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檸檬...ではない柑橘類の何か

ぼんやりと歩いていたある日のこと。
何やらオレンジ色の物体が道路の脇からコロコロと転がってくるのに気がついた。
すぐそばには同じようなオレンジ色の実がたわわについた木があった。

これは、みかんではなさそうだ。オレンジだろうか、それとも他の柑橘類だろうか。
自らの重みに耐えかねて脱落してしまったと思える柑橘類の何かの実は、無機質なコンクリートの上で鮮やかなオレンジ色を輝かせていた。

それを眺めていたら、ふと梶井基次郎の『檸檬』を思い出した。
...この柑橘類の何かも、爆発するだろうか。


『檸檬』を読んだのは、中学か高校の国語の授業だったと思う。当時は檸檬が何を表しているのかさっぱり分からなかったものだ。(今も分かっていないのだが。)国語がいつも試験で足を引っ張る科目だった自分は、おそらく教科書的な正しい解釈というものができていないのだろう。それでも読むこと自体は好きで、『檸檬』も『こころ』も『羅生門』も、今でも記憶に残っている。

あの柑橘類の何かは勝手に木から落ちて転がっただけのもの、自分が置いた訳ではないし、そもそも檸檬ではないし。小説の『檸檬』と状況は違ったんだけど。
柑橘類特有の眩しい程に鮮やかな色が、そしてそれが鮮やかさの欠片もない地面にぽつりとあった不気味さが、『檸檬』の終盤の印象と重なったのだろうか。
本当に爆発しそうな気がしたのだ。

そんなことを考えたのだが、確かなのは、
「あれは檸檬ではなかったこと」と、
「翌日には無くなっていたこと」。
その2つだ。

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