オペラシティアートギャラリー「石川真生―私に何ができるか―」展へ行ってきたとのこと
「えらく時間が必要な展示だな」というのが、「石川真生―私に何ができるか―」展へ行った直後の率直な感想となる。
規模としてはそこまで大きくない展覧会である。にもかかわらず、一通り見るのに、えらく時間がかかる。1時間半から2時間といったところか。なぜか。写真を見るだけでは、それがいったいどんな背景のもとで撮られた作品なのかを理解するのが困難だからだ。
それもあってか、オペラシティアートギャラリーが用意した作品紹介リーフレットの分厚さが、すごい。20ページ。一作品ごとに、いったいどういう写真なのかというサブテキストが用意されている。ひとつ例として引用すると、こんな具合だ。
な、長い……。
結果としてどうなるか。リーフレットを読むこと1分弱。作品を観ること十数秒。リーフレットを読むこと1分弱。作品を観ること十数秒。こんなテンポで俺は、そして、俺以外の多くの人たちも、展覧会を回っている。
「えらく時間が必要な展示だな」となる。
言わずもがな、時間を要する=悪いではない。
しかし、この、キャプションばかりを読み進めていく展示/作品構造は、なんというか、写真というメディアを用いた芸術作品として、主従が逆転しているように思えて仕方ない。
寸鉄人を刺すような、ハッとさせられる魅力が写真にあるのではなく、サブテキストの文章にこそ、この展示の魅力というか本質があるように思える。
また、引用したサブテキストからもわかるとおり、作者の態度は左寄りといえる。学生時代には活動に参加したこともあるそうだ。当時を振り返った石川氏の発言がIMA Onlineにあった。
そうして制作され続けているのが、琉球王国時代から現代まで続く沖縄庶民の歴史の一場面を演じてもらい、巨大絵巻に仕立てたメイン作品「大琉球写真絵巻」だ。
当初は衣装や小道具を用意し、歴史の一場面を協力者に演じてもらうという手法をとっていたが、現代に近づくにつれ実際の出来事のドキュメントに近づいていった。写される対象は基地に反対する沖縄の人々の姿だ。
作家は「そういうこと(米軍基地や自衛隊の配備などで、沖縄の人々の意思が尊重されない事態が続く)が現実に起きているから、もう創作しているひまがない」と言う。
しかし、一方で現代において「米軍基地に沖縄の若年層は肯定的」にもかかわらず、そうした人々の姿は石川真生の写真には収められていない。
プロパガンダ……とは言わないまでも、「石川真生が関わりを持つ人々の営みを記録した」などといった建て付けで、政治思想が脱臭されることはないし、一方の見識に極端に肩入れし、反対側の考えを透明化する姿勢は、作者が批判する「基地推進派」「無関心」な人々のそれと構造的に同一なのではないか……と俺は思う。
うーん……。そもそも、日本に復帰して、果たして沖縄に良い結果をもたらすか……本土資本に汚染されていくのが目に見えていたにもかかわらず、復帰の方法よりも復帰そのものが関心の的になっていたことに対する総括がなければ、議論は始動しないのではないか。
植民地主義がもたらした被差別側の抱える諸問題を見過ごされるべきでない、と(少なくとも頭では)認識している身であっても、作者のあまりに極端な思想には、どうも辟易してしまう。
さりとて、こんな俺の感想も基地問題を対岸の火事として見守る、無責任な「日本人」的なのかもしれない。そんな具合に内省させられる。そんなところで。