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「ママ、私役に立ったでしょ?」の価値

この記事を書いてから1年ほどたちましたが、いくつかの変化を感じているのでまとめてみようと思います。

甘えたいという願望はなくなった、しかし役に立ちたいという願望が強まった。

私には少し前まで、子供に戻って思う存分誰かに甘えたり、わがままをいったりしたいという気持ちがありました。

そして、自分はもう子供時代をやり直せないし、あの頃に戻って自分のありのままを出してダダをこねることもできないと思うだけで、とても寂しくて残念な気持ちになることがありました。

でも今は、自然とその願望や、寂しさといったものがなくなっています。

そして、誰かを母親代わりとして慕ったり、投影したりするということもなくなりました。しかし、その一方で「役に立ちたい」という気持ちが強まったようにも感じています。

よく「無条件の愛」という言葉が使われますが、人はただそこにいるだけで価値があるなんてことも言われますよね。

でも、これはやっぱり私の中にはないんです。

誰かの役に立っていることが、私の価値であり、自信に繋がる。ここにいてもいいし、誰かと関わってもいいという「資格」のようなもの。

甘えたい願望が薄くなった今「自分が何かの、誰かの役に立っているか」というところに重きを置くようになっていると感じています。私の周囲には支えてくれる存在の人が何人もいますが、どの人に対しても「そこにいるだけでいい」という感覚は今も持てないままです。

人間、特に大人なら誰しもが、何かの役にたっていないと自分に価値を感じられなくて当然なのかなとも感じます。社会人として、働いたり、お金を稼いだりするのはやっぱり、そこに存在価値を見出せるからできるし、ストレスに対しても割り切れたりするわけです。「社会の一員として役立っている」という自負があってこそ、人間的に成長していく部分があると思います。

でも、私の場合はそういう感じではなくて、とにかく特定の誰かの役に立っている自分でありたいといった気持ちが今、強くなってきています。ハッキリ言えば、相手にメリットが与えられない自分は、その人に関わっていいと思えない……という感じ。

これは正直「母子関係の名残」なのかなと思うことがあります。私のことが好きだから一緒にいる、繋がりたい、関わりたい。そう思ってくれる人もきっといるんだと思います。でも、それを私が許せないのですね。関わるからには、何か役に立って、見返りをもたらさなければならないという感じが強くあります。

これは、もしかするとなんですが、まさに今子供時代を繰り返しているのかもしれないなぁ、なんて思います。

子どもは、親に甘えたい放題の段階を過ぎると、親に何かを与えたり、役に立ったりしたいもの。今までは泣いたりわめいたりするばかりだった幼児が、お母さんのお手伝いをしたり、絵を描いてプレゼントしたりといった「報酬」を与える経験をするように。

純粋に「甘えたい」「お母さんの温かさが欲しい」というところは過ぎて、今はとにかく「誰かの役に立つ自分に価値を感じたい」という段階なのかもしれないと思っています。

ただこの、誰かの役に立つ自分に価値を与えるのは、少々危険なこともありまして。たとえば、誰かに尽くし過ぎたり、理不尽な対応や状況にも耐えて奉仕するといったことは、男女間で言えばDVやパワハラなどの被害に逢いやすい傾向なんですよね。大人になってから、幼少期の満たされなかったものを再現しようとするのは、よくない結果をもたらす恐れもあるということを私は常に感じていますし、気をつけています。

自分はやっぱり、注意していないとアンバランスな人間関係を築きやすいし、それによって自分で自分の首を絞めてきた部分も大きいということは、戒めのように念頭に置いています。

お母さんの役に立つことって、子供にとって自分を誇らしいと思える経験なんですよね。だから、別にお小遣いがもらえなくても、お菓子を買ってもらえなくても「ママ、私役に立ったでしょ?」「うん、ありがとう~!ママ助かったよ!」って言われるだけで嬉しいんです。ここに自分がいるぞ、という感覚を得られることに、意味があるんですよね。

だから、今の私もそんな感じで、誰かの役に立ったり愛を与えるといったことに、何の見返りも欲していないんです。「役に立ちました」と言ってもらえるだけで、満足なんですね。

それは、こちらにコメントをくれる方の生の声だったり、サイトや書籍の読者さんからのメッセージだったり、そういったものも、私が役に立っていることの証です。

また、家族や友人のために奔走し、そして彼らがただ自分の側にいるということも、今の私にとっては自分が存在してもいいと思える価値なのかもしれません。そういう経験を積んでいくうちに、だんだん満たされたり飽きてきたりして、自分の好きなこととか、自分の思うままとか、そういうことにも目を向けられるようになるかもしれないと、楽観的に考えるようにしています。

甘えたいだけ、というのはいつまでも続かない。どんな段階でも、やっぱり苦悩することは多いと思います。でも、自分自身のそんな傾向や特徴に気づいている限り、大丈夫だと私は信じています。

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