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迷物先生×思春期中学生=文化祭はカオスの予感

「・・・合唱練習がカオス」

長女下校第一声である。

現在進行底辺公立中に通う長女は現在中3。何も考えていなさそうなとても慎重な学校の方針により(なのに部活はどれだけ感染拡大しても停止しない矛盾には気づいていないらしい)中1、2とコロナ感染対策を理由に文化祭の舞台発表部門は単なる部活発表会と化していてコロナ前まで開催していたクラスごとの合唱発表がなかった。

それがインフルエンザとコロナがW流行拡大しているという今、何故か復活した。なんで今やねん、それなら去年もできたんちゃうかとも思うが、まあええか。

そこで問題が勃発した。

長女の学年は文化祭合唱コンクールの経験がない。今度の文化祭が最初で最後だ。そして、合唱をやるには、大事なのは音楽の先生の指導。

その、音楽の先生が問題なのだった。

ほとんどの子が爆睡するような眠気を誘うクラシック音楽を聴かせ、それについて感じたことを書け、という恐ろしすぎる問題を出しちゃう先生。感じるもなにも、寝てたがな。
昨年は進路指導担当になって、夏休みの学校訪問レポートを提出したら「誤字があるから書き直し」という逸話。誤字って。小学生の作文ちゃう。

なんというか、やることが微妙にピントが合っていない。
今どきの中学生には・・・といいたいがたぶん数十年前の自分の中学校時代にその先生がいたとしてもきっとピンボケ指導をしている気がする。

そして、長女たちにとっては小学生だったころの音楽専任の先生が良すぎた。授業進行が上手いしピアノもキーボードもノリノリで弾き、寝てる子もボーっとしている子もいなかった。みんな授業中はニコニコ笑っていた。長女学年が卒業した後だが、音楽会で6年が見事なミュージカルを披露したのもその先生の指導があったからだ。

その小学校の音楽の先生とのあまりの落差に思春期というスパイスが効いて脱落者が続出してしまう。

それぞれ音楽の評定だけで済んでいたこの2年半。クラスでまとまって何かをやるというのはコロナを理由に体育祭くらいだったのでオバチャンの出番はなかったのだが、ここにきて、である。

ここまできたらとりあえずいつもの「保護者は体育館で30分学習発表を見るだけの文化祭」で良かったのに・・・。

練習がカオスなので、普段合唱団で経験のある長女にとっては音程が全然合わない状態もキツイらしい。自分の普段いる場所はデフォルトではないのだ。テレビや動画で合唱コンクールで公立中の生徒たちがノリノリで歌う姿、思春期の彼らがあんなに楽しそうに歌えるのはきっと指導する先生の賜物だと思う。惹きつける何かがきっとあるんだろう。

そんなカオスが本番になったらどうなるか、とてもあの6年生のミュージカルのような感動を味わえるとは思えずあまり観たくもない気もするが一応最後なので怖いものを聴きに、母は100段階段を登って学校に行く予定である。




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