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通りすがりのヒーロー

10年以上前の話になります。


中学に上がると、電車通学が始まりました。
当時の私は、物理的にも精神的にも非力でした。


その日は雨が降っていました。
通勤通学する人全員が、濡れた傘を片手に電車を待っています。

通勤ラッシュ。
電車に乗るのに、自分から進まなくても後ろから押され押されて勝手に乗り込む状態に。これが日本の朝です。

鮨詰めにされて変な体勢になりながら、鉄の箱に揺られていきます。
雨に濡れて、服やら鞄やらが互いに水に滲みて冷たくなり、床も水気で音を出します。


やがて次の駅に到着し、周囲からドアに向かおうとする気配が。
私もその内の一人でした。
そして前の人に続いて外に向かおうとした時、何か抵抗を感じました。

傘が動かない。

振り返ると、持っていた傘は下を向かず斜めになっており、先端がドアにしっかりと挟まれていました。
電車のドアは、ある程度の厚みがないと異常を検知しないことをテレビで見て知っていましたが、その厚みを下回っていました。
無情にも傘を挟んだドアを見て血の気が失せていくのがわかります。


今停車しているのは降りる駅。

こちら側のドアが開く駅まで乗っていたら遅刻してしまう。

でも今ドアが開いている時間はあと少ししかない。

傘を引き抜くしかない。


引き抜こうとしながら、電車のドアは安全の為簡単には開かないようになっているという情報が脳裏に過ぎりました。


――知ってるよそんなこと!
――それでもやらなきゃダメだ!


嫌でも焦ります。
やはり傘はびくともしません。
握力10kgのせいなのか。
それとも自分が小さいせいなのか。
(高校生に間違われるくらいの身長はありました)


その時、大きな手が傘を掴み、引っ張りました。
あんなに動かなかった傘が、2秒くらいで抜けたのです。


――ああ…
――やっぱり大人がやるとこんなに簡単に出来るんだ…


しかしながら、そんなことはありませんでした。
ドアから抜けた直後、その人は大きな音を立てて後ろへ尻餅をついてしまったのです。
目の前のことに夢中過ぎて気づきませんでしたが、人が一通り降りたようで、自分の後ろはがら空きになっていました。おかげで下手に人を巻き込むことはありませんでしたが、その人を支えるものもありませんでした。

大の大人が尻餅をつく程の勢い。
逆に言えば、大人の男性がそれだけ力を必要としたということです。
簡単に傘を引き抜いたわけではありませんでした。

小学生に毛が生えたくらいの人間です。思考は浅はかでした。
そんなことを瞬時に考えつつ、降りなければならなかった為お礼だけしっかり言って降りることにしました。


ほんの10秒程度の出来事でしたが、15年以上経った今でも忘れることが出来ません。
また、尻餅をつくことは本人も想定していなかったとは思いますが、それでも手を差し伸べようと動いてくれたことには、この上ない感謝です。

ほんの些細なことなのかもしれませんが、人生経験の浅い当時の私にとってはとんでもない出来事でした。
もし今その人と会って話せるならば、もう一度ちゃんと感謝を伝えたいですし、転んだことでスーツも汚れてしまったことでしょう、お礼を言うことくらいしかできなかったことを謝罪したいとも思っています。

また、かつての記憶の中の彼のように、さりげなくさっと手を差し伸べられるような大人になりたいです。


そして、彼は今でも私の中で英雄です。

普段はイラストの活動をしており、 イラストの有料リクエストやハンドメイドグッズ販売も行っています。 サポートしていただけましたら 自分の言葉やイラストでお返ししたいと思います!