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英語。留学最大の副産物=英語力が広げてくれる世界<2>[マックイーンありがとう]

英語が全く話せなかった私がなんとか話せるようになったきっかけ、英語が味方になった瞬間、それによって得られたことについてのnoteの2回目。前回のnoteの続きです。あまりのポンコツっぷりが笑えますが、そこはまぁリアルな凡人の体験談ということで・・・共感してもらえたら嬉しいです。

<前回note要約;英語が十分に使いこなせないまま、イギリスでの学生生活を送っていた私。ファッションの学校という守られた世界から飛び出し、インターンシップをすることに。アレキサンダーマックイーンが最初のインターン先。そこには→>

山ほどインターン学生がいて、理不尽な現実社会があり、ストレスフルなファッションのリアルがあった。

朝から晩までアイディアを出し続け、絵を描き続ける現実のファッションスタジオでの生活。早く、正確に、的確にデザイナーの意図を汲んで提案に反映させることが求められた。早いペース、削られる睡眠、極度の緊張、初めての本当の競争。

想像してみてください。<どんなスタジオの状況だったか?>
・クリエイティブディレクターがひとり(サラバートン)
・その下に各セクション(シルエット&デザイン担当、刺繍担当、プリント担当、アクセサリー担当)の責任者のデザイナーが1−2人ずつ
・そして各デザイナーが、一人頭15−20人のインターンを抱えて指示を出す。
・その大所帯で、たった40ルックのコレクションを作る。
・全てのインターンは、コレクションに何とか関わりたくて無償でインターンシップに来ている。

限られたコレクションのルック数の中に、なんとか自分のアイディアをねじ込みたい。山ほどいるインターンの中から、私を選んで仕事を振ってほしい。結果が欲しい。気持ちだけが焦った。
日本人がおらず、言語で頼れる人が全くいなかった。英語でのコミュニケーションに限界を感じ、どんどん余裕がなくなった。友達も作れず、情けなく、辛かった。惨めだった。経験を積みに来たはずなのに、デザイナーの意図が汲み取れない。だからアイディアは採用されない。だけどやめるわけにもいかない。ロンドンに何しに来たんだろう。後ろめたさで自分を責める日々。

ある日、急いで完成させてと追い立てられ、3日以上必死で書いていたプリントの図案が、完成もしていないのに「もう書かなくていいから。」と突然却下される事があった。Whyと理由を聞いてもデザイナーは教えてくれず、どうせわからないと思われているのか笑ってごまかすばかりで全く相手にしてくれない。

頭が沸騰するくらい腹が立った。その図案のためほぼ寝ていなかったし、無能な自分へのイライラも頂点に達していた。一人で抱えられる感情のキャパを超えた。誰かに愚痴らないともう限界だった。
理不尽、バカにされてる、訳がわからない、などの愚痴るための英語を電子辞書で調べ、勢いのままに隣の席のインターンの子にぶつけた。
渡英して3年以上は経っていた。大げさに聞こえるかもしれないけど、恥ずかしいけれど、自分の感情をその瞬間に思ったままに英語で話したのはこの時が初めてだったと思う。

そうしたら、びっくりするくらい笑ってくれた。
ウケた、という感じ。

今まで何も言わなかったおとなしい日本人が、突然文句を言い出したのが相当面白かったのだと思う。それまではおはようの挨拶くらいしかしなかったインターンメンバーの皆が、悪口の言い方とか、陰口の叩き方とか、イライラするとかもう嫌だとかの感情を表現する言葉や文章(いわゆるSwear Words)を紙に書いて教えてくれた。私がリピートしてそのまま覚えるからさらに面白がって、他に知りたい英語はないかと聞いてくれる始末。

怖くてスーパー以外で食品を一人で買えないこと、オーダーが通るか不安で外食ができないこと、ラジオを聞いても内容がわからず笑えないこと、そしてデザイナーが何を欲しているかわからないこと。少しずつ話した。
そしてなぜかその度に皆で面白がって教えてくれた。
よっぽどインターン生活に飽き飽きしていたのか、言葉が話せない大人を見るのが滑稽だったのか、それとも純粋に楽しんでくれていたのかはわからない。
結果、徐々にインターン仲間の皆と打ち解ける事ができ、お昼に一緒に行く友達ができた。嬉しかった。

デザイナーが、「ナユコ、あのカフェ行ってランチ買ってきて。あれとこれとそれと・・・」と言われたオーダーが全てわかり、問題なくランチを買ってこられた時はトイレでひとり泣いたくらい嬉しかった。もちろんただのパシリなのはわかっていたけれど、突然英語で出された指示がわかったという事実が信じられなかったし、小さくても何かを任せてもらえた事に言い表せないくらいの満足感があった。

マックイーンでの3ヶ月のインターンが終わる頃には、インターンメンバーの友人と天気の話をし、互いのデザインのアドバイスをし合い、いかにデザインを通すかの作戦を練り、嫌な出来事の愚痴を言い、夜は何を食べるか相談するくらいコミュニケーションが取れるようになっていた。
もちろん友人の寛容な姿勢や優しさがベースにあったし、完全なコミュニケーションとは程遠い。だが、自分で思うことをその場で、面と向かって英語で伝える事が全く怖くなくなっていた。
誰かから話しかけられるのを待つのではなく、自分から会話を始められるようになった。そして、わからないことをわからないと言えるようになった。
デザイナーから直に仕事を振ってもらい、コレクションにも想像以上に関わる事ができた。
何より気が合う友人ができた。私のために用意された、Intense English program のような3ヶ月だった。


英語は世界を広げるためにある。

ロンドンに住んでいたことを話すと、「英語どれくらい話せるの?」とよく聞かれる。本屋さんに行くと、英語を話せるようになるには、と言うhow to本が溢れている。だけど、皆本当に英語を話す事が目的なのだろうか?そして、どれくらい話せるかはそんなに大切なのか?
(もちろん、話せないと試験に受からない、とか昇進ができない、とかかっこつけるため、とかそういう場合を除いてだけど。)

私は、英語はただのツールだと思う。私たちの世界を広げるためのツールで、話すこと自体は目的ではない。
だから話せるか話せないかより、話して何をしたいのか、話すことでどんなことができるのか、という”その先の目的”を持つことの方がよっぽど大切だし、それこそが英語が存在する楽しいポイントだと思う。
渡英してからの私にはずっと、その目的がなかった。だからいつまでたっても英語を話せるようにならなかった。だがマックイーンで、チームに参加したい、より良いデザインをしたい、仲間が欲しい、という”何のために英語が必要か”という目的がはっきりしたから、そのためのツールとしての英語が突然身についたのだと思う。

英語はたくさんの世界を広げてくれ、私の人生に多くの楽しさや可能性をもたらしてくれる。マックイーン後イギリスで別の会社で働いた時も、日本に戻ってから就職した時も、私が提供できる価値としての英語は私の武器であり続けてくれた。色々な価値観を持つ人との出会い、知らなかった文化を知る人とのコミュニケーション、単純に話せる人が増え、活躍できる場が増えた。
ツールとしてこんなに重宝しているものはない。


というわけで、
英語が全く話せなかった私がなんとか話せるようになったきっかけ、英語が味方になった瞬間、それによって得られたこと
のnoteでした。心からマックイーンのロンドンのスタジオの面々にはありがとうって思っています・・・
もちろんデザイン面でも貴重な体験をさせてもらったけど、あの沸騰するようなムカつき経験がなければ今でも英語を話せない人生だったと思うと本当に大感謝。

そして怒りのパワーってすごい。



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