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まぼろしの鼓動、鼓動のまぼろし

いつも心臓の影で鳴ってる別の音
苦しくなるほどにあなたのほうが激しくなる
たがいに重なり合いたがるように、その重なりにあらがうように。
おたがいを押しつけ合って

たった一度の鼓動も、そっと受けとめて感じれば無数に鳴り響く
においだってするだろう
光だってあふれるだろう
味だってするだろう
一瞬だったはずの鼓動が、永遠に近づいていく

感じとめるほどに、幻になっていく心臓の鼓動があり、それにつれて近づいてくる、無数の、鼓動のような幻があって
感じとめるほどに、一瞬は現実から幻になろうとし、
永遠は幻から現実へと迫ってくる

夢とうつつの無限大の狭間で、
幻になっていく鼓動と、無数の鼓動のような幻たちは、
おたがいに溶け合うことも、
重なり合うことも、
隣り合うこともできず、
反発し合うことも
拒み合うことも
無関係でいることもできない
夢でもなければうつつでもない幻たちには
どんなやりとりも起こりうるし起こりえない
ただ幾重の声にならないこだまが、星々のように響いている

なにかを感じることはそれを幻に近づけるかのようでさえある

感じることは欺かれること、というのではなく、なにかを感じ取った瞬間に、感じ取られなかった無数の幻がそこに音もなく響くのだ
ひとつの音にはいつだって数えきれない無音がつきまとい、
それどころかひとつの音が響くことそれ自体同時に、数えきれない無音が鳴り響くことだろう

反響というのは、この現実に鳴ったひとつの音の影でありつつ
そのひとつの音のありえたかもしれない別のあり方の影たちだ
それは、この世界と別の世界の隙間たちから、その瞬間へとくぐもって漏れ聞こえている
反響をひとつを聞き取ることは、元の音をたどるようでいて、今は幻の別世界へと通じてもいる

この現実は私たちの信じるほど現実ではないし、といって幻でもない
現実と呼ばれている今こことは、いわば幻の幻

幻の幻とはどういうことか。幻をとらえ損ねた結果が現実だということだろうか。つまり現実が正しいのだとしても、それは、負*負=正といった形仕方で正しいのだ。この言い方は実態に近づこうとしながらその分だけ離れているだろうか。

ひとつ心臓が打つたびに
その鼓動と次にくる鼓動のあいだには
感じ逃した幻たちが、夢でもうつつでもなく鳴り響きにおい泡立つだろう
ひとつの鼓動を追うように体の至るところ反響している脈たちは、
別のありえた心臓たちの鼓動から、その場所へとたどりつかずたどりついた
まぼろしの鼓動であり鼓動のまぼろし
次の鼓動に心臓がたどりつくまでの束の間に
星空のように響いて、一瞬のなかへ忘れ去られる


読んでくれて、ありがとう。

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