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起爆の子

私は18歳のときに、今の夫との間に第1子を授かった。当時私たちは同棲中で、未婚だった。

私はその頃、荒れていた。精神的に不安定だったし、人としてどうかと思うようなことをいろいろ平気でしていた。

妊娠がわかって、夫は「おろしてほしい」と言った。私も、そう言われるのが当たり前だと思った。無責任だが、とても育てられないだろうと思った。自信なんてまったくなかった。

産婦人科に行き、診断を受けると妊娠が確定していた。近所の個人病院を受診したが「うちは中絶はやっていないから、産む気がないなら総合病院へ行ってくれ」とのことだった。

数日後、大きな病院を受診する。しかし私の意向が決まっていなかったので、よく考えて2週間後にまた来るようにと促された。もし中絶するようなら、この書類に同意のサインとハンコを押してくるようにと指示を受けた。


ありがちな展開である。いちばん嫌な展開だった。でも、自分さえ適切に扱えない私が子どもを産み育てるのは、確かに無理な話だった。

それと同時に、妊娠がわかってからずっと頭をよぎっていた言葉があった。

『子どもをおろすと地獄に落ちる』

『中絶をした女性は来世でも報われない』

そんな言葉だ。

私の家族はとある新興宗教の信者であった。基本的には仏法に基づいているし、宗教云々は関係なしにしても、命の尊厳に反する行為であることは確かだと思った。

でも、私はその「言葉」が怖かった。母がその話をしたときの声やトーン、映像までもが当時のまま、繰り返し頭の中で再生された。

地獄に落ちるのが嫌だったのか。それとも、母に言い聞かせられてきたことを破る悪い人間になる……といううしろめたさがあったのか。いずれにしても心からの「産みたい」「育てたい」ではなかった。判断の材料がすべて、他人ごとだった。

その怖さや後ろめたさから、彼に食ってかかるようにしてダダをこねた。他人に対して、こんなに激しく自分の主張を通そうとしたのは、後にも先にもこのときだけだったかもしれない。

それから話し合い、結局入籍して子どもを産むことに決まった。市役所の夜間受付に、婚姻届けを出すと、受付のおじいさんが婚姻届けにチェックを入れながらおならをする。結婚って、こんなもんなんだって思った。ハッピーで、最高の気分で、この人しかいないと涙するような、そういうのが結婚なんだと思っていた。

ただ、晴れて入籍したことで、気持ちは引き締まったように思った。覚悟を決めるような、もう後には引けない一線を越えるような感じがあった。そして入籍した翌日、夫と一緒に病院の産婦人科を受診する。


赤ちゃんの心臓は止まっていた。稽留流産だった。


私はこの一連の「できごと」が長年とても後ろめたかった。

結婚のいきさつを聞かれてもずっと、本当のことが言えなかった。ショックが大きかったのは確かだけれど、このときの妊娠から2年後と7年後には、それぞれ男の子を出産した。結局は子どもに恵まれたのだし、なにもわざわざ人に言うことではない。そう思って、結婚のいきさつはほとんど誰にも話していなかった。

しかし、私は比較的若い母親であるために、どうしても「いつ結婚したの?」「なんでそんなに早く結婚したの?」という話題になってしまうものだった。

そのたびに、私はあのできごとを思い出す。本当のいきさつを話せば長くなるし、変な空気になるような気もした。世間体的にも褒められたことではないんだし、なかったことにしておいたほうがいいとさえ思うようになっていた。正直、言いたくなかった。何かが引っかかっていた。隠したいような曖昧な気持ちがとても、とても嫌だった。自分が汚い人間のように思えて、あの当時のことを思い出すのも正直嫌になっていた。

そんな風にして何年も暮らしてきたが、ふと「お空に返った赤ちゃんのメッセージを届ける」という活動をされている方の発信が目に入った。ゆきちゃん先生(@yukikosnow10)という方は、以前から私の文章を読んでくださっていたり、リプライをし合ったりと交流のある方だった。

13年も前のことで、誰にも話してこなかったこと。なのに、思わず連絡をしている自分がいた。もういいかげんにこの自分の嫌な部分を出して「捨てたい」とでも思っていたんだろう。

「自分の気持ちを大事にしても、地獄には落ちない」


「ほら、地獄に落ちたりしないでしょ?」

そんなメッセージを、ゆきちゃん先生からまず最初に聞かせてもらった。

私は「自分の決めたことは間違っている」とか「自分で選ぶことは許されない」という思い込みが潜在意識の中にあったのだと思っている。今も若干あるような気がしている。意識できない部分のことなので、もちろん確証はない。

しかし「自分の意思や自分の言い分は、だいたい間違っている」という感覚には、長年苦しめられていた。喉まで出かかった言葉が出ない、罵倒されるイメージしか湧いてこないことがたくさんあって、困っていた時期があった。

しかし、ゆきちゃん先生が伝えてくれた赤ちゃんからのメッセージは、私が自分の意思で、自分の行動を選択することに見事に繋がっているのだ。

私が「産まない」という選択をしたら、当然あの子は生まれなかった。そして、実際に私が産むという選択をしても、あの子は産まれてこなかった。どちらを選んでも、あの子は産まれなかったという事実がある。

つまり、私が自分の意思で何かを選び、決断し、それを周囲に表明しても、大変なことなど起こらない。「ほら、地獄になんて落ちないでしょ?」ということだ。

子どもをおすから地獄に落ちるのではなくて「自分の意思で何かを決めても地獄になんて落ちないから大丈夫だよ」ということなのではないかと、私は今解釈している。

今まで信じていた親や世間の価値観、好きになれない新興宗教のこと、夫の主張。自分以外の他のものに、大事な決定権を丸投げしない。自分の意思を表に出すこと。

実際に、私はこの子の妊娠をきっかけに結婚したが、その後しばらく母と距離を置き、宗教団体からも脱会した。「私はお母さんとの共依存的なものから抜けるために、この組織を脱会するね」と話したことを、思い出した。

あの子は、私が自分の意思で人生を選び、人に迎合せずに生きるための「起爆剤」としてやってきたということだ。

現に私は夫と結婚したおかげで、人が変わるように成長した。もちろん、夫にも、無事に生まれて育っている息子たちにも感謝しているけれど、大元を辿ればあの子が縄の先っぽに火を点けたのだ。その火が伝って、火薬に火がつきドカンドカンと爆破しているかのようにも思えてくる。

あなたが「信じていると思っている」ものを、外すため。あなた自身の中にある「親を、自分を、超えてやる」という思いを受けとって、そのきかっけとしてやってきた。

この言葉には、さらに衝撃を受けてしまった。

「自分を、親を、超えてやる」

というのは、私が今までずっと思いながら生きてきたものだった。長男を産んでからというもの、ずっと「母を超えたい」「自分に負けたくない」と思い続けてきた。言葉のイメージもそのまんまである。それは私が自分を律するためや、成長するための大きな原動力になっていたし、私の根底には負けず嫌いで頑固なものが眠っていることに、最近になって気づき始めた。まさに、爆破しているかのように。

愛は意図しない

赤ちゃんは「私を産むの?産まないの?」「育ててくれるの?」という思いではいなく「どこまでも飛び立って」と言いたかった

「ほら、地獄になんて落ちないでしょ?」

「私を産むか産まないか、じゃないんだよ」

「どこまでも飛び立て」

強気で、勝気で、期待や依存から離れる。白黒ハッキリしていて、自立している。ふらふらっと、木から木へ飛び移るように生きたい。私が「こう生きたいな」と思い描く人間像と、この子からの言葉のイメージがぴたりと合わさり、鳥肌が立った。

ここで浮かんできた言葉は

「さすが、私の子」

たぶんだけれど、私の中にはわがままで、頑固で、強い自我がある。歳をとるごとにそれが頭角を現すようになってきた。今の生活の基盤を作ったあの子がまさにその「起爆剤」となっている。起爆剤なんていう言葉に、愛おしさを感じたのは生まれて初めてだ。

「子は親を選んで生まれてくる」などと言うけれど、私はその考えがあまり好きではなかった。親が子に求められていると実感するための、勝手なエゴであるように思うことがあったからだ。

でも、子どもが親に何かを教えるためにやってくると考えることには大いに意義があると思う。それは、子が親に愛か何かを与えてくれるからではなく

親が勝手に、子から何かを学びとるべきであると思っているからだ。

子は親に「この親に育ててほしい」という期待や意図をもっているわけではない。それが、何かを伝えたいという意思であったとしても、決して意図ではないのだ。

それに気づいたとき、子どもは親を選んで生まれてくるという話を、今までよりも信じたい気持ちになった。

「あなたが私を幸せにして」でもない。親が子を幸せにするんでもないし、子が親を幸せにするのでもない。期待や思惑がない。まだまだ未熟ではあるのだけど、私はなるべくそんな生き方を目指したいのだ。

愛は意図しない、期待しない、支配しない。

できごとではなく、命だったこと


私は、結婚のきっかけとしてやってきたあの子をずっと「できごと」として認識していた。それが、突然「あの子」なんて言えるようになった。あの子はできごとではなく、命だったのだ

10年以上「隠したい」「誰にも言いたくない」と思っていたのに、今は私あの子から学びとるべき大きな発見を得たし、誰かに伝えたい気持ちでいっぱいなのだ。あの子が伝えたかったことを、今ちゃんと受け取って、それにこうして応えている。まるで会話しているような気持ちになる。こんなすごいことってあるだろうかとさえ、思った。

なんで私は、わざわざ見たくもないこと、思い出したくないことをほじくり返したくなるのだろうと、いつも不思議だった。でも、こうやって「目を逸らしたかったこと」をほじくり返して、捉えなおしを繰り返していくことでどんどん楽になっていく。バラバラだったいくつもの人格、側面を統一していく。これが噂に聞く自己統合というものなのか?と、言葉の意味を調べてみたりした。

私は今回のことでまず命のことや、自分自身の内側のことを考えたけれど、宗教の成り立ちや、隠したい過去を清算する方法についても考え、知ることができた。

半分は私の勝手な解釈の部分もあるのだけれど、勝手な解釈で私が勝手にあの子から何かを学びとることができ、引っかかっていたものを昇華することができて、清々しく晴れやかな気持ちがしている。

数えきれない、いくつものことに、火を点けてくれた子だった。

ゆきちゃん先生(@yukikosnow10)には心からお礼申し上げます。本当に、ありがとうございました。

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