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なぜプライドが高い人は成長できないのか

あけましておめでとう。
仕事が死ぬほど忙しくて書けませんでした(謝罪)。
また暇があったらぼちぼち書いていきます、よろしく。

以下本文。


◾️プライドが高い人は成長しない

プライドの高さは自分のレベルを停滞させる要因になる。
自分は何人ものプライド絶壁人間を見てきたが、共通して言えるのは彼らは人間的にも技術的にも成長が遅すぎるということだ。別に馬鹿にしている訳じゃない。

例えば絵を描くにしても、ゲームをするにしても、彼らは大体成長しない。基本的に現状維持、他力本願、楽したがりだ。言うならばとても楽観的とも言えるが。

努力をしろとは言わない。だが、それにしても彼らは努力を邪魔者的な何かだと思っているのだろうか。

プライドが高い人は目標のためのプロセス(努力や調べるための行動)をやたら惜しもうとする。もっと言えば、偶然とか運とか他人からの好意とか、そういった無作為な何かで自分が欲しいと思うものが勝手に寄ってくると思っている。割と本気で。

だから努力をすることを必要以上に惜しんだりする。
何かの為に時間をかけることを馬鹿にする割に、それとは関係ないことに熱中して時間を浪費する。時間に関してはすごくシビアなのに、だ。

自分ではない第三者が自分が望んだ結果を持ってくると思うから、自分は何もしなくていい。結果、成長しない。実に簡単な構図だろう。

◾プライドが高い人は視野が狭く、諦めが早く、幼く、愚かである

プライドが高い人は一目見ればわかる。
口調、視線の動き、言葉選び、表情の些細な動き。自分への甘さというのは冷静に見つめていればわかるものだ。

彼らはよく「自分にはできないから」と口にする事が多い。それも何かをする前に、だ。
あれは、ある意味己への呪いのようにも聞こえる。薄々成長出来ない自分への軽蔑とか諦めとか、あるいは悔しさを含んだ言い方で。

自分は彼らと時間を共にしている時、それを聞いて本当は成長したいんだろう、と思う事がある。ただ、その成長を阻んでいるのが高すぎるプライド、その一つなのだろうと思ったり。

プライドが高い人は自己愛が誰よりも強い
言い換えれば、自分が好きで大事すぎるから傷つきたくない。また、周りもそれを許してくれたから、自分は特別だと思いたくてすぐに諦めてしまったり目標の為の努力から遠ざかってしまうのではないか。

ワガママや傲慢さの一つをとっても、そうやって驕ってしまうのは「自分は特別であるから」というものがあるからではないか。
それをまた「万能感」と言ったりするのだが。

自分は彼らを見ているとき、彼らが現実について誰も教えてもらえなかった環境があったと思い知らされる時がある。

そう考えると、彼らは確かに「特別」だが、同時にとても虚しい「特別」な存在だ。

◾️努力は付録的なもの️

彼らはやらない理由を探す事に関してはプロ級だと思う。
「だって」「でも」、これは彼らの常套句だ。

自分は、彼らを見ているととてもつまらなく思う。人間的につまらないのか、そのままでは何も変わらず成長出来ないからつまらないのかはわからないが。

成長のために努力をしろとはよく聞くものだが。
自分が思うに、努力とは手段であって目標と比較したら存在も大きいものではない

彼らは努力が目標よりも大きく見えているように感じることがある。
彼らは目標と努力がセットだと思っているからだろうか。彼らには努力という文字や存在が見えすぎているのではないか。

努力というのは所詮、長期的な行動を指すものでしかない
これについては「努力こそ正義」という言葉の強すぎる影響もあるかもしれないが。

要は、努力というのは形として存在していない。あるのは努力というより、継続力と言った方がわかりやすいだろう。
簡単な話、ある一つの事にそれだけ時間をかけていれば余程の馬鹿でない限りは上達するだろう。

服を着るのも、靴を履くのも同じ事を何度も繰り返して継続してきたからだ。絵も、ゲームも、技術も、努力なんて大層な言葉で飾らなくても継続して向き合い続けていれば上達するだろう。
無論、自分の頭を使って工夫をした上での「上達」ではあるが。

◾️失敗があるから成功がある

彼らは失敗を恐れるあまり、向き合う事から遠ざかって行く。
努力する事が恥ずかしいとか、工夫をして駄目だったときに恥をかくからという理由だ。

大人になればなるほど失敗が恥に思えてきてチャレンジを惜しみ始める。
ダラダラ現状維持で生きるから、狭い世界にいることを忘れて「むしろ自分は優秀で素晴らしいんじゃないか」と思い込む。
焦ったときには年老いてしまってどうにもならない、なんてことになる。

何をやるにしても犠牲や不安はつきものだ。
何かを習得するということは時間がかかるし、苦労もするだろう。時にはうまくいって嬉しくなったり、うまくいかなくて苛立ったり。

しかし、何かをやるにしても失敗があるから成功があるというのは忘れないでほしいと思う。
果たして最後に上手く行かなかったとしても。何も手のうちに残らない方が珍しいじゃないか、と。

行動すれば、何かしらは返ってくるだろう。
たとえそれが自分の望まなかった結果であっても、失敗をしたことで学びがあり、成功を知ることで喜びがあるなら、とても素晴らしいことじゃないかと自分は思う。

◾️ まとめ

今回はプライドが高い人たちについて書いてみた。
というのも、自分の短くてどうしようもなくちっぽけな人生の中で彼らに会うことが多かったからだ。

思うに、彼らはそうでない人よりずっと損をしているだろう。
あのプライドの高さを自己責任だと片付けてしまえば簡単なことかもしれないが。

つい最近、酒の席でこういった人と話したのだが、こういう人と自分は全く合わないから駄目だと思ったりもする。
無論、彼らが悪いとは言わない。ただ、彼らのような人たちが自分を良く思わず目の敵にすればするほど、彼ら自身が傷ついているようにも見えるからだ。まあ、良い気はしない。

年明けから何をぼやいているんだという話ではあるが、今年もこんな感じで思いつきで書いていくと思う。

今年もよろしく。

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