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【オススメ小説7】不協和音の怪作『ボラード病』が描くディストピアと現実

  ※本記事は東日本大震災についての記述があります。

 同調圧力と地域信仰を圧倒的な筆力で描いた、「今」読まれるべきディストピア小説『ボラード病』。終わりの世界はついそこまでやって来ている。

 日本って本当に素晴らしいですか?

 こんにちは、名雪七湯です。ぼちぼちと続いている本紹介ですが、第7回の今回は吉村萬壱さんの『ボラード病』を取り扱います。今作はコロナ渦である、「今」だからこそ読まれる本だと考えます。今の生活で心の奥底に抱えている、世間への嫌悪感や猜疑心がこの本では徹底的に描かれています。

1、本情報、著者情報、あらすじ

 『ボラード病』吉村萬壱 2014 文藝春秋

 吉村萬壱。2002年に『クチュクチュバーン』で第92回文學界新人賞を受賞しデビュー、翌年『ハリガネムシ』にて第129回芥川賞受賞。第22回島清恋愛文学賞を受賞した『臣女』(2016)がテレビ朝日系バラエティ番組「アメトーーク!」にて紹介され、注目を集める。グロテスクかつエロティックな描写が乱れ描かれる作風で、退廃で奇妙な世界を作り上げる変態傾向のある小説家。人間の汚い部分だけを丁寧に描き上げる。

 基本、吐き気を催す作品群を生み出す彼ですが、『ボラード病』は吉村作品の中でも比較的読みやすいです。以下、あらすじになります。

 舞台はB県貝塚市。同市では大きな災害があった。長い避難生活の末、市民はまた故郷に戻って来る。まるで何もなかったかのように大人たちは顔を合わせ、街は安全になり自分の街の野菜が一番おいしいと信じ、「貝塚賛歌」を合唱する。住人がときどき消えるこの街で。小学生の大栗恭子の備忘録という形を取り、歪みを見せる街の同調圧力と地域信仰を描く。

2、内容について

 作中は名言はされてませんが、今作は東日本大震災後の復興中の街が舞台である、と考えられます。もちろん、ただの読者の考察に過ぎないので見当違いの批判を寄せることはよしましょう。テーマである「復興」と「同調圧力、地域信仰」、「街」の関係に着目します。ちなみに、「貝塚市」という市名は、吉村さんが大阪府貝塚市在住というところから取っていると考えられます(作品はフィクションであり、実在の市とは関係ありません)。

 信仰と神話

 人間は、自分が所属しているコミュニティは他より優れているという「信仰」を持ちます。数値や記録で他の国との差を見せられても、「日本は世界で最も優れている国だ」という漠然とした考えを誰でも持っていると思います。日本人が世界で何か成果を残すと、「流石日本人!」となるでしょう。この「流石」という部分が、信仰にあたります。国という単位でなくとも、学校や市、街、さらには家族という単位でも、「自分は他より優れている」という考えが意識の底には存在していると思います。

 この考えは決して悪いことではありません。自尊心や自信に繋がり、結束力も増します。しかし、それが行き過ぎると人をは人を縛り付けるようになります。その世界観を描いたのが『ボラード病』です。

 貝塚賛歌の小学校

 恭子が通っている小学校では、街の良いところをクラスで語り合い、貝塚を讃える歌を歌います。そして、それに逆らうことは許されません。恭子はそれに疑念を持ちますが、周囲の大人たちに圧力を掛けられます。子供の恭子に対し、最初は優しく説得をそして、段々と圧が強くなり……。

 復興というテーマ

 復興というのは一人ではできません。住人の結束が無ければ、実現できません。そのために「自分たちの街は素晴らしい」という信仰を抱き、復興に勤しみます。そして、現れ始める大人たちによる「事実の隠蔽」

 貝塚市では「安全」というスローガンを掲げ、美味しい海産物や野菜を十人で分かち合います。しかし、市では不自然な死を遂げる人が出始めます。それに、不自然な体調不良。大人たちは子供には説明せず、その事実を隠そうとします。事実が滅却されることで表面上は成り立っているように見える、街の安全矜持。歪んだ街の生活が上手く表現されています。

 母親という存在

 物語は恭子の視点で進められ、小学生の目線から歪んだ世界が描かれます。恭子は母親との二人暮らしです。大人たち全員が街を本心から信仰している訳ではなく、母親も空気に流されている一人です。大人の頭を以てすれば、街がいかに歪んでいるかが理解できるでしょう。しかし、彼らは他に行くところがないのです。そして、母親はじょじょに精神が破綻します。

 母親とのちぐはぐな距離のやりとりの恐怖もこの作品の魅力の一つです。

3、形式について

 ここまででも述べているように、この作品は恭子の備忘録という形式を取ります。つまり、描かれている世界は過去のことなのです。では、彼女はどうなっているのでしょう。ある意味でこの作品は未来のディストピア小説なのですが、そして、その未来はいつ来てもおかしくはないのです。

4、最後に

 事実から目を逸らし、自分の集団は優れている、と信じ込む。本当に正しい世界の姿を見詰めることは、いつの世でも大切なことです。

 信仰と歪んだ世界をここまでリアルに描いた作品は他にはありません。

 こんな世の「今」だからこそ読むべき作品だと考えます。


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