先の先をぼんやりと探していたい。 最後に憧れの人のマネをして波打ち際の写真を撮りたい。

        • 青い空

          空が高くて、雲が遠くにある。 生温かさと冷たさが混ざった梅雨前の風に吹かれながら空を見上げていたら、空に吸い込まれそうになって、次に、空に吸い込まれたくなった。

          静寂

          みんなが寝静まった夜、寝息の音以外は闇に吸い込まれてしまったかのように無音になる。 こんなに静かに、じっくりと好きな音楽が聴けるなら、眠れないのか寝たくないのかよく分かんない夜も悪くないね。

          5月の風のように

          まだまだ未熟だなあと思う。 自分の失敗は人のせいにして、人の失敗は責め立てて根に持つ。 人に期待しない方が良い。 何度も言い聞かせているのに、勝手に期待しては裏切られたと落ち込んでイライラして。 それに感情が振り回されて、他の人を傷つけてしまったり、気遣いができなくなったりして悪循環にはまっていく。 5月の風のような人になりたい。 5月の風のように、穏やかに、心をかき乱されない人になりたい。 5月の風のように、爽やかに、人の心を密かに明るくする人になりたい。

          5月の風のように

          渦巻きの中の小さな幸せ

          チョココロネを久しぶりに食べた。 小さい頃は大好きで、よくスーパーで買ってもらっていたものだ。 コロネには自分流の食べ方があった。 まず頭の部分についているフィルムを剥がしてペロリと舐める。次にしっぽのクリームが入ってない部分をちぎって、頭の部分のクリームを付けて食べる。そのまま食べ進めていくと、クリームが押し出されていき、頭の部分から溢れそうになる。それを、大きい口を開けて一口。ふわふわのクリームとパン、幸せが口の中いっぱいに広がる。 ...頭としっぽという表現で果たし

          渦巻きの中の小さな幸せ

          花に想いをのせて

          ゆずの新曲、『Chururi』。 そのMVが想像を遥かに超えて良い作品だったので、興奮冷めやらずにこの文章を書いている。 これは一個人の感想でしかないことをご承知おきいただきたい。 どんな所に咲く花も花であって、花自体はいつだって可憐で綺麗だ。それが、背景の物語によって色んな意味を持ってくる、そんなことに気付かされた。 感謝であったり、祝福であったり、慰めであったり、祈りであったり。 思えば、日常に溶け込みすぎて意識していないだけで、花というものは案外身近にある。道路沿

          花に想いをのせて

          檸檬...ではない柑橘類の何か

          ぼんやりと歩いていたある日のこと。 何やらオレンジ色の物体が道路の脇からコロコロと転がってくるのに気がついた。 すぐそばには同じようなオレンジ色の実がたわわについた木があった。 これは、みかんではなさそうだ。オレンジだろうか、それとも他の柑橘類だろうか。 自らの重みに耐えかねて脱落してしまったと思える柑橘類の何かの実は、無機質なコンクリートの上で鮮やかなオレンジ色を輝かせていた。 それを眺めていたら、ふと梶井基次郎の『檸檬』を思い出した。 ...この柑橘類の何かも、爆発す

          檸檬...ではない柑橘類の何か

          こどもの日

          自分のこども時代を振り返ると、とても恵まれていたと思う。何不自由なく過ごせたし、やりたい事は大体やらせてくれた。成人するまでに「もう、お腹一杯」と思えるくらい充実した毎日だった。 ただ、両親の仲が悪かった。 言い争ううるさい声、床で粉々になったお皿、壁に飛び散ったミートソース。 色んなところに旅行に行ったことや、楽しい思い出は他にも沢山あるはずなのに、先に思い出してしまうのは、年に1~2回あったかどうかのそんな風景だ。 両親への恨みつらみを書きたい訳じゃないし、不幸自慢を

          こどもの日

          ホリデー

          自分にとってはなんて事ない休日でも、誰かにとっては最高のゴールデンウィークなんだろうな。 かくいう自分も、今日ばかりは強引に休みをこじ開けて、山のようにあるタスクを何もしないと決めこんで、ひたすらのんびりしていた。 誰が何と言おうと超インドアな自分は、用意周到に食事を前日に買い込み、無事家から一歩も出ずに過ごすことができた。 ずっと気になっていた曲をじっくりと聴き、昼寝して、ギターをぽろぽろと弾いたりして。ここ2~3年の自分の中の音楽ブームはまだまだ過ぎ去る気配がない。

          ホリデー

          逃げることは

          逃げることは、悪いことではないし、負けることでもないと、最近思うようになってきた。 だけど、どこで逃げてどこで逃げないかは重要な気がする。

          逃げることは

          音楽

          音楽を聴くのが好きだ。 『大好きで毎日何度も聴いていた曲が、さまざまな出来事を経て神格化されてしまって、そう容易くは聴けなくなってしまう』現象は、 誰にでも起こるものなのだろうか、それとも自分だけなのだろうか? 今日も「聴きたい」と「聴けない」の狭間で揺れ動く。

          特別だったかもしれない今日

          ほんのちょっとのことで、ちょっとした運で、かけがえのない日になるかもしれなかった今日は、結局ただ疲れ果てただけの今日だった。 なんだか悲しくなって、ちっぽけな自分に嫌気がさすけれど、これで良かったんだと言い聞かせる。 特別な日は今日じゃなかったんだ。いつかきっと、そんな日が訪れることに期待してる。

          特別だったかもしれない今日