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こどもの日

自分のこども時代を振り返ると、とても恵まれていたと思う。何不自由なく過ごせたし、やりたい事は大体やらせてくれた。成人するまでに「もう、お腹一杯」と思えるくらい充実した毎日だった。

ただ、両親の仲が悪かった。
言い争ううるさい声、床で粉々になったお皿、壁に飛び散ったミートソース。
色んなところに旅行に行ったことや、楽しい思い出は他にも沢山あるはずなのに、先に思い出してしまうのは、年に1~2回あったかどうかのそんな風景だ。

両親への恨みつらみを書きたい訳じゃないし、不幸自慢をしたい訳でもない。ただ事実としてそういう事があって、それが自分にとってはショッキングな出来事だったんだろうな、と思って。

そして自分は、そんな両親の姿を見て見ぬふりした。
間を取り持つ、とまではいかなくても、何かしら行動を起こせたはずなのに、何もしなかった。ただ怒りが落ち着くのを待って、それからは何事もなかったかのように過ごした。
両親とはいえ他人の問題に、勝手に介入すべきではなくて、結果的にこれが正解だったのかもしれない。行動を起こしたからって結果が良い方向に転がったとも、正直思えない。

それでも、自分に何かできたんじゃないかという己の無力さとどうしてこうなっちゃったんだろうという虚しさで、たまーに布団の中でポロポロと涙を流しているんだよ、実は。

米津玄師さんの『Neighbourhood』。
最近偶然知った曲で、はじめて聴いたときに衝撃をうけた。
この曲についておそらくまだ全然わかってないんだけど、それでも
「子供の頃の風景」に「ひどい」という形容詞がつくのは、なんともやるせない気持ちになる。


どんな家庭に生まれたこどもであっても、楽しいことも嫌なことも少なからず経験するものだし、良いことも悪いことも育っていく上で必要なものだと思う。だけど、大人になってからこどもの頃を振り返ったときに、ネガティブなイメージが先行するのは、なんだか悲しい。

こどもには無償の愛を、なんて思ったりするけど、それは親という立場を経験したことがない自分の暴論なのかもしれない。


今となってはありえないのに、我が家のリビングで家族4人、テレビ観たりゲームしながら一家団欒、そんな夢を捨てきれずにいる。ただそれだけ。

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