見出し画像

私を形成するもの 旅と異文化

人生初の海外は高校2年生のときに行ったオーストラリア。
大阪にある公立の高校でしたが英語科コースだったこともあり
メルボルンの姉妹校を訪問するというプログラムに参加。

そこで自分の名前の発音の難しさ(発音がいかに大切か)、
自分のメンタルの弱さを自覚するなど
"洗礼"を受けました。(これはまた別の投稿で書ければいいな)
大学生になったら必ず留学してやるぞと心に決め、それを実現。
大学3年生の1年間はアメリカのカリフォルニアに留学。
留学生との交流、日本人との交流、アメリカ人との交流と
どっぷり"遊学"を楽しみました。

英語を話せるという自信=旅への意欲倍増
アメリカ滞在中には、平日は学校、週末はホームパーティーや
車で小旅行をするというルーティンが出来上がっていました。

留学していたことを話すと
「じゃあ英語ペラペラなんだね!すごいね。」
と言われますが、どこからがペラペラと言うのか疑問な私には
いつもなんとも答えにくい(笑)

正直、旅に必要な英語力は日常会話が話せるレベルで十分。
ホステルで出会った人やホテルスタッフの方との会話、
カフェやスーパーなどで注文、質問ができれば
困ることはほぼありません。

英語が話せるとどこへ行っても意思疎通が取れ、
情報を取りに行くこともできるため、旅への意欲が倍増。
自分の知らない世界への好奇心が爆発。
そこから旅と異文化が私を形成する大きな要素となりました。

「旅」と「旅行」の違い
私は学生の頃からバックパック(40ℓ)一つ、ミニバッグ一つで
よくいろんな国や都市へ行っていました。
(28歳になった今でも変わりません)

世間で"バックパッカー"と呼ばれる旅人が増え始め、
「バックパッカーです」と名乗る学生をよく目にするようになりました。

バックパックだけで移動するからバックパッカーと言うのか。
私はそうは思っていません。

第三者に旅の全てをセッティングしてもらい、
SNSで話題のスポットや写真を撮るためだけに
出来上がったツアーに参加するのを"旅行"。
綺麗なものしか見ない旅行。

自らの力で情報を取りに行き、自分で考え、
自分にしかできないことをするのが"旅"。
光も闇も、その国そのもの、人そのものを見る旅。

私の解釈が正しいかはわかりませんが、私はそんな風に感じています。
"旅行"はお金さえあればいつでもできるのだから
それなら私は自分にしかできない"旅"をしたいと思います。

自分探しをしない旅
就活をする際に日本人学生が行う「自己分析」
自分がどんな人間でどんな学生生活を過ごしてきたか、
自身の強みや弱みを面接で発言するために行うこと。

自己分析をした"気"になって、自分を定義づける行為も
その定義からどれだけのことを面接官が読み取れるのかも
不思議で仕方ありません。

旅をしている中で、新しい自分に気づくことや
自分の考え方や価値観が変わることはよくあります。
また日本にいるだけじゃ想像もつかない世界を目の当たりにして
考えさせられることもあります。

旅を通して自分探しをしているわけではなく、
アップデートしているだけ。
旅は自分という存在を探すためにするのではなく、
既に在る自分をグレードアップするためにする。

”日本人らしくない”という褒め言葉
私が出会ってきた日本以外の国の方たちに必ず言われるのがこれ。
「Fukaは私の思ってる日本人と違うね♫」

海外の人たちが思う日本人像というのは、
・シャイで口数が少ない
・感情をあまり出さない
・あまり目を合わせて話さない
・自分から話しかけたり、人前で踊ったりするなんて見たことない
など。。。
もちろん日本人全員がそうとは限りません。
ただ日本人をあまり知らない海外の人からのイメージはこんな感じ。

ただ私も最初から真逆だったわけではなく、
旅をして
英語を話して
いろんな人に出逢って
いろんな価値観に出合って
いろんな異文化に触れて
今の私が在ります。

だから私は自分の中に在る
日本人である自分と
旅と異文化で形成された自分の
2つの考え方を軸に
これからも世界を見ていきたい。
一方に偏ることなく。

自分がどんな人間かなんて定義づけるのは
自分の世界を狭くするだけ。
自分の信じる軸さえあれば、
世界はどこまでも広く、
自分はどこまでも成長できる。

ありがとうございます! サポートをいただいた際には、新しい人生経験のために使わせていただきます♪ 経験は人生の糧!何事もポジティブに、前向きに・・・:)