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ある超写実主義画家の悲劇

 江森新は未だ評価されざる画家であった。彼は自宅の安アパートの部屋で毎日絵を描いている。部屋には空になった絵の具のチューブと食べ残しの食い物が散乱し、その周りをゴキブリが這いずり回っている。しかし江森はそれらを片付けようともせずただ一心不乱に次から次へと絵を仕上げていた。

 江森の作風はいわゆる超写実主義絵画に属するが、彼の絵はその超写実主義を超えてまるで肉眼で見たままの風景を切り取ったような錯覚さえ覚えるほどのものであった。彼は風景画を主に描いているが、これは彼が極端な人見知りで人物画が書けないためである。一度彼は依頼されて肖像画を描いたことがあるが、あんまりにも酷すぎて依頼者のモデルから代金の支払いを拒否されてしまった。そんなわけで今は風景画をメインに描いているが、たまに静物画なんかも描く。ただしあまりにも人見知りなので昼間は部屋の窓から見る風景を描き、そして深夜になると外出して誰もいない大通りを走る車を何枚も描く。

 江森の描くスピードはありえないほど速い。超写実主義絵画という手の込んだものを描いていながらたったの三分以下で完璧に作品を仕上げてしまうのだ。しかも記憶力が非常に良く目の前を通った車の一秒以下の前の姿をハッキリと覚えておりその姿を完璧に描く事が出来る。彼はそうして目の前を通る車の光景をまるで写真を撮るように鮮やかに描いていたが、その天才ぶりが災いしてか全く世間に評価されなかった。なんと展覧会には応募さえ出来なかったのだ。主催者側には彼の作品を出品条件に悉く反していると思われていた。展覧会の受付の連中は揃って彼にこう言うのだ。

「あの、いい加減トレースした絵持ってくんのやめてくれない?写真にちょっと絵の具足したのは絵じゃないから」

 江森はこの世間の無理解さに深く悲しんだ。超写実主義絵画の絵を描いているのにあまりに実際の風景に似ているからと言ってトレースと誤解され続ける彼の姿は哀れとしかいいようがなかった。だがその江森にさらに追い討ちをかける出来事が起こった。

 ある日ネットのバカどもがいつも展覧会で門前払いされる江森をトレース男と名付けて彼がSNSなどに投稿している作品をでトレース男のトレースアートで〜すとか晒して徹底的に嘲笑ったのである。ゴキブリの死骸が張り付いているPCでこの投稿を見た江森は当然この甚だしい侮辱行為に憤慨した。彼はネットの馬鹿どもに向かって自分がトレース行為などしていない事を主張し、ネットで自分が描いている姿を生中継してやると宣言した。

 だが江森はこの時自分が激しすぎる人見知りだとゆう事をすっかり忘れていたのである。彼は宣言した後激しく後悔したが、それでもネットだから相手の顔も見えないしと自分を勇気づけ深夜の甲州街道で自らの絵を描いている姿をYouTubeでライブ中継したのであった。

 結果はやはり大失敗に終わった。あれほど完璧に目の前の風景を描く江森がプレッシャーに押されて便所の落書きレベルの絵しか描けなかったのである。当然コメント欄はやっぱりトレースだったとか、小学生レベルとか、いいお絵かき教室紹介しますとかいう侮辱的なコメントで埋まり尽くした。江森はたまたまそのコメントの一群を見て屈辱のあまり激しく泣き出した。それを観たネットのバカどもはさらに彼をいぢめ尽くし完全に恥のフルヌード状態にしてしまった。こうして元々高くなかった江森の評判は完全にマントルの底まで落ちてしまったのだ。

 江森は世間に向けて大恥を晒した事に絶望して自殺を考えた。ああ!ヴァンゴッホもこうしてバカどもに失望して死んだのだ。僕も死ねばバカどももどれほど僕が偉大な画家であるかに気づいて墓に謝りに来るだろうか。だが、江森はここで思い止まった。彼は自分がトレースなどしていない事を証明出来る方法を思いついたのである。その方法はこうであった。自分が連作として描いた車が移動する姿を1秒にも満たない間隔で描いた膨大な連作をYouTubeにスライド式の静画でアップする事にしたのだ。こんな一秒以下の感覚でカメラのシャッターを押すことはできまい。現実では絶対に不可能なことなのだ。出来るのは僕の記憶の中だけだ。その記憶を描くことが出来るのはこの僕だけだ。江森はそうと決めたらすぐに実行しようと一日中部屋に篭り切って動画の制作に勤しんだ。彼は明かりを求めてPCにたかってくるゴキブリや蚊を皆惨殺した。虫たちの死骸はキーボードに入ったり挟まったりしてキーボードを押すたびにカサカサいっていたが今の江森にはそんなことはどうでもよかった。

 ようやくスライドが完成した後江森自ら制作したスライドの出来栄えに感動して涙を流した。スライドを並べただけでこんなにも生き生きしてくるとはまるで映像みたいになっているではないか。この通行人の消えた深夜の街を車が走っている風景をただ描いた絵はスライドで並べた瞬間第一級の映像作品になってしまった。あまりにも滑らかに車やあたりの風景が動き音さえ聞こえてくるようなスライド作品。江森は編集したスライドの最終チェックをしてそしてアップした。

 江森は動画をアップするとずっとPCの前で再生数とコメントをチェックした。しかし三日経っても再生数は二桁しかなくコメントは全くなかった。だが江森はこういう斬新で圧倒的なものは最初のうちは地味なものだと耐えてチェックを続けた。しかし四十九日経っても再生数は二桁台でコメントが全くないではないか。江森はこの結果にブチ切れて自ら制作すたスライド画像集を削除しようとした。だが、その時ようやく最初のコメントがきたのである。江森はゴキブリの死骸が貼り付いたPCのモニターをガン見し目の穴を確実にこじ開けそうな勢いでコメントを読んだ。

「あのさぁ、お前バカ?トレースの絵がバカにされたからってどうしてトレース元のつまんねえ、ただ車が走ってるだけの動画あげるのよ。これってもしかしてトレースの謝罪のつもり?」




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