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レイキの唯一の弱点が愛につながる

前回は「レイキの特徴」ということで、レイキのメリットを紹介しました。
これをまとめると、レイキは誰でも短時間に簡単に習得できて実践も容易で、それなのに絶大な効果があり、超能力のようなこともできる、ということでしょうか。

そんな信じられないほどのメリットがあるレイキですが、唯一とも言えるデメリットがあります。
それが、施術で効果をあげるには時間がかかる、ということです。

レイキの弱点は時間がかかること

レイキではありませんが、手当て療法は時間がかかるものです。
そのことを「手の妙用」ではこう言っています。

「「手当療法」には、しかし、一つの欠点がある。それはこの忙しい世の中で、手当はある程度の時間をかけねばならぬということである。」(p.79)
「打撲や捻挫のような急激に起こった痛みは、急激に手当すれば、なおるが、その他の病気になると、そう簡単にはいかない。」(p.78)

虫歯が痛みだしたときなどは、ものの5分で痛みは消えます。
足がつった時や打撲の痛みも、5分から10分も手を当てれば、かなり効果があります。
しかし、肩こり、腰痛、偏頭痛などになってくると、30分から1時間、時にはそれを数回行う必要があります。
慢性病だと、数十回繰り返して、やっと少し効果が現れる程度ということもあるでしょう。
そのくらい時間がかかってしまうのです。

しかし、現代人にとって、30分とか1時間の時間を作り出すことは、なかなか大変なことだと思います。
たとえば夫が風邪を引いた時、夫の側で1時間手を当て続けられますか?
「食事の後片付けがあるから、あなたはこの薬を飲んで早く寝なさい。」くらいで済ませた方が楽だと感じるでしょう。

薬や注射という治療法なら、それにかかる時間は一瞬で済みます。
それに対してレイキは長い時間が必要になります。
ですから、だんだんとレイキをすることが面倒だと感じられるようになるのです。
時間がかかることが、レイキの最大のデメリットであり弱点なのです。

時間がかかることが良かった

しかし私は、この「時間がかかる」ということが、レイキの最大のメリットにつながると思っています。
それは、私がレイキを習ったばかりの頃の体験から感じたものです。

私がレイキを習ったのは、西洋医学では治せないとされるレビー小体型認知症にかかった母に対して、何かをしてあげたいと思ったからでした。
西洋レイキのレベル3まで受講した翌日、実家に帰省して母や父に対して1時間ずつのレイキをしてあげました。
それ以後も、帰省のたびに1回1時間、1日2~3回のレイキを母に対してしました。

残念ながら、病気そのものが治るということはありませんでした。
ただ、レイキを受けると気持ちいいということで、母は私からレイキを受けることを楽しみにしてくれていました。

そんな母への施術をしながら、私は思いました。
「仮にレイキによる効果が何もないとしても、レイキを習って良かったな。」

もし私がレイキを習っていなかったら、私は母に手を触れることすらほとんどしなかったでしょう。
1時間もそばにいて、母の話を聞いてあげるなんてことも、滅多にしなかったでしょう。
そんな私が、レイキを習ったために、そういうことができたのです。

「仁」という漢字は、2人の人が親しむことからきていると言われます。
そこで「仁」の意味は、「いつくしむ」「親しむ」「思いやり」などの意味になります。
私は、親しみを感じる人の側に寄り添って、いつくしみながら時間を過ごすこと、相手への思いやりを抱く時間を過ごすことが、「仁」だと思います。
そして、私が母にレイキをしながら過ごした時間は、まさに「仁」の姿だったと思うのです。

レイキは愛だ

私のWEBサイトの先頭に、こう書かれています。

「レイキは愛だ!」

これは、私がレイキを通じて得た悟りでもあります。
これが「愛」なのだと、腹にストンと落ちたのです。
先ほど言った「仁」とは、まさに「愛」のことです。
それはWEBページに書いているように、こういう理由からです。

病気や怪我、ストレスなど、心身の不調で苦しんでいる人のお役に立ちたいという思いで、傍に寄り添って手を当てます。

行うのは、ただ手を当てるだけ。ただただ、手を当て続けます。

相手が、嫌だと言えばやめます。相手が、動きたいと言えば動いてもらいます。相手の自由を認めるのです。

相手を完全に自由にさせ、ただ相手のために仕える。それが愛。

愛しい人のために、ただ傍に寄り添っている。それがレイキであり、愛の行為なのです。

限られた貴重な時間を何に使うかは、私たちにとって大きな問題です。

しかしながら、よくよく考えてみると、どうでもいいことに費やしていないでしょうか?
ダラダラとテレビを見ている時間。どうでもいいおしゃべりを延々としている時間。
重要でもないことを言い争っている時間。相手にされたことを恨み、その悔しい思いを頭の中で繰り返している時間。

そういう無駄な時間ばかりではありません。
自分の中では、やらなければならないと思っていることを行う時間もあります。
食事の準備、後片付け、掃除、洗濯などの家事をやらなければならない。
仕事、残業、仲間との付き合いをやらなければならない。

本当にそうでしょうか?
それは今、本当に優先すべきことなのでしょうか?
その時間の使い方は、本当に自分らしいことでしょうか?

「神との対話③」では、こういうことを言っています。

「しなければならないことは、何もない。
しなければならないことは、何もない。
しなければならないことは、何もない。
ただ、ありのままのわたしでいればいい。」
(p.441)

行動によって何かが変わるわけではありません。私たちは、「在り方」によって人生を創造しているのです。
そのことに気づくために、何か「しなければならない」と感じるようなことが起こります。
その時がチャンスです。そう信じている信念に気づけるからです。

レイキは、その貴重な時間を愛のために使いませんかといざないます。
愛として生きる具体的な方法を提示しているのです。

すべて無料で公開しています。多くの人にレイキのことを知っていただき、役立てていただきたいからです。 もし内容を気に入られて、本1冊分以上の価値があると思われましたら、ぜひサポートしてくださいね。よろしくお願いします! 心を込めて書いていますので、とても励みになります。