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花に想いをのせて

ゆずの新曲、『Chururi』。
そのMVが想像を遥かに超えて良い作品だったので、興奮冷めやらずにこの文章を書いている。


これは一個人の感想でしかないことをご承知おきいただきたい。


どんな所に咲く花も花であって、花自体はいつだって可憐で綺麗だ。それが、背景の物語によって色んな意味を持ってくる、そんなことに気付かされた。
感謝であったり、祝福であったり、慰めであったり、祈りであったり。

思えば、日常に溶け込みすぎて意識していないだけで、花というものは案外身近にある。道路沿いの家の花壇、植え込みのツツジ、食卓の生け花、一日に一回はどこかで目にしているような気がするし、ついこの間も母の日にカーネーションを贈ったばかりだ。

花は日常に彩りを添え、人々の心に寄り添う。道端に咲くタンポポに心が軽くなったり、サプライズで贈られた花束に感動して泣いたり、桜やひまわりやコスモスやシクラメンに季節を感じたり、お供えした花に今はもう会えない人を想ったりする。

本来は子孫を残すための生存戦略として、虫たちを引き寄せるための美しさが、ヒトまでをも魅了してやまないのだから、花というものは、自然というものは、すごいものだ。


儚さが、花の良さの一つだと自分は思う。もちろん枯れてしまうのは残念だけれども。
目一杯咲き誇って、そしてすぐに散ってしまうからこそ、大切な一瞬の思い出を色濃く焼き付ける、そんな風に思う。


花を贈るとき、幸福、無事、いたわり、健康、その他諸々、相手の心が少しでも上を向けますように、そんなプラスの気持ちが込められているのではないだろうか。
だからこそ花を選ぶときは楽しいし、緊張もする。少なくとも自分はそうだ。

人は、言葉では伝えきれない想いを花に託すのかもしれない。

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