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敬語の弊害

実は色々あって、今年の12月から台湾の大手電子機器メーカーの
内部デザイナーとして働くことになった。
そして最初の1週間のほとんどを、
大企業とはいえ今時珍しいOJTを受けて過ごした。

OJTの内容の大半が各部署の事業紹介で、40代〜60代の事業部長が直々に
20〜30代の新人や他部署の状況を学びたい社員にスライドで
各自の事業状況を説明すると言うものだったのだけれど、
事業紹介は事業部長一方的な説明で終わることなく、疑問質問があれば、
どんどんと研修を受ける側からも質問が発せられた。

20代だろうが、50代だろうが、関係なく、
対等に意見を交換している様を見て、
なんだか日本ではあまり見ないような光景だと思った。
それから女性の部長さんも少なくなかった。
そして思い当たったのだけれど、世代間コミュニケーションにおいて、
日本では敬語というものが存在し、
それがこういった対等な関係を阻んでいるのではないかと思った。

中国語には敬語というほどの敬語はない。
よく、英語で言うところの”You”である「你」を
目上の相手に対しては「您」と言ったとしても、
私が過去にいた台湾企業や、現在の部署では、
上司であろうともMichaelやKatherineなどと、名前で呼び合い、
礼儀を持って相手に接しつつも、
みんなきちんと上司に自分の意見を伝える。


では、敬語はいつから、なぜ生まれたのだろう?
すると『敬語の原理及び発展の研究』という、
浅田 秀子さんの書いた論文でその起源を探るとこができた。

日本語においては音を延ばすと遠くへ伝達する表現になる。「おい」と「おーい」の例でもわかるように、これは現代でも連綿と行われており、原始時代においてはこの遠隔表現がウタ(和歌の原型)であった。日本人の世界認識はウチ・ソトで、ウチは自分を中心とするごく親しい人間、ソトはそれ以外の森羅万象で自然も含まれる。原日本人はウチへの伝達には普通の言葉を使い、ソトに対しては音を延ばして言うウタを使った。日本に上下の階級秩序が発生すると、このソトに対する言葉遣いは、上位者に対しても使われるようになり、また上位者から下位者への返事にも使われるようになった。


つまりは、夫が妻に「おい、風呂」といえば、
妻は夫のために風呂を沸かしに行ったり、
若者が、チャット中で「フロリダ」
(風呂入るから会話から離脱する、という意味らしい)
とかいうのは、物理的、心理的に近く、
ウチ意識が働いてるからこそ、
短い会話で素早く意志の疎通ができるのだけど、
物理的、心理的にも遠い相手の場合、
あまり親しくない親戚の家に泊まらせてもらった際には、
「お風呂入りたいんですけど、沸かしてもらえます?」と言ったり、
夜中に先輩からの長話に付き合わされて、早く寝たい時には、
「明日早いんで、そろそろお風呂はいって寝ていいですか?」というように、自然と意志の疎通のために言葉数が増えることになるわけだ。


そして、ソトとの意思疎通であるウタが
芸術と敬語に分岐していく点が面白い。

日本の上位者は自然の持つ三徳(寛容・鷹揚・寡欲)を要求されたため、下位者がウタによって訴える願いやお詫びを寛容に聞き入れ、上下の交流はウタの交換によって行われてきた。ウタが五七五などのリズムや掛詞などの修辞技巧を凝らし、歌となって芸術への舵を切ったとき、日常の訴えのための待遇表現が必要となり、それが敬語となったのである。

と、上記論文によると、芸術も敬語も、
立場の違う人に対する訴えや願いを表すことに起源を持つのだ。


ウチー短縮語

自分
|     ┌芸術 (表現)
ソトーウター┤
      └敬語 (意思疎通)


しかし、なぜか日本の上下関係は風通しが悪い。
「最近の若者は」と言う言葉はいつの時代でも発せられ、
うまく世代間コミュニケーションができていない。
その原因のようなものも先の論文に書かれていた。


だが、このような社会運営に不可欠な敬語システムは、明治維新によって崩壊した。それは明治新政府の権力者が生まれついての上位者ではなかったため、三徳を持ち合わせず狭量に下位者を抑圧し、しかも富を独占する強欲に走ったからである。
(中略)
明治維新以後の悪しき上下の意識変化と階級遵守語の効果の薄れ、そして伝統的な礼儀 語不足が現代日本の閉塞状況を生み出し、さまざまな社会問題の原因となっている。これ らの解決の糸口は、敬語の原理を再認識し、階級遵守語を復権し、礼儀語を浸透させるこ とによって見いだされるであろう。


確かに、年齢が上だというだけで、年下に敬語を強要したり、
部下の敬語が間違っていると腹をたてるのは、表現方法に対する揚げ足取りでしかなく、相手の要求や要望の本質をみていない。
大事なのは相手に礼儀を持って接することであり、言葉の様式そのものではないはずだ。日本もいつか世代や立場に関係なく、フラットに意見を買わせる日が来るだろうか。

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