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【オススメ小説3】『水曜の朝、午前三時』

 こんにちは、名雪七湯です。ぼちぼちと続けている本紹介ですが、第三弾の今回は『水曜の朝、午前三時』を取り扱いたいと思います。写真からもお分かりの通り、単行本も文庫も揃えてしまう程に私のお気に入りの作品です。ですので、ところどころ熱が入り過ぎるかもしれませんがよしなに。

1、本情報、あらすじ

 『水曜の朝、午前三時』 蓮見圭一著 2001 新潮社

 今作は蓮見さんの処女作であり、デビュー作でもあります。小説家になる前は雑誌編集者や新聞記者をされていたそうで、納得の取材力と文章力です。簡潔なあらすじは、以下の通りです。

「四条直美という女性が病床で吹き込んだテープの文字起こし、という形で話が進んでゆく。1970年の大阪万博を舞台に、コンパニオンの私と本部臼井さんの叶わなかった恋を、熱烈に、しかし繊細に描いた恋愛小説」

2、内容について

 内容について始めに述べておくべきことは、その圧倒的なリアリティです。四条直美の視線を通じて、舞台である万博に今正に自分がいるような錯覚に捉われる、重厚な情報量。取材に取材を重ね、当時の時代の雰囲気を損なわないよう、慎重に一文一文を紡いだ努力の痕跡が見える一作です。

太陽の塔

(出典:「太陽の塔」オフィシャルブログ https://taiyounotou-expo70.jp/about/#appearance

 大阪万博も2021年の今にとっては、50年以上昔のことです。私自身は2000年生まれで、産まれた時から万博は遠い過去の出来事でした。ですので、この作品を読むことにより、活気に満ち溢れていた頃の日本を知れるという、貴重な体験ができました。2025年には大阪・関西万博が予定されています。昔の万博を知るのにはいい機会でしょう。当時の記憶がある方も、万博を知らないという方も楽しめるものとなっています。パビリオンでの催しものに、展示物に、開催に関わった人々。何よりも時代の雰囲気が知れる書物は滅多にないので、きっと大事な教養になります。

 さて、本格的に内容に入るとしましょう。今作では、四条直美と臼井さんの叶わなかった恋が描かれます。そう、恋は叶わないのです。叶わないと知りつつ、読者は二人が徐々に距離を縮めてゆくのを見守るしかないのです。

 大人の恋、という言葉がありますが二人には正にそれがぴったりです。それは四条直美という女性像に強く表れています。直美は少女漫画のような守られる儚いヒロインではありません。ボブディランを聴きサルトルを読みながら煙草を吸う、自分の言葉に絶対の自信を持つ女性。1970年という時代は、まだ女性差別が目に見えて残っている時代で、彼女は親から「男だったらよかった」と繰り返されます。男が持つべきものを持っている、というのは彼女の強みでありながら、女性として失格であることを意味します。

 けれど、周りに反発し万博のコンパニオンとなった彼女は、そこで臼井さんと出会う。そして、忘れられない体験をする。

 蓮見さんは四条直美というキャラを徹底して作り上げています。言動の一つ一つが直美らしいと思え、作品の魅力とは四条直美の魅力なのです。

 彼女には許嫁がおり、無難に家庭に入ることを家族は望みます。しかし、彼女はそれが退屈でならない。英語が窘めた彼女は大阪という土地に憧れを見出し、そこには「人生は宝探しである」という思想が顕著に表れている。

「人生は宝探し」

 作中に繰り返し出てくる表現で、彼女の人生を突き動かす動機です。

 この作品を読み終わると、自分の人生でも宝探しを始めたくなります。

 この作品に登場するキャラクターは、教養があり芸術を嗜み、自分なりの思想で人生を作り上げている人が多い。沢山の本を読み音楽を聴き、絵画に触れ誰かの思想を引用すること。人生は豊な方が楽しい。私も触発され煙草を吸ってみましたが、とてもじゃないが吸えたものではありませんでした。何事も経験です。経験が教養になり、思想となって人生が変わる。それを教えてくれたのがこの作品でした。四条直美という女性を通じて己を内省できる。小説というものが持っている力を遺憾なく発揮した作品になります。

3、形式について

 直美には娘がおり、葉子というが、今作は直美のテープを書き起こした葉子の夫の語りから始まります。冒頭で直美の死が告げられ、葉子との出会いや葉子の人間像が描かれる。それから、直美の人生が語られます。作品紹介の際に他の作品を持ち出すのはモラルに反しますが、夏目漱石の『こころ』を思い浮かべて貰えば、構成が分かり易いと思います。

 そして、ときどき病床に伏していた頃の語りも入り、

  現在:葉子の夫目線

  過去:直美の万博時代(ときどき病院での思い出)

  現在:葉子の夫目線

 という構成を取ります。若干分の混乱はありますが、四条直美という像が、葉子の面影から感じるもの、葉子の夫が感じるもの、年老いた直美が過去の自分を振り返って感じるもの、と言ったように様々な角度から描かれ、本当に著者がどれ位真剣に四条直美というキャラに拘ったかが伝わります。

 そして、文庫版の帯には「胸の内に他の誰かを思い描かない既婚者などいるはずがない」と書かれ、直美と臼井さんの恋が成就しないことが読者に先に提示されます。それにより、二人の会話や行動一つ一つに深みが増します。また、1ページ目から四条直美の死が描かれることで、周囲の人間が彼女に対し何を思っていたのかという視点からイメージが形成されます。ただただ四条直美の人生を描くだけでなく、周囲の人間の人生も描くことで、人生というものは一人では成り立たず、周りに影響を与え、また与えられる相互作用であるということが示されます。そして、この作品を手に取り、自分の人生の宝探しを始めようとする私自身も直美に影響を受けているのです。

 次に、タイトルについてです。「水曜の朝、午前三時」。思わせ振りなタイトルで、読者は「水曜の朝、午前三時に何が起きるのだろう」と予想を膨らませます。今作はたくさんのテーマを取り扱っていて、その中でこの言葉を選んだ意味を是非、読んだ後に考えてみてください。タイトルも含めて私はこの作品が愛おしくてたまりません。

 最後に、表紙についてですが、単行本は絶版してしまっているので割愛させていただきます。文庫本の方は、間接照明の淡い緑と見切れる額縁というお洒落な写真です。ただ、内容とあまり関係が見出だせないのが残念でなりません。一方で作品の落ち着いた雰囲気とは調和しています。

4、最後に

 私自身が大好きな作品とあり、長々と書き綴ってしまいました。最後まで読んで頂いた方には大きな感謝を捧げたいです。少しでも、読書の参考になれば幸いです。またどこかでお会いしましょう。


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