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お母さんからあなた達への手紙

お母さんは
あなた達に謝りたいの。

あなた達よりも
仕事や世間体を
優先させてきたことを。

謝っても
過ぎてしまった過去は
取り戻せないと知ってる。

知っているけど
ずっと後悔していて
やるせない思いでいっぱいなの。

そんなことを
あなた達にも知ってほしいし
そろそろお母さんも
罪悪感を手放したいから
この手紙を書くね。


***


2人ともお母さんが
アメリカで教師をしていたことは
知ってるよね。

でもお母さんが
最初の何年かは
外国人の身分で
就労ビザをもらって
教師をしてたっていうことは
きっと知らなかったよね。

就労ビザっていうのは
仕事がなくなると
滞在資格がなくなる
っていうことだったから
仕事は大切だと思って
一生懸命取り組んできたの。

でもね、それはただの言い訳だったよ。

仕事がなくなったって
他の滞在方法を
考えることができたはず。

お母さんは夢だった
教師に早くなりたかったし
社会に出て自分を試したかったの。

これがホントのところ。


***


教育免許を大学で取って
卒業したんだけど
残念ながらすぐに仕事は
見つからなかったわ。

雇う学校がお母さんのビザを
スポンサーしなきゃいけないのが
かなりのネックだったし
外国人が教師になるのは
言語的や文化的なハードルが
あったと思うよ。

色んな学校に応募したけれど
ほとんど面接にすら
たどりつかなかったの。

そんな中で
経験もビザもなかったお母さんを
雇ってくれた学校があったんだ。

それが担任がずっと見つからなかった
中学校の特別学級だったよ。

感情のコントロールが下手で
問題を起こすことが多くて
「普通クラスでは手に負えない!」っていう
レッテルを貼られた子ども達が
校舎から離れたプレハブに
集められた特別学級だったの。

小学生レベルの
基本的な読み書きとか
簡単な計算とかを
中心に教えてたんだけど
ちょっとしたことで
子ども達は集中力がなくなったり
ケンカになったり
何かとトラブルが起こって
授業どころじゃなくなる毎日。

人生経験もない若造だったお母さんは
罵声を浴びせられたり
椅子を投げられたりもした。
殴られるかとも思ったこともあった。
実際、腕を掴まれて
腕時計が壊れたこともあった。

突然生徒が教室からいなくなったり
盗みをして見つかったり
暴力沙汰を起こしたり
そんな問題解決をする毎日だった。

命がけで教えてたよ。
家族にもホントのことは言えなかった。
心配すると思ったからね。


高校の特別学級でも
教えてた時期があったんだよ。

これもずっと担任がいなくて
誰も教えたくないクラスだったわ。

重い障害を持った生徒が
集まってきたクラスで
大人と変わらない図体を持った生徒の
オムツを取り替えたり
食事などの自立への手伝いをしたり
基本的な会話能力などを
教えたりしていたの。

平気なフリをしていたけど
生徒の進歩がお母さんには遅すぎて
正直、希望が感じられなくて
このクラスの担任を続けていくのも
とっても辛かったんだ。

自分を鼓舞しながら
教える毎日だったよ。



そんな経験を積んでから
やっと普通クラスでの
仕事が見つかった時
嬉しくてしょうがなかったわ。

幼稚園と1年生を
同時に教えなきゃいけなくて
生徒56人の担任だったから
それもまた大変な仕事ではあったけど
やりがいも喜びもあったの。

ますますお母さんは
仕事に全力投球していたんだ。

だから
あなた達の優先順位は
相変わらず仕事よりも下だったの。



まだあなた達が6ヶ月と4歳だった
そんなある日
まだ赤ちゃんだったあなたは
風邪で呼吸管がふさがって
数秒だけど息が止まってしまったの。

お母さんは仕事中に
それを聞いた時
心配で失神しそうなぐらい
ショックだったんだよ。

それでもなぜか
途中で早退するのは
申し訳ないと思って
クラスに残って教え続けたんだ。

救急病院に駆けつけたのは
お父さんだけだったの。

とにかくあなたが
無事でよかったよ。

このこともすごく後悔してる。


あの頃のお母さん、
何を考えてたんだろうね?

自分にとって
何が大切なのか
全然わかってなかった。

教師の代わりはたくさんいるけど
あなた達のお母さんの代わりは
誰もいなかったのに。


***


入学式や運動会や遠足、卒業式など
あなた達の大切な学校行事に
行けないことがほとんどだったね。

だってお母さんは
自分のクラスの行事の日と
重なってしまっていて
やっぱり仕事の方を優先していたから。

寂しい思いをさせたよね。

実はお母さんも悲しかったんだよ。

クラスの親御さんたちが
楽しそうに誇りらしく
自分の子どもに視線を送りながら
行事に参加してるのを見てきたから。

お母さんが来ていない
あなた達のことを思って
胸が痛んだわ。


***


仕事が終わって
家に帰ってきても
お母さんは
家事などをこなすのに精一杯で
あなた達の話を聞いてあげたり
宿題を手伝ってあげたり
寝る前に本を読んであげる
余裕なんて全くなかったね。

だってお母さんは
仕事に100%のエネルギーを
捧げていたし
手抜きすることも
助けを求めることも
知らなかったの。

家事の後も
次の日の仕事の準備をして
忙しかったもんね。

お母さんの仕事に
キリなんてなかったから
「もっと早く切り上げて
あなた達と過ごしてあげれば
良かったのに!」
と今だったら思うよ。


忙しそうなお母さんに気を使って
あなた達は
シリアルとかトーストっていう
簡単な朝ごはんを小さい頃から
自分で用意して
1人で学校に行ってたよね。

優しい近所の方が
1年生だったあなたが
雨の中バス停で
1人ぼっちで待ってるのを心配して
スクールバスが来るまで
一緒に待っててくれてたことも
あったんだよ。

そんな時もお母さんは
「あなた達を虐待してるヒドイ親だと
思われるかも?」って
世間体を気にしてた。


***


その後お母さんは無事
永住権を取れて
楽に仕事をしても
良かったのにもかかわらず
同じペースで続けてたよね。

自分の子どもよりも
他の人の子どものために
時間とエネルギーを捧げて
休まずに生きていたの。

やりすぎだったね。


そんな風にして
ずっとずっとお母さんに
振り向いてもらえなかった
あなた達。

思春期になって
学校で問題を起こし続けてたね。

やっと腰を上げて
あなた達に向き合おうと
仕事を休んだり早退したりもしたよ。

それでも実は
その時にお母さんが
真っ先に考えてたのは
あなた達のことじゃなくて
「教師としての自分のメンツを守ること」
だったの。

信じられないね。


ずっとあなた達よりも
仕事や世間体を優先してきて
ホントにごめんね。


仕事ばかりに
見えたかもしれない
お母さんだったけど
あなた達のことが
大好きだったんだよ。

そして
今でも大好きだよ。


そんな思いを伝えたくて
今更だけど
この手紙を書きました。


24歳と20歳になる
あなた達へ

お母さんより

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