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クラシック・ピアニストが自力でアルバムを企画して録音して編集してリリースしてみた話

アーティストがオリジナル・レーベルを立ち上げ、自分でレコーディングからマスタリングまで全行程をDIYしてアルバムを制作するのは、イマドキ決して珍しいことではありません。

けれど「クラシック音楽」……しかもベートーヴェンのピアノ・ソナタに取り組むようなオーセンティックな「クラシック・ピアニスト」となると、録音から音源の編集までひとりでやる人は相当レア。……というより「皆無」なのではないでしょうか。

そんな先入観をくつがえして、前代未聞(?)の「セルフクラシックレコーディング」に挑み、自主アルバム『プランシップス  PRINCIPES』をリリースしたのは、ブリュッセルでの留学生活を2年前に終えた新進気鋭のピアニスト、尾関友徳さん。

いったいその心は? 苦労は? 魅力は? そして意義は?
『プランシップス』のアルバム流通を取り扱うナクソス・ジャパンが、あらためてご本人にインタビューを行いました。

尾関友徳
Tomonori Ozeki

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photo:Teruki ISHIBASHI

1988年岐阜県出身。
菊里高等学校音楽科・東京音楽大学を卒業の後、2010年にフランスへと留学し、パリエコールノルマル、パリ地方音楽院にて研鑽を積む。その後2013年よりベルギーのブリュッセル王立音楽院(CRB)修士課程へと進み、優秀賞付きで同課程を卒業する。2015年からはブリュッセル王立音楽院(KCB)に籍を置いて古楽的なアプローチを学び、バロック・古典時代から息づく伝統の奏法をモダン演奏に活かす研究を続けた。現在は日本国内のみならず、海外でのソロリサイタルを毎年開催しており好評を博している。また、仏語レッスン通訳としての活躍や、録音技師として演奏会やコンクールの記録を担当する事を通して、クラシック音楽の普及と発展に貢献している。これまでに、在ベルギー日本大使館の大使公邸にて招待演奏をする他、マラガ国際音楽祭やニース国際音楽祭等、多くの国際音楽祭に参加しコンサートを行っている。室内楽においても、ベルギーラジオ局RTBF主催のMusiq 3音楽フェスティバルへの参加をはじめ、多数の演奏を引き受けている。
Piet Kuijiken、Johan Shumidt、Billy EIDI、森本恵美子、寿明義和、各氏に師事。

「自主録音」のきっかけは、若いアーティストのために始めたレコーディング経験

────『プランシップス』リリースおめでとうございます。ナクソス・ジャパンは近年、国内のクラシック・アーティストさんの自主レーベルの流通を積極的に取り扱うようになりました。自主レーベルのアルバムは、アーティストの哲学や、良い意味でのホームメイド感が色濃くあらわれて、レコード会社主導の企画とは違う魅力があると感じています。

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ナクソスが流通を行っている自主レーベルのアルバム(ごく一部)

が!!!録音して、音源を編集して……といったプロセスまでひとりでやってしまったというアーティストさんは尾関さんがはじめてです。最初にお話を伺ったときは衝撃を受けました。このようなスタイルでのアルバム制作に踏み切るきっかけはなんだったのでしょうか?

(尾関友徳)まず、自主アルバムを作ることになったのは、先輩ピアニストの内藤晃さんにそそのかされたのがきっかけです(笑)。2年前に帰国して、本格的に演奏活動を始める際に、「1枚は自分の名刺代わりのCDを作るべきではないか」と説得されました。
自分の演奏を自分で録る、というスタイルを選んだのは、ごく自然な成り行きでした。ブリュッセル王立音楽院に籍を置いていた頃、すでにレコーディングの勉強を始めており、他のアーティストの演奏を何度も録った経験があったからです。

────なぜレコーディングの勉強をはじめたのですか?

(尾関)若いアーティストが録音で苦労している様子を肌で感じたからです。海外の音楽コンクールは、録音音源でもって予備審査を行うことが多いです。ところが、レコーディングを専門業者に頼むとすごく高いし、スマートフォンなどで自分で録るとなると、音質が下がるうえに、みんなどうしても音よりも動画の見栄えのほうを意識してしまいがち。僕のような立場の人間が、みんなの録音を手助けできればいいなと思いました。
いま現在も、他のアーティストさんの録音を請け負っています。

────まずは「自分を録る」前に「他人を録る」という研鑽があったわけですね。

(尾関)レコーディングの経験は、単に録音の専門技術を磨くだけでなく、ピアニストとしての自分にとっても大きな収穫がありました。始める前は、「ホールの音をよく聴きながら弾くように」と教えられても、感覚的にいまひとつわからなかったんです。けれど経験を積んだいまは、自分が弾いた音がホールにどう反響するか明確にイメージできるようになりました。
人間には「知識と認識」という2つの軸があります。知識はGoogleから得てもかまわない、だけど認識は「自分のなかでの理解」なので、実践によってしか培えない部分があると思います。

「自分の髪の毛を自分で切る」──避けえない失敗との戦い

────それにしても、他人の演奏を録るのと自分の演奏を録るのとは、かなり感覚的な違いがありませんか? たとえるなら、自分の髪の毛を自分で切るような大変さがあると思うのですが。

(尾関)あ、僕は自分の髪の毛も自分で切ってます

────なんと!!

(尾関)なんでもやりたいタイプなんだと思います。ただ、もちろんセルフならではの大変さはあります。決定的に違うのは、ディレクションする人がいないこと。自分ひとりでやっていると、重大なミスにも気づけない。今回の『プランシップス』のレコーディングでも、実はかなり初歩的なミスをしてしまいました……。
2日間かけて録音したのですが、1日目の録音のときに機材の設定を間違えてしまい、最初の1曲以外、ぜんぶその間違えた状態で録ってしまったんですよ。

────なんと!!!!

(尾関)1日目を終え、宿に帰ってから音源をチェックしているとき、「あれ?なんか変だな」と気がついて、僕が師匠と呼んでいる先輩エンジニアに確認してもらったら「これ設定が違うよ」と(汗)。
でも、怪我の功名もありました。2日目のほうがホールとピアノがなじんで、ずっと音が良くなっていたんです。「音が開かれた感じ」とでもいえばいいでしょうか。結果としては、2日目の音源をより多く採用できてよかったと思います。

────今回は、尾関さんにとって非常に思い入れのある、珍しいピアノを用いたそうですが。

(尾関)はい。このアルバムは、岐阜県にある大垣市スイトピアセンターの文化ホールで録音を行いました。この会場を選んだのは、「日本楽器」という、ヤマハの前身にあたるメーカーのピアノがあったからです。おそらく1960年代以前に製作されたピアノだと思いますが、とてもエネルギーを感じる音です。調律師の郷建夫さんにも、たいへんお世話になりました。

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レコーディングの様子を撮影した写真
「尾関さんが演奏している写真はありませんか?」
「現場にひとりしかいないので、無いです」
……ですよねー!」

編集のコンセプトは「会場で聴いている空気感」を出すこと

────この楽器の音の魅力は、完成した音源にもよく現れていると思います。ピアノ録音の環境としては大きめの580席のホールですが、もっとこぢんまりした、サロン的な雰囲気を感じます。近すぎず遠すぎずという距離感がとても心地よいです。

(尾関)ありがとうございます。編集段階で音の雰囲気にはかなりこだわり、「会場で聴いている空気感」が出るように心掛けました。
コンクールの予備審査用の録音は当然ながら編集厳禁なのですが、アルバムの場合は心ゆくまで編集してよいので、時間をかけて取り組みました。演奏やフランス語通訳の仕事もしつつですが、3~4か月くらい費しました。

────ホールでの録音のときから、編集作業を意識していましたか?

(尾関)録音中は基本的に演奏に集中しました。その場で聴き返しても、自分自身の演奏だとなかなか良し悪しをジャッジできない。なので、あとで編集できるようにとにかくたくさん弾いて録音を残す、ということを心掛けました。

アーティストの理念を表現できるのが自主アルバムの魅力

────そしてついに完成したアルバム『プランシップス』。選曲にもこだわりが光ります。C.P.E.バッハ(有名なJ.S.バッハの次男)と、ベートーヴェンの若き日のソナタ。この2人の作品のみで編成されているアルバムはかなり珍しいのではないかと思います。

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カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-1788)

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)

(尾関)C.P.E.バッハとベートーヴェンは、実は強い関連性をもつ作曲家です。ベートーヴェンは先輩作曲家のC.P.E.バッハから非常に大きな影響を受けており、彼の魂やエスプリ、あるいはバロック後の時代ならではの音楽的な「趣味」を引き継いでいます。そのありようを表現できればと思いました。

────ベートーヴェンの数多あるピアノ・ソナタのなかで、Op.10の3作品(第5番、第6番、第7番)を選んだきっかけはなんですか?

(尾関)告白すると、ずっと、第7番のOp.10-3は嫌いでした。おもしろくない曲だなと感じていたんです。ところが僕の敬愛するピアニスト、グリゴリー・リプマノヴィチ・ソコロフの演奏に出会って考えが変わりました。この曲の異質さ、意外性、実現したいことなどの「正解」を提示してくれるような演奏で、自分もぜひ同じ曲を弾いてみたいと強く思うようになりました。せっかく第7番を弾くなら、連番の第5番、第6番もやってみようと。

────アルバムタイトルとアートワークはどのように決めましたか?

アルバム名の『プランシップス』は「原則」という意味です。僕たち演奏家における音楽解釈の原則とは、楽譜から情報を読み取り、自分の認識を通して、新しい情報として発信すること。そして、聴き手があらかじめ持っている知識や認識に働きかけることだと思っています。自分の基本的な考えであるこの原則を、ファースト・アルバムとして世に発信したいと思いました。

アートワークはトラヴェルソ、フルート奏者の石橋輝樹さんにお願いしました。伝えたいイメージを的確に表現してもらったと思います。描かれている幾何学のモチーフは、20世紀前半に活躍したロシアの画家、ヴァシリー・カンディンスキーの作品を意識したものです。カンディンスキーはシェーンベルクと強い親和性を持っていますが、僕の場合はこのモチーフを古典派の作品に投影しました。

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『プランシップス』ジャケット

────アーティスト自身の理念をダイレクトに投入できるのが、自主レーベルの魅力だとあらためて感じますね。

(尾関)レコーディングや編集を自分でやった……というと、変わり種のピアニストのように見えるかもしれませんが、僕は、クラシック音楽家としての性格はむしろ王道路線だと思っています。じっくり考えて取り組んで、きちんとしたプレゼンテーションとして世に出したいタイプ。
このアルバムが、尾関友徳のそうしたピアニズムをみなさまにお届けできることを願っています。いい仕上がりになったと思うので、ぜひ聴いてみてください!

──ありがとうございました。


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プランシップス  尾関友徳(ピアノ)
レーベル:Khaggavisana
Tr.1-3  C.P.E.バッハ: ソナタ イ短調 Wq. 49/1
Tr.4-6  C.P.E.バッハ: ソナタ ト短調 Wq. 65/17
Tr.7-9  ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第5番 op.10-1 ハ短調
Tr.10-12  ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第6番 op.10-2 ヘ長調
Tr.13-16  ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第7番 op.10-3 ニ長調

CD: Amazon/タワーレコード/HMV ほか
配信: iTunes Store/e-onkyo music/mora/apple music ほか