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されど器。

シェアハウスに住んで1週間。特に問題も不自由も感じずに生活を送っている。
住人それぞれで生活リズムが異なるので、平日は誰とも顔を合わせない日もある。まるで大きな家に一人で暮らしているみたい。人間みたいな小人たちと一緒に住んでいるような感覚。

シェアハウスにはそれぞれの個室があり、水回りは共同。キッチンには必要な器具や家電が揃っていて、食器やお箸なども自由に使っていいことになっている。
そのため一人暮らしのときに使っていた食器類はしばらく使うことはないだろうと思い、引っ越しの時にしっかり梱包して段ボールに閉じ込めていた。

日常生活が始まり、普段のように晩ご飯を作って食べていた日のこと。
なんだかご飯が味気ない。環境の変化による気分的なものかな?と思ったけれど、手慣れた料理も具材や味付けはまったく変えていないのにどこか物足りない。
何度も作っては飽きずにうまいうまいと唸っている砂肝のピリ辛炒めもいまひとつ。なぜ。

広いリビングに一人でご飯を食べているから?いや、広々とした空間はむしろ落ち着く。水が変わったから?いやいや味覚的な部分ではないような。
むしろお水は角がなくて飲みやすいし、食材も以前より新鮮なものを使えているはずなのに。(ちなみにお水がびっくりするほどおいしい…!)

もやもやをもぐもぐしながら手元に置いた料理たちを見つめる。
ああ、器かもしれない。
いつも使っていたオーバル型の器に入れたほうがおいしく見えるし、あのぽってりとした乳白色のマグカップが恋しい。

これまで何気なく使っていた食器たち。しかし食事をする上で主要な登場人物になっていたことに気がつく。
さっそく段ボールに閉じ込めていた子たちを取り出す。久しぶりに見た姿はどこかどっしりとした風貌をしていた。

豆乳とさつまいものスープを作る。使い慣れた深めの皿によそう。味付けは少し失敗してしまったけれど、おいしそうに見える。自分の食事をしている感じがする。
たかが器、されど器。いやはや不思議。
住人たちに気を遣わせるのはいやなので、食べたらすぐ洗って拭いて棚にしまうことをマイルールにした。

無意識のうちに存在にしていること、いつの間にか欠かせなくなっていたこと。気づかないだけで至るところに転がっているんだろうなあ。ありがとう違和感。
そしてわたしはこのまま器やカトラリーという沼へさらにずぶずぶと浸かっていくのだろうという予感。今はお箸が欲しいです。

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