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わからない を撮る

某日、とある目的のためにFUJIFILMのカメラを買った。
X-Pro2という中古のミラーレス一眼。


独特の湿り気をおびた写り方をするカメラだと思った。
その質感があのからりと混沌とした風景に似合うんじゃないかと思って。
バチッ、とやや重みのある音を立てて色と光を記憶する、
久々にシャッターを切る感覚はとても心地がよかった。
疫病の終息を感じ始める春、わたしは遠くへ行く準備をしていた。

この青が好き





「とある目的」は  なんともあっけなく頓挫してしまった。


その目的のために今まで色々な準備をしていたから、直後はものすごい混乱と喪失感で頭も心もうまく回らない。しばらく何も考えられず、家でひたすら無駄に時間を溶かしたりしていた。




ユキヤナギはほんとうにかわいい花




頓挫してしまったことを考えると本当に悲しいけれど、ずっと悲しんでいるのも性に合わないので、今はただ何を撮ってもいい感じに写ってくれるこのカメラを連れて会いたい人に会い、自然の中で時間を過ごしたりしている。
無造作に、何も考えず、美しい、ああ、今だ、と思った瞬間にシャッターを切る、それでもこのカメラは美しいと思ったその瞬間を空気ごと写してくれていたりする。

 

正直何を撮ってもよくわからないし、自分は何を撮りたいのだろうと常々思う。写真の偶然性を愛しているのかもしれないし、ただ単に光の感じが好きなだけかもしれない。
昔から写真のことはよくわからない。
わからないけれどいつまでもものすごく惹かれるツールだ。
わからないからこそシャッターを切りつづけるのだろうなとも思う。







このカメラを買ってからInstagramのアカウントを作って写真を撮っているひとたちのアカウントを眺めているのだけれど、見ていると、みんなどうにかして世界を愛そうとしているのだろうな、と感じる。
それは本当にせつないぐらい素敵なことだと思う。


このひどい世界に時々訪れる美しい瞬間をどうにか保存しておきたいのかもしれない。わたしたちは忘れていくいきものだから。


大きな悲しみのなか何度世界を呪っても、その世界で出会う美しいものに何度もすくわれ続けてきた。それをずっと忘れずに大切にしていきたいと今はそう強く思う。



Instagram :  https://www.instagram.com/xiaxue_uq/


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