うまくいかないことを繰り返してしまう罠
うまくいかないことをどうしても繰り返してしまう
自分のやり方でうまくいかなくなることがある
でも努力をしていれば!とか
自分なりにやり続けたらきっと報われる!とかいう幻想を抱いてしまう
わたしたちはきっと”努力をしたら報われる”
と言う前提を持って頑張ることを頑張ってしまう。
実際に望む成果が欲しいと言うことを握っていても、その行動が実は望む成果から遠ざかっている、もしくは停滞しているということが肌でわかってもなかなか変えることができない。
そして自分自身が考え得るリソースをフル活用して解決しようとするが上手くいかない。
にもかかわらずその場を何か解決策があるのではないかと繰り返し繰り返し徘徊し続ける。
結局いつのまにかその徘徊し続けることが自らの努力だと言い聞かせて
”こんなに頑張っているんだからというような心の叫びとなって、一世一代をかけた宝くじに命をかけているような感じに側からは見える。
この文面だけ文脈だけではおそらくその通りだろうなと思うかもしれないけども、おそらくほとんどの人間はこうしたことを必死に繰り返している。自分もその一人である。
日本と言う国で育ってきた自分たち、子供の時から自分の力で何とか乗り越えていく。うまくいかなくなったときは両親や周りの大人、人間に頼ると言うことが比較的容易にできていたのではないかと考える。
しかしながら成長していくにあたって大人になっていくにあたって”自立”ということを考えるにあたって、
1人で生きていかなければならないとか自分の力によって解決していくために考えていかなければならないとかそういった考えがいつの間にか刻み込まれている。
無論それでは、うまくいかない。
そういった時に何が自分の中に起きているのかと言うことを私に分析しそれを打破しようと解決の方へ向かうために努力をするが、多くの場合は自分の中に答えがないと言うことが想起される。だけども、過去の成功体験から、自分がうまくいくにはこういう方法があるということを考えて探して、なんとかやってみて、でうまくいったりうまくいかなかったりを延々繰り返す。
HELP!! 助けてください
実はただ1つだけ自分の中に答えがあると思い込んでいる、自分の中に途方もない答えを探し続けていることから脱却するたった1つの方法は人に助けを求めるということにある。意外にも身近にあるこの選択肢に気づかずに、まるで目隠しをしながら延々彷徨うことを続けてしまう。
もちろん他にも上手くいく方法はあるだろうし、なんとか抜け出そうということはあるであろうが、この”助けを求める”というのがなかなかにできない。
小さい頃は何かできないことがあった時は母親に助けを求める父親に助けを求める先生に助けを求めるなどごく自然に、自分より人生を味わっている人たちに助けを求めることをしてきているが、なぜか助けを求めることができなくなってしまっている。
ここで言いたいのは、助けを求めることは何も恥ずかしいことではなくて
それによって自分自身が助けが必要な弱い存在であるとか、カッコ悪いだとか、そんなプライドは誰も気にしていなくて、自分自身のその捉え方を変えるだけでいい。
ただその捉え方というのが一番難しい。
解釈とも言えようが。
その解釈が自分自身の人生の方向性を決めているといっても過言ではない。
そういったことを理解していてもなかなかできないからこそもがき苦しむ。ただそのもがき苦しむ過程は非常に大事かもしれないが、
そこから抜け出すにはただそれだけなんだと思う。
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