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完落ち

 今取調室で刑事と容疑者の女二人の激しいバトルが繰り広げられていた。刑事は容疑者に掴みかからんばかりの勢いで自分が立証した証拠を次々とあげ、ときに容疑者が犯した殺人によって全てを失った被害者の子供について切々と語りながら自白を迫っていた。だが容疑者の女は完全にチェックメイトされているにも関わらずふてぶてしい扇子を仰ぎながら表情だからどうしたと言わんばかりの表情で無実だと刑事を怒鳴りつけ、そして今すぐ保釈の手続きをしろと言い放った。

 それを周りから見ていた撮影スタッフは時計を見ていつになったらこれは終わるんだと呆れ果てた。

 これはドラマの撮影であった。今このスタジオでは二時間の刑事ドラマの収録が行われており、今撮られているのはドラマのクライマックスの犯人の自白シーンである。

 収録中のドラマは長年続いている人気シリーズの『捜査一課杉咲花子の事件録』であるが、今年から主演女優が交代になっていた。主人公の刑事役は今実力派俳優の板取玲子であるが、もう一方の犯人役は交代前に板取玲子を演じていた勝間政恵であった。勝間はベテラン女優で長年杉咲花子を演じてきたが去年一杯で卒業をした。

 この因縁のありすぎる二人を無理矢理共演させたのは話題作りに焦るテレビ局のお偉方であった。三年前あたりから視聴率が目に見えて減り、ドラマのファンのジジババも寿命コースに入ってきて、このままじゃ人気シリーズの存続が危ういと昨年一杯でババアの大御所の勝間正恵を切って、彼女に比べればだいぶ若い板取玲子を新たに主役に据えてシリーズを仕切り直ししたのだが、それでも視聴者は多少上がったものの、あまりバッとしなかった。それでカンフル剤としてプロデューサー連中は新旧の杉咲花子の対決として犯人役を勝間政恵に据えたのだ。

 大御所女優の勝間はこの侮辱にも程がある申し出を受けた。その事情は推測するしかないが、やはり彼女なりの事情があったのだろう。そのいやいやっぷりは撮影当初から爆発した。勝間はあれがダメこれがダメと大女優のテンプレのような難癖をつけまくり撮影スタッフをひたすら困らせた。だが撮影スタッフはいくら年配でも彼女より年下であったのでこの大女優を前にして抗議さえ出来なかった。その状況に激しく抗議したのが主人公の板取玲子である。板取は勝間を名前ぐらいしか知らなかった。二時間ドラマにまるで興味のなかった彼女は勝間をただのウザいおばさんとしか思えずおばあちゃんいい加減にしてよ。みんながアンタをうざがってるよと徹底的に痛罵した。これに勝間は何ですってとブチ切れ現場は一時騒然となったが、スタッフの必死の取りなしのおかげでようやく双方とも収まった。そして撮影も無事に進行していたが、このよりにもよって一番大事なクライマックスの取調室のシーンで勝間が今まで隠していた爪を一気にだして板取を攻撃したのだ。勝間はこのシーンで憎っくき板取をやりこめるために徹底的に自白せずあらゆる言葉で板取を罵った。板取はこの思わぬ不意打ちに動揺しディレクターに向かって勝間さんに台本通り台詞を言うように指導しろと訴えた。しかし勝間はその板取を上から目線で見下ろして勝者の笑みでこう宣った。

「あら、板取さん。あなた台本がなかったら何も出来ないの?今時の若い子っていいわよねぇ。ただ台本の台詞棒読みすればいいんだから。私もそんな風に甘やかされたかったわ〜!」

 この勝間の挑発を聞いて板取は怒りに震えた。何ですって?私が甘やかされてる?冗談じゃない!私は客数人しかいなかった芝居小屋から這い上がってきたのよ!今の地位を手に入れるためにチケット売って体も売ってそうやって成り上がってきたのよ!いいわ。このクソババア!ここで絶対にアンタを完落ちさせてやる!

「あなたはそれでも人間なの?あなたは自分の欲のためにあの人を、いやあなた自身まで殺したのよ!あの人の子供の事を一度くらい考えたことはある?」

「ふん、あなたさっきから何言ってるの?私は犯人じゃないって言ってるじゃない。何であなたは今の状況で私を犯人だと断定したの?そんな決めつけは台本にないはずよ。もう一度台本読みなさいよ。全く最近の若い子ときたら台本を読んでも聞いても右から左なんだから!」

「台本なんてもう関係ないわ!あなたはババアでクズだから犯人なのよ!ベテラン気取りで若手をいぢめるよりボケ防止の訓練でも始めなさいよ!」

「おお怖い!あなた法治国家の番犬のくせにそんなに一般市民に牙を剥いていいの?人をババアだと罵る刑事なんか見たことないわ!」

「見たことなくて結構!私はアンタが完落ちするまでずっとこうして責め続けてやるから!自白するまで弁当は抜きよ!」

「お黙りなさい!あなた私を誰だと思っているの?アンタも殺してやるわ!」

「とうとう吐いたな!この殺人鬼め!」

「あなたお馬鹿さん?今言ったのは自白じゃなくてただの言葉のあやよ!」

 スタッフたちはもはや誰にも止められなくなった二人をただ呆れ顔で眺めていた。

「あの、どうします?もうすぐこっから出なきゃいけませんよ?」

 ADがディレクターにこう聞いた。するとディレクターは無表情で答えた。

「ああ、そうだな。とりあえず欲しいカットは全部撮ったからあとは編集で誤魔化そう。とりあえずみんなに撤収の号令かけといてくれ」

「で、あの二人はどうするんですか?」

 このADの問いにディレクターはしばらく腕を組んで考え込みそして言った。

「とりあえず置いて行こう」

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