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花びらに乾杯 焦がし醤油の焼きホタテ

空は青く花は咲き誇り、絶好の花見日和と賑わう人々の中、ひときわ混み合い列を成す一画があった。長い長い列には老若男女が入り交じり、犬を連れた好々爺、お小遣いを握りしめた中学生、法被にステテコの神輿衆、ビール片手にご機嫌なほろ酔いもいる。行儀よく並んだお目当ては、炭火でがんがん焼かれている真っ最中だ。


小さな地方都市の桜祭りは、全国の提携都市を呼び寄せずらり物産展の様相を呈している。
ご当地ポークのステーキ串は肉汁が弾け、チーズや漬物は楊枝を刺して今か今かと試食待ち、旬を詰め込んだジャムやジュースは色鮮やかに、地酒地ビールはざぶんと氷水に冷やされ乾杯の時を待ちわびる。選り取り見取りの名産品が一堂に会すさまは壮観で、威勢の良い呼び込みと共に盛んにこちらを手招きする。
おいしそう。気になる。そそられる。
しかし浮足立つ気持ちをこらえて飲み下し、目だけは忙しくチェックをいれて通り過ぎ、春風にひらめく大漁旗の列に加わった。

華やかで賑やかな喧騒の中、お目当てのホタテ屋台の前はいっそ静かなものだった。
ピークの時で数十人。行列はつづら折りにぐんぐん伸びて、開会から閉会までほとんど途切れることがない。そんな大人気の屋台にもかかわらず、いやだからこそ、呼び込みをする寸暇も惜しみ、汗だくの顔を炭火に赤く火照らせて、黙々とホタテを焼いては売っていく。

焼き場の人たちは遠目にもよく日に焼けて、言葉に強い東北のなまりがある。きっと漁師か少なくとも漁協関係者だと踏んでいる。おっかなそうな見た目のわりに、みんな口数少なく真面目そう。ドラム缶を切ったような大きくて武骨なコンロに炭火を熾し、黙々と火ばさみを操る手つきは熟練されて無駄がない。
女性の手のひらサイズの大ホタテが殻の上でじうじう泡を吹いている姿は壮観で、見とれるうちどんどん焼きあがっていく。透き通るようだった貝柱がほんのり白く染めあがり、真っ赤な卵巣はやがてぷくりと膨れてオレンジがかり、青白かった精巣はクリーム色に温まる。去年気になって調べたから知っている、赤がメスで白がオス。焼きあがったタイミング次第だけど、メスはぷるぷちっと美味しかった。あぁでもオスの味も気になるな。

桜吹雪に吹かれつつ、行列はじりじり進んでいる。
網の上のホタテが焼きあがるタイミングで一息にぐっと進み、全部売ってしまって次のを焼き始めるとピタリと止まる。じわじわ焼き場との距離が近づいて、ゴォッと風に乗って流れてきた炭火の熱は見た目以上の火力だった。日中すっかり汗ばむ気温、喉の渇きも加速する。
「うそっ、まだ買えていないの」
びっくりしたような、面白がるような声が聞こえて顔を上げると、二つ前に並んだ大学生が友達らしき数人にからかわれていた。友人らの手首にぶら下がったビニール袋には5、6本の割り箸が無造作に突っ込んであるのが見える。
そうなんだよ、喉乾いちゃった。ちょっとそこで買ってきてよ。しょうがないなぁ、ビールでいい?
漏れ聞こえる会話、どうやら屋台メシ戦線にチーム戦で挑んでいる様子。私も先にビール買えば良かったかな、と羨ましさにソワソワする。朝ごはん抜きはさすがにやりすぎたかも。でもなぁ、去年帰り際の腹八分目であれほど美味しかったから、うんと空腹で挑みたかった。

「お次どうぞ~!!」
来た、来た。残り3人、やっと受け渡しテーブルが見えてきた。金庫を簡易レジにして、机の上には魚を入れるような発砲スチロールをトレー代わりに湯気の立つホタテが並ぶ。なるほど、四角い紙皿に冷えた殻を一枚重ね、熱々の殻で皿が溶けないように工夫している。じゅうっ! ほら、焼きあがったカンカンのホタテが手際よく乗せられていく。握りしめたせいでぬるくなった数枚の硬貨を手渡しし、Vサインで数を示す。ガヤガヤガヤ、盛り上がる周囲に紛れて自分の声すら聞き取りづらい。

ようやくゲットした焼きホタテ、一つは袋に入れてもらい、一つはそのまま手で運ぶ。
火傷するから殻には触らないように、汁が漏れるので傾けないように。
売り子さんの注意事項にしっかり頷きその場を離れた。隣の屋台でビールも調達し、両手に花とウキウキ向かったフードエリアは残念ながらどこも満席、うろうろ歩いた末に椅子は諦め植え込みの端に腰かけた。歩行者天国の路上は華やかな衣装のパレードが練り歩いているが、意識はホタテに全集中。

紙皿から伝わる熱で手のひらがジンジンする。いやしかし、改めて見ると本当に大きい。500円玉硬貨より一回り、いや二回り?ビジュアルも見事というほかない。貝殻の真ん中に鎮座する焼きホタテの、そのさらに真ん中の白い貝柱は表面がピシピシひび割れて、醤油が溝に染みている。てろんと舌を出したような卵巣はほの暗いオレンジ色から鮮やかな赤色のグラデーション、ひらりとまとわりつくヒモは横縞模様のベージュ色。ふわぁっと鼻から吸い込む焦がし醤油と磯の香りに急き立てられて、割り箸を横に咥えてパキンと割って。ぐいと差し込んだ箸は重さにしなって危うく取り落としそうになった。うわっ、危ない危ない、と自分を制しつつも制しきれず、せっかちに貝殻からちょいと端だけ持ち上げて、薄茶色にしたたる汁をこぼさぬよう慎重に、ふう、ふう、……がぶりっ。

さくっ、まず貝柱に歯が沈む。肉厚だからこそ沈んでいく過程がよくわかる。やがてふつりと噛み切れて舌に転がり込むわけだが、そうするととろりとした甘味が味蕾に溶ける。なんて繊細なミディアムレア。刺身でも食べられますよ、誰かが生焼けだと文句を言うと、漁師さんが仏頂面でそう答えていたのを思い出す。鮮度と美味しさへの自信。納得の絶妙絶佳。
ぶちぶちっ。ヒモを小気味よく食い千切る。ヒモはさすがに顎の力だけでは噛み切れないから、お行儀悪いが一方を指で押さえて歯との綱引き。ぶちんっ、反動に汁が少し跳ねるのも構わずグニグニ噛みしめる。うわ、これは、とたまらずビールの出番。ペコンッと間抜けな音にもめげず、プラカップをぐうっとあおる。ぐ、ぐ、くくっ・・・!シュワシュワッと喉を流れ落ちる炭酸。はあ~・・・、至福の瞬間。

がぶっ。次はてろんとした卵巣を。ビールで冷え苦味の残る舌に濃厚なうまみが調和する。柔らかく滑らかでとろけるようで、つるんと飲み込もうとするとプチプチと軽やかな食感が追いかける。忙しく鼻腔へ空気を抜けさせつつ、赤からオレンジ色へと派手なグラデーションの断面をちょんちょんと汁に絡ませる。ばくっ、ほらやっぱり、塩気が味わいを倍増させる。

じわりと味が染み出るヒモと、淡白で薫り高い貝柱、ふわんとコクのある卵巣と、混然一体の共演。いや、饗宴?ステーキにそのままかぶりつくように、己の歯で食いちぎる原始的な快感に酔いしれる。一口に含めないほど大きいのに、簡単に噛み千切れるほど柔らかい。

ごくり、次の一口は濃緑の小さな部位、ホタテのウロ。貝毒があると言われているけれど、活きホタテは出荷する際に貝毒の検査が義務付けられているし、正直、ほろ苦さととろんとした味は危険を承知で味わいたくなるうまみがある。ぷわん、強烈な磯臭さ。天然のソースは本体に絡み、また違った味わいを醸し出す。呼吸を鼻に抜けさせる。甘さ、苦さ、塩辛さ、磯臭さ、濃厚さ、淡白さ。いつまでも浸っていたいけれど、いくら大粒なホタテでもあとほんの一口分。

残しておいた貝柱を咀嚼する。ゆっくり、じっくり、惜しむように丁寧に。ホタテと言えばの貝柱、でも滅多に食べられない食べ応えと甘さとうまさ。数十分かけて手に入れて、わずか数分で食べ終える儚さはまるで夢でも見たようだ。何とも言えない満足感と達成感、舌に残る甘さをごくりと大きく飲み込んだ。
ふくよかな余韻に浸りビールをちびちび飲みながら、すっかり冷めた貝殻をつまみあげてみる。内側のツルツルとした真珠層があの大粒のホタテを慈しみ育て上げたのだなぁ、ザラザラと引っかかるグレーダークの外側は荒波に揉まれてきた証拠だなぁ。タラッと指に垂れ落ちた汁を舐めてみると濃縮された塩辛さ、しみじみ海の恵みの実感がわく。

あぁ美味しかった。ご馳走さまでした。

ふふ、そしてお土産のもう一枚は家に帰ってから炊き立てご飯にドーンとのせよう。
バターを乗せるか乗せないかに頭を悩ませつつ、次の絶味を求めて立ち上がった。

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「おいしい、は楽しい」をモットーに書いています。
大変な状況ですが、少しでも楽しいことを。