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発達障害の中にも格差があり、その中でもLDには救いが無いと思う

私は発達障害(LD)持ちだ。

発達障害だと自分でしっかり認識し自覚したのはここ最近だ。

私は小学校5,6年生の頃、水曜日の5時間目に自分ともう一人の女の子と特別学級に通っていた。

当時は「なんか楽しい、ラッキー」ぐらいに考えており、そこまで真剣に考えていなかった。(その後、地獄の日々が始まるがそれは別の記事に書く)

そのことを最近まで忘れていたが、最近になってようやく思い出すきっかけがあった。

それは就職した会社で、上司から取得するように言われていた資格の勉強にまったくついていけず、理解もできなかったことが原因だ。

そのことでかなり思いつめたことで、ふと昔の記憶がよみがえり。母親に聞いてみたところ発達障害持ちそれもLD(読む、書く、計算する、推論するなどの特定の分野に苦手さを示す、発達障害のひとつ)であることを思い出した。

LDは個人的に救いようのないものだと感じる

それを機にいろいろと発達障害についての本や記事を読んでみたけど、あらためてLDの救いようのなさを再確認することになった。

よく一般的に知られている発達障害といえばADHAがあり、発達障害と聞くと真っ先にこれが思い当たる人が多いと思う。
ほかにもASDなども有名だ。しかしLDはどうだろう?

知名度はADHD,ASDと比べてもかなり低い。事実YouTubeやグーグルで「発達障害」と検索してもほとんどADHDやASDのことばかりでLDに関係したものはかなり少ない。

そのため当然認知度も低く、社会的な理解も少ない。

そして個人的に思う一番の救いようのなさは、

LDには長所と言える点がほとんどないことだ

ADHDにはバイタリティがあり、歴史的にも天才と言われる人が多くいる。
ASDには高い集中力などが備わっており、自分の興味のある分野では物凄い成果を残す人も多い。

本屋などで見かけた「発達障害持ちだけど成功した」と書いてあるものは、ほとんどがADHDやASD持ちの人間に関する物だ。

でもLDには長所なんてものは何もない。
ただただ知能が低く長所のない無能、それがLDなのだ。

同じことを学んで健常者が「10」理解できることを。私たちは「2,3」しか理解できずおいて行かれる。

たまに空間認識能力がどうのこうの言われているが、それは辛うじてほかよりもマシというだけで、あくまでも人並み程度しかない。

LDには救いようがない。

じゃあLD持ちはどうすればいいのか?そんなものこっちが知りたい。
世の中は無能には優しくない。

底辺で大人しくしていることしかできないのが私たちLD持ちの宿命だと思う。

こんなことならこの世に生まれてこない方がはるかに幸せだった。





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